**********************
<<< 初詣 (1) >>>
**********************
わいわいわい。
がやがやがや。
・・・・今宵は大晦日。油屋従業員達の忘年会。
年内の営業は、夕べで仕舞い。
お得意さまに、年末恒例のお土産、「油屋特製カレンダー」も配り終わったし。
どうやら、去年配ったものより好評らしい。
去年のは、カレンダーの表紙がいきなり、ドレスアップした湯婆婆のアップだったし・・
ちなみに、今回のは、こんな感じ。
表紙:油屋全景。
1、2月:油屋の売れっ妓たち。きれいどころの白拍子や大湯女たちがポーズをとって。
3、4月:調理場の面々が腕によりをかけて作った御馳走の山々。
5、6月:湯婆婆&坊のツーショット。真紅のイブニングドレスとブラックタイで盛装。
7、8月:雨上がりにできた海をバックに咲き誇る、油屋自慢の花々たち。
9、10月:油屋の日常生活を撮影した数々のスナップのコラージュ。
よーく探すと、小さくすみっこの方に、誰かと手をつなぐ千尋も写っていたりして。
手しか写っていない、その『相手』が誰かということで、結構、物議を醸したりもしたの
だけど。
11、12月:油屋従業員一同、全員集合。太鼓橋に、きちんと並んで記念撮影ふう。
・・・誰かさんのアップをぜひ、という要望もあったらしいが、彼はそういうことに応じるタイプではないから。
大変だった大掃除も済んだし、今夜は皆で飲めや食えやの大騒ぎで盛り上がっていた。
この忘年会が終われば、明日から数日間、休業となる。
年始休業の間は、実家に帰るなどして、束の間の休暇を楽しむ者も多い。
今夜は、年忘れの無礼講。
「おーーーい! こっち、酒切れてっぞーーー! とっとと持ってこんかー!」
「はーい!」
「ちょいとぉ!つまみがないよっ! もっと何かあったろー!」
「はぁいっ!見てきますーー!」
酔っ払って収集のつかない先輩達の間を、ぴょこぴょこと忙しそうに飛び回る桃色水干のポニーテール。
もう大方、できあがってしまっている大広間の面々。
歌は出るし、踊りは出るし(少々下品なのも。。。まあ、仕方ないとして)、座はもう相当乱れている。
「なにぃ!? ワシと『でゅえっと』するのは嫌じゃとぉーーー?」などと若い娘に絡むセクハラ蛙もいたりして。
あたりは酒臭いし、煙草臭いし、尋常ではない。
湯婆婆は、坊が眠たがるからといって、早々に部屋に引き上げてしまったし。
しらふなのは・・・・
そう、くるくると走り回っている千尋くらいではなかろうか。
前掛けに襷がけで、かいがいしく働いている千尋。
今夜は無礼講なのだし、別に下っ端だとか年若だとかいう気を使って、ちょこちょこと動き回る必要はないのだけど。
お酒が飲めないから、じっと座っていて、もし下手に勧められたりしたら困る。
それに、これといって宴会芸ができるわけではないし、気の利いたお酌もできない。
かといって、一番の新入りが、先輩達を差し置いて、「食うだけ食ったらさっさとお引き上げ♪」なんてことをするわけにも、いかないので。
自ら進んで、酒を運んだり、料理を取りに調理場へ走ったり、といった雑役を買って出たのだが、たぶんそれは、一番賢明な選択。
一方、ぐっと上座のほうには。
軽く立てた片膝にゆったりと頬杖をつき、杯を受けている、ハク。
彼は龍という本性ゆえ、もともと、めったなことでは酔いつぶれたりはしない。
酒を別段美味いとは感じないが、下戸でもない。
仕事柄、呑めないでは通用しない、この業界。
むろん、自分にとっての酒の適量も限界も、わきまえている。
水干の襟元を若干緩め、ほどよく上気した頬で、しどけなく柱にもたれかかってはいるが、乱れるということはまず考えられない。・・・・・・・普段だったら。
まま、おひとつ、とお愛想まじりに徳利を手にいざり寄ってくる蛙男たちや、いわくありげな流し目でお酌しにくる女たちを適当にあしらいながら、少年の形をした龍は、たびたび杯を口に運んでいた。
酒で潤んだ瞳にさらさらとこぼれかかる額髪を、鬱陶しげにかきあげたりする仕草は、わらわ姿の童神のくせに、妙に色っぽかったりするのだが・・・。
本人はそんなことにはまったく頓着してなどいない。
それよりも。
さきほどから、気になって気になって仕方ないことが、あって。
『無礼講』の座に『上司』と名のつく者は長居しないのが、鉄則。
煙たがられる者は、こういう酒の席には形だけ付き合って、早めに退散するのが筋というものだ。
例年なら、彼もそうしていた。
が。
今年はそうはいかない。
千尋がいるのだ。
不埒な事をする輩(やから)がいては、たまらない。
その目や耳は常に。
笑顔でお運び役に徹している少女に、注がれていた。
そちらに大きく注意が向いているものだから、自分が呑んでいる量が、通常よりもかなり過ぎていることに、実は気付いていなかったりする。
「センー。すまんが、こっちきて一杯酌してくれんかのー?」
何ぃ!? 誰だ、一体。
翡翠の瞳が鋭く光る。
「あ・・、はい!」
こら待て。
何故、上手くかわさない?
彼女が誰か自分以外の男に酌をするなど、もっての他だ。
声の方にきっと鋭い視線を向けると。
「いやぁ、セン、お前、ようがんばっとるなぁ。ここに初めて来た時は、どうなることかと思ったもんだが・・・」
ずずぃっと鼻をすする、しわがれた声。
「はい。釜爺さんやみんなのおかげです。あの、どうぞ」
あぶなっかしい手付きで杯に酒を注ぐ、千尋。
これでいいのかな、と相手の表情を伺う少女と、目を細めて美味そうにそれを飲み干す蜘蛛の老人。
「ありがとよ・・ううう、、この老いぼれは嬉しいぞ。ほんに、センは可愛いのぅ。けなげじゃのぅ。本物の孫みたいに思える時もあってな。うっうっうっ」
おいおいと泣き始める老人。彼は飲むと、涙もろい。
・・・・ああ、釜爺か。ならば、問題はなかろう。
少年は気を取り直して、膳の上の壬生菜(みぶな)と占地(しめじ)の和え物に箸をのばす。
さすがに、酒ばかり胃に入れていてはよくないことに、ようやく気がついたのだ。
ほろ甘い、味噌と胡桃(くるみ)の風味が口の中に広がる。
もともと、宴会などは好きな方ではないが、今回ほど、気疲れする宴はない。
一刻も早く、お開きになってほしい。
ハクは小さくため息をついた。
千尋は、釜爺の前にちょこんと座り、いっとき彼の話相手をつとめていたが、また誰かに用事を言いつけられ、ごめんなさい、と謝って、席を立っていった。
「きゃぁあっっ!?」
突然誰かに、袖か何かを引っ張られたらしく、小さな悲鳴をあげる千尋。
ぴく。
ハクの眉の端が微かに上がる。
今度は何だ?!
「センーー。 おめー、こんな時くらい、働いてねーで、楽しめよぉ」
「いいんだってばぁ、リンさんー。わたし、これで充分楽しんでるってー」
弾む声で嬉しそうに答える、少女。
リンか。なら、まあ、いい。
ハクは、上げかけた眉を下ろし、また杯をあける。
青蛙がすかさず寄ってきて、お代わりを、と勧める。
「いいから、座れー」
リンが赤い顔で千尋の腕をぐっとつかむ。
「話して聞かさなきゃーならねーこと、山ほど、あんだからさっ」
どうやら、彼女は酔うと説教じみるクチらしい。
「だーいたいなぁー、おめぇってば、見てて危なっかしーんだよー」
「うん、さっきも転びそうになっちゃって」
「そぉじゃねーよ。・・・あんまりぃ、蛙たちの方いくなってーの」
「?」
「まぁぁったくトロいからなーー。自分じゃ気づかなかっただろーけどな」
「うん?」
「あのウシガエルのヤツ、さっきセンの尻、触ろうとしてたんだぜぇ?」
「えーーっ!?!?」
なにぃ?!
下げかけた眉をまた上げ、目線だけで牛蛙の方を睨む、龍の少年。
ちょうど、そちらは柱の陰で自分からは死角になっていたらしい。
いったい、いつの間に!?
体の向きを少し変えて、うかがうと。
牛蛙は、大湯女の肩を抱いて、げひげひと大口開けて笑っている。
と、次の瞬間、何をやらかしたのか、彼女にばし!とひっぱたかれた。
結構『回って』いる少年には、その大湯女の姿と千尋がだぶって見える。
げ、減給してやる! いや、配置換えのほうが、いいか?!
理由など、なんとでも・・・っ
・・・かなり酔っ払いモードが入っていることに、
得てして本人というのは、気付かないもの。
白い指に乗せられた杯が、わなわなと震える。
その杯に酒を注ごうとしていた青蛙は、何か機嫌を損なうことでもしたのかと、おろおろと上司の顔色をうかがった。
「ハ、ハク様?」
「あ、いや、なんでもない」
取り繕うように、また杯を干す、ハク。
そしてそれを、くい、と青蛙の前に突き出す。
すかさず、徳利を差し出す、青蛙。
「それになーぁ、新しく飯場に下働きで入った、何とかゆーヤツ、オレの目から見たら、あれも、なんか怪しーぜぇ?」
「怪しいって?」
「センが、用事言いつけられて調理場行くたんびにぃ、なーんだかーんだ言って、アイツも一緒に席、はずしてるじゃねぇかよぉ」
何だと?
そんな事までは気付かなかったぞ!?
杯を持つ手がふるふると揺れるものだから、青蛙の持つ徳利の口がハクの杯にかちかち当たって、注ぐはしから、酒がぼたぼたこぼれる。
青蛙は顔色を失った。
が、彼はそんな事には気も止めず。
翡翠の瞳をますます固くしていたので。
蛙は小刻みに震え始めた。
「ええと?ああ、あのひとね、調理場で一番新人さんなんだって。小湯女の中のわたしと同じで」
「で?」
「んー。だからじゃない?しょっちゅう台所に行かされるの。別にわたしのあと、ついて来てるとかじゃないと思うよ。」
「ふんッ。どうだか」
「さっきもお酒あたためるの、手伝ってくれたの。やけどしたら大変だよって、いっしょにお鍋支えてくれて。いい人だよ」
「・・・おまえね・・・・そーゆーの、ちったあ疑ってかかれって」
ハクは、たん!と杯を膳に置いた。
「す、すすすっ、すいませんーーーーーッ!!」
訳も分からず平伏する、青蛙。
青蛙の姿など、とうに目に入っていなかった龍の少年の眼前には。
新人の調理場見習いと千尋が、仲良く一緒にひとつの鍋を抱えて、酒を燗する姿がもやもやと浮かんでくる。
・・・・・あの若造!
先日、高価な大皿を割ったのを揉み消してやったというのに。
その恩(?)を忘れたか!?
事と次第によっては。ただでは済まさぬ!
あらあら、酔っ払いモード、全開。
翡翠の目がもう、氷のように、据わる。ほとんど、殺意に近いかも。
青蛙は腰を抜かし、ど、ども、と引きつった愛想笑いを浮かべながら、泡を食ってその場を下がってゆく。
リンは千尋の耳に口を寄せて、さらにぼそぼそとささやいた。
「それから、、あんまり大きな声じゃ言えねぇけどさ、、、いっとう気ィつけなきゃなんねーのはなぁ、、」
ま、まだあるのかっ!?!?!
ハクの全身は耳になる。
「例の帳場頭のガキ!」
「なんで?」
「気、つかねえのかー?」
「何に」
「さっきから、ずーーっと、ずーーーーーーーーーーーっと、センのことばっか、見てんだぜぇ、アイツ」
「え、ほんとうっ?」
「・・・なんで嬉しそうな顔すんだよ」
「え?ええ、っと・・あははっ」
「気色悪い目付きでじろじろとさー」
リンは手酌で、もう一杯、ぐっとあおる。
「まったく、やらしーったら」
「・・・リン」
「近づくんじゃあねぇぞ。何されるかわかったモンじゃないからなっ」
「リン!」
「あんだよ、うるせえなッ! 大事な話の最中なん・・・・」
振り向くと。
凍りつくような微笑を浮かべた『ご本人』が自分を見下ろしていらっしゃって。
げげっ。いつの間に。背後霊か。
つい今しがたまで、上座にでぇんと座ってたじゃないかよ、コイツ。
油断も隙もありゃしない。
舌打ちする、狐娘。
「リン。少し酒が過ぎるぞ」
「へーい、へいへいへーい。ちょっと覚ましてきまーす。セン、---」
おめーも行こ、と妹分に声を掛けようとした、その一瞬前に。
「千。すまないが、私に冷たい水を一杯汲んできておくれ。少し、酔ったようだ」
「あ、はい」
素直にぱたぱたと台所へ走ってゆく、少女。
少年はさらに、リンに向き直って。
「そなたは、もう部屋へ帰って休むがいい。顔色も悪い」
あーー。セコいぜ、てめー。
そぉゆう手使うかよ。
都合悪くなったんで、オレとセンを引き離そうってか。
何言ってやがる! そうはいくかよッ。
てめーみたいにアブねーヤツがいるトコに、可愛いセンひとり置いて行けるかってんだ!
リンが不服の声を漏らそうとしたのを察したハクは、わざと回りに聞こえるような大きめの声で、付け足した。
「・・・なんなら、私が部屋まで送っていってやろう」
ざわめいていた大広間が、しん、と静まる。
そして。
ぇええーーっ!!!、ハク様が女を部屋まで送るってどぉゆーコトよーーー!!、リンとハク様って、そぉいう仲だったわけー??、うそぉ、まさかあ、おや知りませんでしたな、いやいやまったく意外な組み合わせで、やだー、信じらんないーーー、ほぉっほぉっほ、男と女ってわかんないもんだねぇ、、いいねぇ、若いモンは、やだやだやだっ、ぜぇったい、許さないーー!、、、
・・・などと飛び交う下世話な声々。
衆目をあびて、真っ赤になるリン。
「じょっ、冗談じゃない!!! なんでオレがっ!!!!!!」
「ひとりで帰れるのか?」
「・・ったりめぇだっ!!!」
頭に血が上った狐娘は、だん、と立ち上がると、足音荒くその場を去って行った。
・・・・・しまった、嵌(は)められた! と気付くのは部屋についてからのこと・・・・
* * * * *
ぱたん。
調理場の冷氷庫を閉めて、困惑した表情を浮かべる、少女。
どうしよう。
氷が、もうないみたい。
さっきから、よく使っていたから・・・・
もうひとつ、予備の冷氷庫を開けてみたが、やはり、そちらも空だった。
「ハク、冷たいお水が欲しいって、言ってたよね」
調理場に引いてある水は井戸水なので、冬場は生あたたかい。
窓の外は、一面の雪景色。
そこにまた、ふうわりふうわりと、きれいな綿雪が舞い始めていたが、まさかそれを持っていくわけにも、いかない。
「ま、いいや。氷室(ひむろ)まで行ってこよう。そんなに遠くないし」
ずっと宴会場の熱気に当てられていたから、外の空気を吸うのも気持ちいいだろう。
千尋は、勝手口に掛けてあった従業員用の綿入れを着込み、藁で編んだ冬用のはきものを履いて、雪花の舞う表へとんとんと出ていった。
<INDEXへ> <小説部屋topへ> <初詣2へ>