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<<< 電車に乗って (1)>>> 

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ハクがとってもやさしいから。
眠ったふりを、していよう。

千尋が恥ずかしがるといけないから。
眠ったふりを、していよう。


わたしのために。
素足のまま、駆けつけてくれたひと。

子守唄のような声で。
暗闇から呼び覚ましてくれた少女。


ごめんね。
困らせて。

すまなかったね。
悲しませて。

ううん、いいの、のかわりに。

わかっているよ、のかわりに。

そっとつないだ、手。



朝焼けが、背中から何かささやいているけど。
聞こえないことに、しておこう。

波の音が、生まれたての日の光を運んでくるけど。
気づかないことに、しておこう。

もうすこし、だけ。
いいよね。

眠っていることに、していようね。



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湯屋から続く、メインストリート。
まだ日が高いから、営業している食べ物屋は1軒もないけれど。
その大通りから、道ひとつ裏手へ入ったところに、細い辻があって。
そこを抜けると、こんもりとした森に出る。
そこの一本道をどんどんどんどん歩いていくと、古い鳥居が見えてくる。

鳥居の向こうから、人々の活気あふれる声が聞こえてきた。


今日と明日は、市が立つ日だ。
千尋とリンは、大湯女のお姐さまたちにお使いをことづかって、買い物にやってきた。


がたたん。がたたん。
ぽーーーーー。
ちりん、ちりん。


ここは交通の要所なので、駅や船着場もそばにある。
もっとも、交通費がばかにならないから、千尋とリンは、朝早く湯屋を出発し、てくてく歩いてここまでやってきたのであるが。

駄賃だよ、といって、お姐さまたちがおひねりをくれたし、多少の手持ちもある。
お使いを済ませたら、自分達のものも、少しくらい買えるだろう。
はずむおしゃべり。遠足気分のふたり。


鳥居をくぐると、即席の小ぎれいな茶店が軒を並べ。
そこのべっぴんさんたち、団子でもどうだい、うまい汁粉もあるよ、などと景気のいい声が、そこここからかかる。


油屋の従業員達は、深夜労働が基本だから、普段は朝が遅い。
本当なら、彼女たちも、まだ眠っているはずの時間。
でも、ちょっと華やいだ場所へ出かける機会を与えられた二人は、うきうきと早起きをして、市へやってきたのだった。


流行りの半襟、かんざし、髪結い油に、香り袋。きれいな透かし模様の懐紙。千代紙細工のような、可愛いお菓子。
自分のものになるわけではないのだけど、こういう買い物は心がはずむ。

普段、きつい労働の中にいる彼女達にとって、たまの、こういう機会は絶好の息抜きなのだ。

あれが綺麗、あ、こっちのもかわいい、とはしゃぐ妹分を横目に、大きく伸びをする狐娘。
天気もいいし、物珍しい品々を冷やかして歩くのは楽しい。


「なあ、セン、姐さんたちの買い物がすんだら、芝居小屋でも覗いて行くかー?」
と、振り返ると。
すぐ後ろをついてきていたはずの、少女がいない。

「え?あれ、セン!?!」
人込みで、はぐれたか?
あわてて引き返そうとしたリンの足元から、ひょいと声がした。

「ここ、ここ。ごめん、リンさん」
視線を落とすと。
露店商のむしろの前に座り込んで笑う、千尋。

「なんだよー、おまえ、チビなんだから、急にしゃがみこんだりしたら、どこ行ったかわかんなくなるだろー?」

何か、面白いもんでもあったか? と尋ねながら、千尋が熱心に品定めしているものを覗き込むと。

彼女が手にとっていたのは、おおよそ若い娘が喜びそうなものではなくて。

ふるぼけた小瓶につめられた、あやしげな軟膏。
錆びついた蓋は埃にまみれている。
ラベルがついているのだが、もう、シミだらけで、印刷されている文字など、読めやしない。

「なんなんだよー、その小汚いの? ややこしいもん買うんじゃねぇよ。さ、行こ」
「でもね、あのね、、このお薬、龍にも効くんだって、おじさんが・・・・」
「ああん??」

龍って。また、アイツのことか。

「あのなぁ、龍ってのは、オレたちと違って、薬なんか塗らなくったって怪我も病気もじきに治るようにできてんだよ。よけーなモン、買うな」

「でもぉ・・・・」
千尋は困ったような眉をしながらも、なかなか立ち上がろうとしない。
この人の子は、ひ弱そうに見えるくせに、案外強情なところがあるから困る。

狐娘は折れた。
「しょうがねぇなぁ。ホントに効くのかどうか、わかったもんじゃないぜ?」
それでいいなら、好きにしなよ。と。

「うん!」

支払いをしようとしている様子をちらと横目で見て。
ちょっと待て、冗談じゃない!

「こらセン!言い値で買うやつがあるか! やい、おやじ!これっぽっちのもんでそんなにぼったくるたぁ、何考えてやがる!」
「あ、あの、リンさん・・・」

まったく。
どこまで世間知らずなんだか。

結局、リンの交渉で、最初に千尋が支払おうとした額の半分ほどの値に落ち着く。

「ありがと。リンさん」
「セン、おまえ、もちっと社会勉強、しろ」

でも、ま、本人がいたって嬉しそうにしているものだから。
リンはそれ以上、言うのをやめた。



楽しい時間は過ぎるのが早い。
そうこうしているうちに、日はいつしか中天を過ぎ、帰る時刻が近いことを告げている。

ふたりは帰り道にそなえて、温かいうどんで腹ごしらえをしていた。
リンはとっくに食べ終わっているのだが、この少女は人の子のくせに猫舌らしく、うどんを一本一本箸でつまみ上げては、ふうふう吹いてから口に運ぶものだから、まだ半分以上残っている。

「セン、さっさと食って帰らねぇと遅刻すっぞ」
「う、うん」

ま、姐さんたちの用事での外出だから、多少の遅刻は大目に見てもらえるだろうけど。
・・・あんまり遅くなると、また例の帳場頭がうるせーんだよな・・・・

あ、いやいや、今日はハクのヤローはいないんだっけ。
あいつ、時々いなくなるもんな。
んじゃ、そんなに急ぐことも、ないか。

早起きしたから、少々眠たい。
妹分がはふはふと、精一杯急いでうどんを啜っているのを、眺めながら。
狐の娘は大きなあくびをひとつ、した。



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