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<<< 電車に乗って (2)>>> 

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千尋とリンが遅刻寸前で湯屋へ戻ってくると。
そこは何故か騒然としていて。

父役や兄役がばたばたと走り回っていて、ただならぬ気配。
なのに。
なにがあったのか尋ねても、もごもごとごまかされるばかりで。
誰も何も教えてくれない。


ふと、出勤札の掛けてある板に目をやると。
ハクの名札が表を向いていた。


ハク、帰ってきてるんだ。
だったら、ハクに、聞こう。


そう思って、彼の部屋へと急いだ千尋が見たものは。


ぎりぎりと傷にさらしを巻いたままの姿で、今にも暗い空へ飛び出さんとしていた少年だった。

「どうしたの!? どうして、そんなひどい怪我・・・」
思わず白い水干にすがりついた小さな手を、龍の少年は力任せに振り払う。

「小湯女の出る幕ではない。持ち場に帰れ」

「そんな身体で、出かけるの!? やめて!!」
「そなたには関係ない。戻れ」
「湯婆婆さまに、また、お仕事いいつかったの? どうして? どうして、ハクばかりそんな目に遭わなきゃいけないの!?」
「私に構うな」
「せめて、ちゃんと手当てしなきゃ!わたしね、市で・・・」
「要らぬ!」
取り付く島もない態度に、千尋の顔が歪む。

「いや! もうやだ! こんなハクは見たくない!」
「私の事は・・ハク様と呼べ!!」

つぶらな瞳を、冷えたまばたきひとつで強引に突き放して。
少年は白い龍の姿となり、暗い天(そら)高く飛び立つ。


人は、飛べない。
天に逃れられたら、追う術はない。

「ずるい! なんでわたしには何も教えてくれないの! ハクの、ばかーーーー!!」



遠目にも、ぼろぼろに怪我をしているのが、わかる。
不自然な飛び方は、深手の腹をかばっているためらしい。


こういうことは、初めてではない。
龍の少年は、時折姿を消しては、悲惨な姿で戻ってくる。

そして。
どんなに尋ねても、その訳を教えてはくれない。
子供扱い、されているのか。
ただの人間だから、話しても仕方ないと思われているのか。

突き放されたのが悲しいのではない。
ハクの役に立つことが何一つできない自分という存在が、情けない。
龍のはしくれにでも生まれていれば、よかった。
怪我を治す魔法のひとつでも使える魔女なら、よかった。
ハクのお仕事を手伝ってあげられるほどに賢い娘なら、よかった。

彼にとって千尋が、闇に引きずり込みたくない、たったひとつの白い花であること。
それゆえに時に冷たい境界線を引かれてしまうこと。
それらを理解できるほどに、彼女は大人ではない。

ときに、大好きなひとを遠く感じてしまう、少女の憂い。


やりきれない思いをこめ、千尋はもう一度、夜空に向かって、ありったけの声で叫んだ。

「ハクのことなんか! もう、知らないからーーーーっっっ!!!」






少女のよく通る声は。
どんなにかすむ雲間にいても、届く。
どんなに高く月に近づいても、届く。
白龍の胸には、届く。


どうして・・・。
どうして、もっと優しく言い含めてやるということが、
できなかったのだろう。

まだ、子供なのだから。
何か、上手な気休めでも言ってやれれば、よかったものを。


自分は、不器用だ。


ちりり、と白龍を苛む後悔。
でも。
一刻を争う。


龍はまだ癒えない体中の傷を風にさらし、目的とするものを求めて、月夜を急いだ。




* * * * *


「教えろよッ! 言わないってんなら、おめーらとは、金輪際口きかねーぞ! もう泣き事持ってこられたって、談判しに行ったりなんて、してやらねぇからなッ!」
「そんなぁぁあ。。」

リンが小湯女たちを問い詰めていた。

「な? おめえ達から聞いたなんて、言わないからさ。ほら、市でいいもん、見つけてきたんだぜ? ひとつずつ、やるよ」

センには絶対言うなって、ハク様に言われてるんだよぉ、、という娘たちを、さんざ脅したり釣ったりして、無理やり白状させる。


「・・このところしょっちゅう薬草畑を荒らしに来るもののけがいただろ? ハク様はさ、さっきまで、そいつを退治しに行ってたんだよ」

「それで?」

「で、、、ハク様の留守に・・・その、、、センのおやじさんが・・・」

「おとうさんが!? どうかしたの?!」
小湯女の口から出た、思いがけない名に、思わず声を上げる、千尋。

「脱走しちまったんだよぉ」

「ええええーーーっ!?」

「しかもな、配膳場に迷い込んで、お客様にお出しする料理を、食い散らかしちまったもんだから」

千尋は真っ青になった。
そんなことをしたら! 湯婆婆の怒りを買って、今夜にでも酢豚か豚汁にされてしまうのは目に見えている。

「そりゃ、やばいぜ。どこにいんだよ、センのおやじさんは?!」

「今、ハク様が探しにいってる!」




あ!!
そういうことだったんだ!

どうしよう。
わたし、あんなひどいことを言ってしまった。

謝らなくちゃ!


千尋は、もう、夢中で走り出していた。


「こらセン! どこ行くんだっ!」

「ごめんなさい! リンさん、みんな! わたし、きょうはちょっと風邪で休みってことにしといてっ!!」



* * * * *



今夜、湯婆婆が留守をしていたのは、本当に幸運だった。

豚が逃げ込んだのは、西の森の方角だったという。
白龍は高度を落とし、うっそうとした木々の茂みに目を凝らす。
龍は、夜目が利く。

豚の足だ。
そう遠くまでは行っていまい。
豚が荒らして行った調理場は、魔法で後始末をつけてきた。
湯婆婆が戻るまでに、なんとか見つけ出して、家畜小屋に連れ戻してしまえば、あとはなんとでもごまかしがきくだろう。

ただ、このあたりは急な崖や谷が多い。
怪我など、していなければいいのだが。


ふと、かすかな動物の臭いを感じた龍は、すとん、と地に降り立つと、少年の姿になった。

素足が秋の下草の夜露に濡れる。

近い。

少年は静かに目を閉じ、透視を始める。


--------ああ、いた。あんなところに。


小高い断崖の上、こんもりと積もった落ち葉だまりに。
気持ちよさそうに横たわり、大いびきをかいている、桃色の豚。

やれやれ、あっさり見つかってよかった。
今ならまだ、充分間に合う。

ハクはほっとして豚に近づいたのだが。

ぱきっ。
足元の枯れ枝を踏んだ拍子に、意外に響く、乾いた音がした。

「ぶひ?」
その音に驚いて目を覚ました豚。

「ぶひーーーーーーー!」

<しまった!>
油断した!
慌てて身構えようとしたハクに体当たりを食らわして、豚は森の奥へと全力で走り出す。

大きく後ろに弾かれた拍子に、頭から谷底に転落する少年。
片方の草履の鼻緒が切れ、月夜に弧を描いて闇に吸い込まれる。

<くっ!>
下へ下へと落ちてゆきながら、ハクは、もう片方の足に残っていた草履に呪を込め、豚に向かって投げつける。
草履は空中でその姿を荒縄に変え、逃走する豚を縛り上げた。

次の瞬間。

ざんっ。

固い土に我が身が叩き付けられた、鈍い音。

まだだ。
まだ、術を解くわけにはいかない。

ハクは奥歯を噛み締め、ぶいぶいもがく豚を上空にほわっと浮かべると、最後の力を振り絞り、湯屋の家畜舎へと送り返した。






--------そこまでが、少年の体力の限界。






仰向けに倒れたまま、肩で息をする、翡翠の瞳。
息をととのえるには、腹式呼吸が一番よいのだが。

今の衝撃で、腹に巻いていたさらしが緩み、傷が開いてしまった。
胸や腹いっぱいに息を吸い込むと激痛が襲う。


思ったより出血が多かったらしい。
薄らぐ意識の中で。
その脳裏に浮かんだものは。




赤い太鼓橋。


すべるように谷底を駆け抜ける電車の音。


その姿を追おうと、橋の欄干から身を乗り出している、桃色の水干。
吹き上げる風にあおられる、結い上げ髪。


--------ねぇ。あの電車、どこへ行くの?
--------乗ってみたい?
--------うん! 連れてってくれる?
--------じゃあ。今度の休みにどこか、行こう。
--------本当!? わぁっ、楽しみ!!



ええと。定休日は明日だったっけ。

少し休んだら、帰らないと。


・・・・・少し、休んだら・・・・・



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