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花筏(はないかだ) <1>
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いにしへの 花の宿りに 渡り寄る 胡蝶の想ひ 見するよしもがな
「まあまあ、ハクさま、ようこそお越しくださいました・・・そちらが、お連れ様ですね?まあ、なんと可愛らしい・・・・」
愛想のよい女将(おかみ)。
もちもちとふくよかな身体を揺らし、どうぞどうぞと、自ら二人を部屋に案内する。
「女将さん、世話になります」
ここは、温泉宿『櫻屋』。
『油屋』などとは少々経営方針が異なり、専属の湯女たちなどは特に置いてはおらず、あくまでも湯治・宿泊をなりわいとしている宿であるが、ある意味同業者である関係上、ハクはここの女将とは顔馴染みであった。
山あいのささやかな温泉宿。
ふたつの川が合流する渓谷の中ほどに、その宿はある。
小さな滝を幾度も落とし、息せききってほとばしる気の荒い渓流と。
静かに水をたたえた淵からゆるゆるとした流れを引く、はんなりした川と。
ふたつの流れがちょうど落ち合うところに。
匂い立つ、満開の八重桜。
それに覆い隠されるかのように、ひっそりとこの宿は息づいていた。
ほどよく鄙びた、落ち着いたたたずまい。
「あ・・・・?」
表玄関から、川を越えてしつらえられた吊り廊下を渡って部屋へと向かう途中、千尋はふっと足を止めた。
「どうかした?」
「あのね・・・ヴァイオリンか何か?・・・の音が聞こえるような・・・」
さやさやと光るような音を立てるせせらぎに混ざりあい、溶け合いながら。
どこからともなく、胸の琴柱を揺らす甘い音色が。
水音と弦の織り成す、絶妙なハーモニーが心地よい。
女将があわてて申し開きをする。
「あ、あれは・・・うちの娘が弾いているのでございます。申し訳ありません。日が落ちたら弾かぬよう、言い聞かせているのですが・・・・これ、だれぞ、沙耶に音を止めるよう、言うておいで」
「え?うるさくなんて、ないです。どうぞ、そのままで」
責めたつもりは毛頭なかったので、千尋が慌てて言葉を足す。
むしろ、きれいだなあと・・・・。
「でも、お客様・・」
「我らは構いませぬが? よき風情ではありませんか。気良く弾いておられるところを途切れさせるのも、詮無いこと」
「・・さようにございますか・・・・?」
「沙耶嬢は常から楽の嗜みが深くていらっしゃるが、・・・今宵のは何やら舶来の楽のような」
「ええ。まあ」
「あいかわらず、よいお手であられる」
「ま、そのような」
愛娘の演奏を誉められて、女将はぱっと愛好を崩す。
甘い調べとなごやかな会話を楽しみながら。
緋毛氈を敷き詰めた吊り廊下を渡り終えると、離れの別館にたどりつく。
「では、こちらへ」
「? ・・・・ここは・・」
なにかの間違いではないか、と問うハク。
数多くの部屋をかかえる本館から独立して、
川の中ほどにある中州にしつらえられた別館。
ひと組の宿泊客のために、こぢんまりした庭付きの小邸をひとつあてがうようなもので。
女将が、からからと門の格子戸を引く。
うながされて、そこをくぐると。
植え込みの中に、白砂利が敷き詰められた小路(こみち)。
そこには、ほどよい間隔で飛び石が置かれ。
足元が危なくないよう、脇にはうす灯を入れた小ぶりな石灯篭。
その小路の先には、灯りの入った藁葺き屋根の小座敷がととのえられている。
座敷の縁側に面して、庭。
おそらく、この中州にもとから生えていた八重桜の木々をそのまま活かして造られたものだ。
その中でひときわ大きな老木を庭の左手に配し、そのかたわらには小造りな藤棚。
ほっそりとした薄紫の花房が、いくすじか川風にゆれている。
藤棚の下には、遣り水とささやかな池が作られていて。
ときおり、かぽん、・・・・と、ししおどしの落ちる音。
そのたもとには夕顔と女郎花(おみなえし)のひとむらが。
季節感なく花が咲き乱れているのは、油屋とある意味同じなのだが、桜以外の花には強い主張がないもの選び、しかも控えめに配しているためか、さほど違和感がない。
落ち着いた、女将の趣味のよさがうかがわれる庭である。
花の庭の向こうの、竹でできた透垣(すいがい)に囲まれたところから。
こぷこぷとあたたかな水音がするのから察するに、湯殿があるらしい。
ここは、特別待遇の部屋だ。
とてもではないが、自分が申し出た金額内でおさまるような、部屋ではないはず。
自分は確かに、女将と顔馴染みではあるが、たかだか同業の店の帳場預りの身、このようなもてなしを受けるいわれはない。
ハクが何か言おうとしたのを察して、女将があわてて口を開く。
「あの・・・実は、急な団体さまのご予約がありまして・・・当初ご用意させていただく予定だった部屋を変更させていただかざるを得なくなりまして・・」
「いや、そのようなことは一向に構いませぬが、これではあまりに・・・・」
「いえ!いえ、あの、、、、、ほんとうに申し訳ございません! その・・・」
平謝りする女将。
「どうかされましたか?」
女将は小声で耳打ちする。
「その・・・・二部屋続き部屋をご用意するようにとのお話だったのですが・・」
「部屋が、離れると?」
確かに、中州にあるのは、見たところこの一室だけ。
本館は吊り廊下をはさんで、川向こうだ。
かすかに眉をくもらせる、ハク。
せっかく、千尋と二人でやって来たというのに。
それは・・・少々興ざめな・・・・。
「いえ、、、そうではなく・・・」
「?」
「申し訳ありません!!!!」
「・・・この一部屋に、・・・・・ということでしょうか?」
まるい身体を小さく折ってひたすら謝る女将。
義理があって、どうしてもその団体客を断れなかったという。
小さな温泉宿。
部屋が足りなくなってしまったということらしい。
「あの、、、奥座敷のひと間は、一応、内からも鍵をかけられるようになってはおりますが・・・」
少年とその同伴者との微妙な距離感を掴みかねて、彼女は言葉を選び選び、汗をかきながら説明する。
・・・困った。
いや、むろん自分は嫌ではないが・・。
ハクはちらりと千尋の顔をうかがう。
これでは、まるで。。。。
はなから『そういう』目論見で、との誤解を招くのでは。
それは、かなり不本意な。
かといって、言い訳などすると、よけいにわざとらしいか。
口元に手を当て、眉間に皺をよせて、なにやらぶつぶつとひとりごちているハク。
を、気にするふうもなく、千尋はけろりと言い放った。
「え? いいよぉ? このお部屋、すっごく広くて綺麗だし。わたし、こんなところに泊まるの初めて!! 早く入ろ!」
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