ホワイトブレス

It is "White Breath"?






ほう、と吐く息が、白く煙って漂う。
早朝の橋の上で、千尋は小さな箒と打ち水用の桶とを手に、空を眺めていた。
紫紺の空が徐々に白く霞み、やわらかなクリーム色を経て鮮やかに蒼味を増してゆく。
ここへ来た頃よりも、ずっと深い色合いでありながら、どこか透明に凍る空。

寒々しい色合いの風景の中にあって、桃色の水干と、冷たい風にさらされて鮮やかなピンク色に染まる膝小僧だけが、ぽつんと明るい生命の彩りを添えていた。

「千尋、そんな格好で表にいると風邪をひくよ」

振り返る先には、「そんな格好」の自分と大差ない、白い水干…色のせいか、こちらの方が数倍寒そうだ…姿の青年が佇んでいた。

「あ、ハク…」

ハクが、手にしていた紺色の塊をふわりと広げると、千尋の肩に着せ掛ける。

「はんてん?」
「男物だから、少し大きいかもしれないけどね」

確かに大きい。茄子紺色に、焦茶や灰の縞の入った渋い色味のはんてんは、小柄な千尋の膝あたりまでをすっぽりと覆い、ちょっとしたコートのようだ。
中綿のたっぷり入ったそれは、ふかふかと厚みがあって柔らかく、抱きしめるようにして持って来たハクの体温が移ったのか、ほんのりと暖かかった。

「ハクのは?」

言わずもがなの言葉であった。龍であるハクは、熱さ寒さをあまり感じない。
だからこそ、真夏の日差しのもとでも汗一つかかないのだし、思わず、冷たいッと悲鳴をあげてしまうような、極寒の海にも平気で入ってゆける。
傍で見ている者の方が、余計に暑かったり寒かったりするので、もう少し自分のことにも気を廻して欲しい、と正直、千尋は思うのだが、周囲に気を配るほどには自分に対して関心の無い、この神経質なのかずぼらなのかわからぬ竜神は、いつも通りのポーカーフェイスで「必要ないから」と一蹴するのが常であった。

「掃除の後、打ち水はもうしなくていいよ。今日は冷える。ひょっとしたら、雪が降るかもしれないな」
「雪? 降るの?」
「降るよ。それ程たくさんは積もらないけれど。…ここには、寒さに弱いものが多いから、あまり有難くないものなのだけれどね」
「そうなんだぁ」

千尋のどこか弾んだ声に、ハクが首を傾げてもの問いたげな視線を投げると、照れたような笑顔が答えた。

「わたしのいた所では、それほど雪が降らないの。だから、雪が積もったところって、あまり見たことが無くて。だから、みんなには申し訳ないけれど、ちょっと楽しみ」

ふふ、と笑う吐息があかるく白い霧となって、初冬の日差しを反射してきらりと光る。

千尋は、そのまま空を見上げ、ゆっくりと動いていく雲を眺めた。
そのままの姿勢で動かぬ姿に、本当に風邪をひくのではないだろうか、と心配になったハクが声を掛けようとした時、ふいに、千尋が空を見たまま口を開いた。

「…初雪のね、最初のひとつを、地面に落ちる前に手にとって、溶ける前に願い事を言うと、願いが叶うんだって」

ハクは、千尋が空を見ていた理由がやっとわかって、口元に笑みを浮かべた。
それにしても、なんと拙くそしてあどけない理由であることか。

「願い事?」
「そう」
「何でも?」
「そう。何でも」

千尋は、ちらりちらりとハクに視線を流しながらも、顔は空を向けたままで、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
他愛ない会話は、その口からふわりと浮かんでは消えていく白い息に似て、次々と紡がれ、辺りをたゆたっては、しんと冷えた空気の中に消えていく。

「もし、リンさんだったら、何を願うのかなぁ」
「リンなら…そうだね、早くここから出て行けますように…かな」
「お金が溜まりますように…だったりして」
「ありうるね」

「じゃあ湯婆婆お婆ちゃんだったら…」
「もちろん、儲かりますように、だ」
「世界征服、とかは願わないのかな?」
「………それは、どうかな」

「坊は、きっと、大きくなれますように、だね」
「大きく?」
「気にしてたもん。早く大人になりたいって」
「ふーん」
「早く、センくらいに見えるようになりたいって」
「………千尋くらいに?」

なんとなしに背筋がざわっとざわめいて、ハクは思わず眉根を寄せた。
そんなハクの様子に、頓着するでもなく、千尋は楽しそうに言葉を続ける。

「釜爺のお爺さんは? 何かなぁ」
「そう…きっと、今のままでいい、って言うかもしれないね」
「あ…そんな感じ。わかる。……カオナシや銭婆のお婆ちゃんもきっと、そう言うね」
「…今の自分に満足していれば、きっと何もいらないのだろうね」

ぽつり、と呟くハクの言葉に、ほんの少し羨ましげな響きを感じ取り、千尋は尋ねた。

「…ハクは?」
「……え?」
「ハクは、何か願い事、あるの?」
「…それは…」

その時、千尋の目に、遠くひとひらの白い輝きが飛び込んできた。

「あ…雪!」

はんてんの袖に隠していた、紅く色づいたゆびさきを伸ばし、千尋は懸命に雪の落ちてくる方へと駆けてゆく。
千尋の必死な様子に、ハクも思わず吊り込まれて、慌ててその後を追った。

「取った!」
「千尋、早くしないと、溶けてしまうよ」
「あ、あ、あ、えと……えと…」

冷えた手のひらの上の小さなきらめきと、ハクの真剣な表情を忙しなく見比べ、千尋はわたわたと慌てながら言葉を探す。

「みんなが幸せになれますように!!」

直後、必死で叫んだ千尋の言葉に、ハクは、思わず吹き出した。

「……千尋、それはちょっと、大雑把すぎないかい」

「だって…すごく焦っちゃって…さっきまで、みんなの願いの話をしてたから…つい」

肩を震わせて笑いをこらえる龍神に、千尋は唇を尖らせて拗ねたような視線を投げた。
それから再び、一粒の雫の残る手のひらへと目を戻して、残念そうに、呟く。

「あーあ、溶けちゃったぁ」

おや、という風情で、ハクが尋ねた。

「何か願い事があったの?千尋」
「ん…まぁ」
「では」

「え?」

「では、千尋の願いは、私が叶えよう」

「……えぇーっ?!」

ハクの涼しげな声が、いとも簡単そうにさらりと言ってのけるのを聞き、千尋はひどく驚いた顔で、大声をあげた。
いつも、くりくりと良く動く目が、まんまるに見開かれている。

「…どうして、そんなに驚くの?」
「あ…それは…ううん…」
「顔が紅いよ?」

なんでもない、なんでもない、とぱたぱたと慌しく打ち振られる両手の向こうに見える頬は、はっきりと冬林檎のように鮮やかな紅に染まっていた。

「ううん、あの、あの……あ!そう、じゃあ、ハクの願い事は、私が叶えてあげるね!」
「…そなたが?」

ハクは、思いがけない言葉を聞いて、一瞬言葉を失った。
いまだ紅い頬のままの千尋が、問い返すハクの言葉に照れたように笑って頷く。

「…そう…それは、嬉しいな」

言葉にしながら、ハクは自分が、本当に嬉しい、と感じているのに気付いて、とまどった。
千尋といると、全ては新鮮な驚きに満ちている。何百年も生きていてさえ、自分のこともこの世のことも未だ知らぬことばかりなのだと、いつも思い知らされる。

「ねぇ、ハク、やっぱり寒そうだよ」

千尋が、突然はんてんの前を開けて片袖を脱ぐと、そのままぱふんとハクに着せ掛けた。
「はんぶんこしよう」
一枚のはんてんに、二人でくるまると、内側の体温で暖まった空気から、ふわり、と甘い匂いが香りたった。
千尋の、くふふ、と笑う声も吐息もひどく近くて、我知らずハクの鼓動が早くなる。

「そういえば…」
「ん?」
「ハクの、願い事って?」
「秘密」
「…それじゃ、叶えられないよぉ」
「…千尋の願い事は?」
「……秘密、だもん」
「ずるいな」
「もーっ! どっちが?」

半ば本気で、ずるいずるいと言い続ける千尋を、ハクは笑いながら楽しげに見つめていたが、ふいに華奢な身体を自分の懐に抱きこんだ。

「大丈夫だよ。私の願いは、千尋にしか叶えられっこないのだからね」


千尋が慌てて唱えた願いは、融けて空に還ってゆく小さな結晶と共に、確かに天に届いていた。
恐ろしく大雑把であっても、その願いに込められた想いは本物であったから。

ハクと、白く煙る吐息を重ねて目を閉じた千尋の髪に、承諾のしるしのように、柔らかく大きな結晶がふわりと舞い落ちる。

いくつもいくつも地に優しく降りしきる、銀色のぼたん雪。
天に咲く華が散るように。それとも天使の羽が舞うように。

リンが、仕事の合間にふと外を見て、その雪の美しさに溜息をついた。
坊は湯屋の最上階で、見たことも無い大きな雪の結晶に楽しげにはしゃぎ、それを見た湯婆婆の顔にも笑みが浮かんだ。
銭婆が、何事かを訴えるカオナシに誘われて、外へ出ると、おやまぁ、と感嘆の声をあげた。
きちんと閉まっていなかった裏口の扉の隙間から、一陣の風と共に入り込んだ輝く結晶に、ススワタリ達が一斉にざわめき騒ぎ、何事かと覗き込んだ釜爺が、ほぉ、と頷いた。
その雪を見た者達は…寒さに弱いカエル男たちでさえ…皆訳もなく、何かしら少しだけ暖かい気持ちになって、綻んだ顔を互いに見合わせた。


ある意味、今の日本以上に日本的な常識や風俗がまかりとおっている、この世界では、誰も知ることはなく。
また、ここの暦にすっかり慣れてしまった千尋も、とうとう最後まで思い出すことはなかった。

今日は、人間の世界で言う、クリスマスであったことを。

白銀の雪は次々と降りしきり、世界を優しく包み、白一色に染めかえていった。
千尋の、拙い…だからこそ純粋な願いをのせて。


この地上の、全ての者へ祝福を。




or a " White Bless"?
I wish … It is blessing,for you .


Merry Christmas.










いつもお世話になっています『ぐりーんふぃーるど』の雀さまからクリスマス企画フリー小説をいただいてきました!!

う〜〜んv ほんわか読後感vv(幸)
ハクと千尋にも、湯屋の皆にも、そして作品を読むすべての方々へもあますところなく幸せな気分をプレゼントしてあげたい、という、雀さまのあったかなお人柄がしのばれる作品ですよね〜〜

美しい季節感あふれる冬の描写。
あちらこちらに散りばめられた、ハクと千尋の、さりげなくて可愛らしい恋人同士の遣り取り。
どこをとっても、それはそれは心くばりこまやかで・・・・・(ためいき)

暖房のきいた部屋の中で綺麗な雪空を眺めながらホットココアを飲んでいるような、心なごむお話。。。こういうの、大好きなんです〜〜


雀さま、ほんとうにありがとうございました!!

雀さまのサイト『ぐりーんふぃーるど』へは、リンク部屋から行けますので、ぜひ♪





♪この壁紙はさまよりいただきました♪



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