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 花筏(はないかだ) <2> 

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その何日か前のこと。





新商品『油屋いろはかるた』の字札をすべて書き上げれば、千尋とふたり、一泊二日の休暇を出す、と湯婆婆はハクに約束した。


ハクがやっとの思いで字札をそろえ、湯婆婆に差し出すと。


「ああ、ご苦労さん。下がっていいよ」

「は・・・?」

「聞こえなかったかい? 下がりな、って言ったんだよ。」

「あ、あの・・・例の、『約束』は・・・」

「ああ?」

「『約束』・・・です」

「何だっけ?」



   く。しらばっくれるなんて。
   ・・・・・い、言いにくいではないか。




「字札を書き上げれば・・・・『休み』をいただけると・・・」


「ああ! アレのことかい!」

「思い出していただけましたか」


頷く湯婆婆に、ほっとする、ハク。




「思い出したよ。センをどっかに連れ込みたいとか言・・・」

「『連れ出す』、のですっっ!!」
・・・・に、日本語は正しく使ってもらわねば!!




がしかし、女経営者はむきになった少年の様子を、爪の先ほどにも気に止めることなく。


「しかしねぇ、営業日に二人揃ってフケられたりしちゃあ、下のモンに示しがつかないだろうが」

「はあ・・しかし、『約束』では・・・」
・・・・それを楽しみに、幾晩も、幾晩も、幾晩も、徹夜をして、、、、


ハクは長い睫毛を伏せ、指にできたいくつもの赤い筆マメを見やる。





「泣くんじゃないよ、そのくらいで」

「泣いてなどいませんっっ!」



「ちょいと気に入った小湯女の二人や三人に手ェ出すくらい、ごちゃごちゃ言わないけどね、あたしゃ。」

「『一人』です!!!」
だから!日本語は正しくっ!!!


「『不倫旅行』ってうのはちょっとねぇ。」

「『不倫』ではありませんっっっ!!!!」
日本語知らんのかっ!!
独身だっ!ふたりともっ!



目の前に食い下がる少年の額を、つんつんときせるで小突きながら、湯婆婆は続ける。

「ともかくね、えこひいきは困るんだよ。なんせ女の多い職場なんだから。」



   そ、そんなことは、言われなくとも!!
   ・・・・贔屓するどころか、皆の前ではむしろそっけなくしているくらいなのだ!



反論しかねてじりじりしている少年を横目に、ぷはーーーっと煙草の煙を吹き出し、湯婆婆は思案顔。



「でもまあ、『約束』を反故(ほご)にするのは掟に反するしね」



   そうそう。破っては、いけないのだ。『約束』は。



少年の瞳に、ほっとかすかな希望の光が。



「だから、あんたから『辞退』してくれないかね?」

 
 がぁるがるがぁぁあーーーーーーーっっ!!!



いきなり龍姿となってしまい、湯婆婆に噛み付かんばかりの、ハク。


の、頬をぺしぺしと叩きながら。
「ああッ、うっとうしいッ!!! やめなってば、みっともない! わかったよ!」




じゃあ来週の末、廿日(はつか)の日から休みをやるよ、二人してどこにでも好きなとこ行っといで、と彼女は言い渡した。


安心して、少年の姿に戻る、ハク。


だが。


「あ、その日は・・・油屋の『社員親睦旅行』の日では?」

「ちょうどいいじゃないか」

「・・・・は・・?・」


・・・・反論しようとして、、ハクはやめた。



確かに、湯屋の営業日に二人そろって休みを取ると、きっとリンや坊が勘繰ってうるさいだろう。


ふたりで手荷物を風呂敷にまとめ、仲良く太鼓橋を渡って出かけるところなど、皆に見られたときには。

特に、大湯女連中に見つかりでもしたら。




・・・・・・何を言われるかわかったもんじゃない。




社員旅行に欠席するほうが、まだ目立たないか。

もし何か言われても、言い訳など、いくらでもできるし。

帳場の仕事が残ってしまって行けなくなった、とか。
急な出張を命じられた、とか。

千尋の方は・・・・・・まあ、何とでも言い逃れできよう。




頭脳明晰な帳場頭のこと。
口実とアリバイ工作くらい、いくらでも思いつく。

・・・・恋する乙女、いや龍神はいくらだって強くも、小ずるくもなれるもの。





「いい考えだろ?」
意味ありげに、にやりと目尻で笑う、魔女。

「はあ・・」

「それともあんた、『社員旅行』とかって好きだったかね?」

「いいえ。」


もちろん、彼にとって社員旅行など、気の進むものでもない。
千尋とふたりで過ごす方がずっといいのは、言うまでもなく。



「承知いたしました」




うまく丸め込まれているような気がしないでもないが。
まあ、いい。






一方、湯婆婆にすれば。
湯屋営業日に、ハクに帳場を留守にされるというのは、できれば一日でも避けたいところ。


それに、旅行代金の会社負担金が二人分浮くのも、ありがたい。
今週中に手続きすりゃあ、ぎりぎりキャンセル料もかからないし。
もちろん、この子らが出かける費用は、自前。こっちの知ったこっちゃない。
ほほっ。



ほんと、抜け目のない湯屋経営者と。
目の前にニンジン、もとい、千尋をぶら下げられた龍の少年との間で。



・・・・『商談成立』。
しゃんしゃん♪





ハクは、静かに頭を下げて、湯婆婆の部屋から退出した。


ぱたん。ドアを閉め。



そして。

弾む足取りで、エレベーターへ。



しゃ〜あ♪ しゃ〜あ♪ しゃ〜あ〜あ〜〜〜〜♪♪




おっといけない、気持ちが浮き立って、思わずまた龍姿になっていた。
これではエレベーターに入れない。



白龍は、何食わぬ顔でまた少年に戻り。
エレベーターの中に姿を消した。





その後ろ姿を。


目を丸くして固まったドアノブが、呆然として見送った。
「・・・・・・『龍のスキップ』・・なんて。。。初めて見たよ・・・・・・」





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