小春日和に
その日は朝から天気が良くて、高い所から惜しげもなくふりまかれるあたたかな陽光に、千尋はそれだけで妙に嬉しかった。鼻歌さえ出てきそうだ。待ち合わせの中庭でうーんと背伸びをし、発芽したばかりのひまわりのように全身で太陽を浴びる。まるでそうすればすこしでもはやく大きくなれるのだと言わんばかりに。少しでも太陽の恵みを取りこぼさんとしているかのように。 彼女の手には小さな鞄があった。そこから覗く水筒と、先日小間物屋で見つけた兎柄の風呂敷包み。その荷物を見れば油屋の誰もが『あぁ、今日もどこかへでかけるのか』と納得する姿。 本日は月に一度の油屋の定休日であるのだ。あちらの世界とこちらの世界を行き来している関係上、定休日と千尋の休みが重なるなんて滅多になく、それでそれだけ浮かれているのだと皆は納得する。 『働きに来ているのにそれでは意味がないのではないか?』と眉をひそめるのは、経営者と底意地の悪いお姉さまの一部くらいで、ほとんど全員が千尋の真の目的をきちんと把握できていた。だいたい、定休日にはその経営者は不在であるし、お姉さまがたは遅寝を決め込んでいるのだし、どうでもよいと言えばどうでもよいだろう。 そんなことを、居残っていた通りすがりの同僚達に思われているとも知らず朝の日向ぼっこをしていると、待ち人があらわれた。 「今日はどこへ行きたい?」 従業員達からは煙たがられている帳場の管理人であった。知らぬ者が見ればそのいつもと違った表情や声色に目を剥いたであろう態度であった。そしてきっと『この陽光に惑ったのか?』と天を仰ぐかもしれない。それほどに帳場の管理人が千尋に向ける態度は他とまったく違うものであった。 そんなこともまたまた知らず、千尋は無邪気に小首を傾げて 「どうしよっか」 などと思案している。ぐるりとまわりを見回して考える。そんな千尋に辛抱強く――否、そんな様子にさえ楽しげにハクはしているのだが、千尋が口にした場所に少しばかり眉をひそめた。 「そこは危ないと思うのだけど」 「んー、でもあったかそうだし、見晴らし良さそうだし」 ハクが困るのも無理はない。千尋が考え考え導き出した本日のピクニック先は『灯台下暗し』と言うか『灯台の上』である場所であったから。 「一度あの屋根に登ってみたかったの!」 なんとそこは、油屋最上階――その屋根の上だと言うのだ。 ハクはなんとも言えない沈黙と共に、千尋が指し示した先を見上げる。赤と金に彩られた建物の、その上にある湯婆婆の部屋。その上にある、瓦屋根。陽光を浴びてなんともあたたかそうで、空気も澄んでいて、見晴らしが良さそうだ。空は無風状態なのか、ぽっかりと浮いた雲はのろのろとしているばかりで。 「……仕方ないね」 ぱっと笑みを浮かべた千尋を見下ろして、どうにもこうにも自分は彼女に甘いらしい、とつくづく思う管理人であった。千尋が落ちたとしても私は竜なのだし、大丈夫か――と。第三者がいれば『つくづくどころかでろアマだ』と評するであろう思案時間の短さであった。 ハクがふわりと人の身を解いたそこに現われた白い竜にいそいそとまたがった千尋は、ふわりとした浮遊感に包まれたかと思うとあっという間にお望みの場所へと連れさられていた。 ふわりと着地した瓦屋根の上は、思った通りに見晴らしが良かった。どこか日本と似通った風景であるのに、よくよく考えれば日本のように山々が連なっていないので、どこまでも平坦な大地を眺めることができた。本日は晴れであるから海はなく、平野やその向こうにある森がくっきりと見える。青い空にマシュマロのような白い雲がぽっかりと浮かんでいるばかりだ。 「うわぁ!」 と感嘆の声をあげるが、ついで千尋は困惑を表面にあらわした。竜の背より降り、草履も脱いで裸足になって屋根の端くらいまで行ってみたいのに、身動きがとれないのだ。何故だろうと下に視線をやれば、自分の身体をぐるりと囲むように――竜がとぐろを巻いていて。 ……過保護。 両の手に草履と鞄をぶらさげた千尋の脳裏にその言葉が浮かぶのであった。 はじめの頃は安全なとぐろの中に座って景色を眺めていた千尋であったが、このままではハクとおしゃべりもできない状態ではないかと気がつくと、なんだかこれではつまらないではないかとすねはじめる。 ハクの方も、 「出して!」 との千尋の言葉に 『竜だから聞く耳持ちません』 との態度でしらっと向こう側を向いて対応していたのだけれど、このままでは折角の休みがお互いだんまりのままになりそうで、それでは勿体無い気がしてきた。 ハクはそれでも良かったのだけれど、千尋はそうは思っていないらしく、しびれを切らしてとうとうハクの身体をよじよじとよじ登って反対側に脱出しようとし始めたので、ハクも根負けしてしまった。人の姿へと立ち戻り、決して屋根の端には行かないこと! 走り回ったりしないこと! とくどくどと約束を取り付けたのであった。千尋の脳裏にはまたしても『過保護』の単語が閃いていた。 とにもかくにも、いつものピクニックの状態と同じように、ふたり並んでふっくりとした熱をもった屋根の上に腰かけた。 片手で目を覆いながら 「良いお天気〜!」 と喜ぶ仕草はどのピクニックでも見られるもので。 千尋は儀式にも似たその言葉を言い終えると、更なる儀式をいつも通りに開始した。鞄から水筒を出し、風呂敷包みを取り出したのだ。 「ハク、今回は向こうでケーキを焼いてきたの!」 「ケーキ?」 いつもなら台所蛙の弁当がおさまっているそこには、今回は千尋お手製のケーキが入っているらしい。 ハクはごそごそと自分の懐をまさぐった。 「胃薬はあったかな……?」 ハク、信用なーい! 大丈夫だよ! との千尋の反応を期待しての冗談であったが、千尋はそのハクの様子に眉をはの字にして 「大丈夫だよ、ハク。胃薬、わたしが持ってるから」 なんて真剣に告げてくる。冗談であったのにこれはもしかしたらもしかするのだろうか……とそれだけで胃の腑が痛くなり始めた管理人であった。 食べやすいようにとひとつひとつラップに包まれたケーキは、フルーツがたっぷりと入ったパウンドケーキだった。 「どう、ハク?」 お腹痛くない? となんとも答え難い聞き方をしてくる千尋に、ハクは吹き出しそうになった。 「美味しいよ。酒の味が効いているね」 「お父さんのお酒棚からちょっと拝借しちゃったの」 「檸檬も入っている?」 「はずれ! 夏みかんのピールをね、昨年つくっておいたの」 檸檬よりこっちの方がハクは好きかなぁって思って! そう続ける千尋の様子はまだ心配そうであった。 「なに? もしかして私は毒見役?」 たしかに、ちょっとやそっとのモノでは腹を下すような身体のつくりはしていないけれど……ハクはちょっとばかり複雑だ。手の中の代物は、食べ慣れたものとは少しばかり違うけれど、しっとりとして美味しいのに。なにより、千尋が作ってくれたものに否やを言う気などないのだけれど。 「ち……ちがーう! お父さんにも毒見させてないんだよー」 全部わたしが試したんだから! おかげで体重計には暫く乗りたくないけれど……と千尋がごにょごにょと。 そんな、意固地なまでの一生懸命さに、 「冗談だよ。本当に美味しい」 とハクは笑うのであった。 お弁当代わりのケーキをお腹におさめてひと段落ついたのか、それともこのぽかぽか陽気に惑わされたのか、千尋がこっくりこっくりと船を漕ぎ出した。 「千尋、危ないよ。もう下に戻るかい?」 とんっと肩にもたれてきた小さな頭の重みを感じる。 「……」 「そのまま寝ててもいいから」 「……んー、やだー」 ここ、気持ち良いもん。呂律の廻らない口調でいやいやを言う千尋に、ハクは苦笑した。本当に、身体は大きくなってもこの無防備さは子供のようだと思わずにいられない。そこがハクの自室でも、ピクニック先でも、ハクの肩にもたれかかるようにして眠ってしまうのは千尋の儀式のひとつでもあって。 『でもせめて、私の部屋で、ふたりっきりの時に眠ってしまうのは』 勘弁して欲しいのだけれど。と、胸中でだけ呟いた言葉を聞かれてしまったのか、千尋がむにゃむにゃとなにごとかを言っている。 「はくとだったらどこででもだいじょーぶでしょー?」 「……」 そうではないかもしれないよ? と言いたいけれど、今はまだ口にしないでいようと決めた竜の子であった。 なにごともまだ平和に過ぎる、あるお休みの一日でした。 いつもおじゃましています『水砕窮鳥』の橘尋無さまからフリー小説をいただいてきました!! ほのぼの休日なひとこま。過保護な龍さんと無邪気なおヒメさまの取り合わせがかわゆくーvvv 個人的にお毒見のくだりが、、、胃薬のくだりが、、、、笑えてしかたありませんでしたー!(きゃははははー≧▽≦) 手作りのお菓子には、殿方はみな、お弱いものなのだとか。くふふふふ。 一年も前から準備されていたオレンジピールに洋酒の味がよくしみて さぞや蕩けるようなお味だったことでしょう〜〜(=^^=) ええもうジャマなんてしませんから、おふたりでお好きなだけ、のほほんとスウィートタイム過ごしてくださいましーvと ディスプレイの前で 橘尋無さま〜〜美味しいひとときをありがとうございました!
橘尋無さまのサイト『水砕窮鳥』へは、リンク部屋から行けますので、ぜひ♪ |