光



目を開けても闇。
閉じても又、闇。


 終わることなき底なしの闇の中に、いた。
時折視界を掠めるのは朱。見慣れた命の色。
闇の中に満ち満ちた鉄錆にも似たその匂いは、どこまでも鼻をついて離れることがな い。
ふと見下ろせば自身もまた、朱に染まっていた。
もはや、己のものなのか、それとも返り血なのか。区別がつかぬほどに濡れた・・・ 堕ちたこの身。
薄く笑い、彼はその場に座り込んだ。
疲れた。
もはや、何のためにこんなことをしているのかさえ、忘れてしまった。
足を休めれば、きっと闇に呑まれてしまうであろう・・・彼を追い立てる老婆の嘲笑 と、怨嗟の声はいつもすぐ後ろにある。ここで滅びれば、彼もまた、闇に生きるもの の仲間と成り果てるのだろうか。
それもまた、一興。
生きているこのときでさえ、彼らと何ら変わらぬほどに堕ちた身であれば・・・。
ゆっくりと、翡翠の眼差しが閉じられる。
・・・・・・疲れた。


 その時。
滅びを望んだ、その時。
眼裏に、不意に光が差し込んだ。
・・・これは・・・?
微笑む少女が見えた。輝くようなその笑顔。
朱に染まったこの手でさえ、白く染め、暖めてくれる日の光のような娘。
誰だろうか。
あの娘は・・・誰なのだろうか。

 ざわり。

封じられた記憶がざわめいた。
知っている。
私はあの娘を知っている。
会いたい。
もう一度、彼女に、会いたい。
ゆっくりと、閉ざした瞼を開ける。
眼前にあるのは一面の闇。終りの見えぬ闇が変わらず広がっていた・・・が。
目を閉じれば、光があった。
もう一度、会うために。
それまでは、滅びはしない。何を喰らっても、生きて見せるから。
だから・・・もう一度。
彼は立ち上がる。


 そして。
彼は光に、再び見えた。




 頭上の喧騒を聞きながら、ハクは草むらに丸くなって眠る少女の細い身体をそっと 抱き起こした。
眦に、涙の痕がある。
暗い、橋の袂近く。
こんなひっそりとした、人影のない場所で一人で泣いて・・・そして泣き疲れて眠っ てしまったのだろう。
豚に成ってしまった両親のためとはいえ、慣れぬ湯屋の仕事はその小さい身体には負 担であったろう。
また何か、ひどいことを言われたのだろうか。辛い仕打ちを受けているのだろう か。
何もしてやれぬ己の不甲斐なさに唇を噛み締める。
 「千尋・・・」
彼女に出会ってから、彼の世界は再び色を取り戻した。そして彼女が放つ光によっ て、ハク自身もまた己を取り戻せそうな気がするのだ。
だが。
いつかは手放さなければならない。
それは予感ではなく、確信。彼女はきっとこの手を離れゆくだろう。
・・・彼を忘れるだろう。
それでも。
己を救ってくれたこの光のためならば・・・千尋のためならば迷わず己を捧げるとハ クは誓う。
例え再び、闇の中を彷徨うことになろうとも。


 くちっ、と少女が小さなくしゃみをした。
とりあえず今はこの少女を起こさねばならない。
「起きて、千尋」
呼びかけに睫がふるえ、瞳に彼を映してにこり、と少女が笑った。

「千尋」

 その響きを噛み締めるように、ハクは名を呟いた。
再び闇の中に堕ちても、きっとこの名だけは、忘れないのだろう。
強い光が眼裏に焼きつくように。
きっと、忘れは、しない。




やがて。
光は在るべき場所へと、帰る。
けれど。
彼はその光を忘れることは、なかった。



目を開けても。
目を閉じても。
彼が、彼である限り。







いつもお世話になっています『Close To The Night』さまの、サイト開設一周年記念フリー小説をいただいてきました!!
ああ、やっぱりまきさまの文章は魅力的です〜〜〜(うっとり)
ゆっくりと、噛み締めるように味わいながら読ませていただきました。

前半のハクの血塗られた日々の苦しさの描写・・・思わず胸がつまります・・・・。
そして後半、さしこむ「千尋」というひとすじの光。
でも、そのたったひとつの救いの光とも、逃れることのできない『別離』が待っているんですよね。
それを甘んじて受け入れようとするハクの心情。
潔ささえ感じさせる、最後の2フレーズに、やっぱりうるうると涙腺がゆるんでしまいます。。。。

すばらしい作品を拝見させていただいたのみならず、「お持ち帰りフリーですv」とのまきさまの大盤振る舞い!迷わず強奪してまいりました!!
(ちょうど同じころに一周年を迎えていながら何にも〜〜しなかったわたしとは大違いですね^^;;)

まきさま、ほんとうにありがとうございました!!

まきさまのサイト『Close To The Night』へは、リンク部屋から行けますので、ぜひ♪





♪この壁紙はdream fantasyさまよりいただきました♪



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