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<<< 初詣 (2) >>> 

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・・・・遅い。

千尋が、まだ戻ってこない。


いくら不器用な人の子とはいえ。
ちょっと、遅すぎる。
何か、あったのか。


心配で、酔いがすうっと覚めてくる。


わいわいと騒ぎの収まらない宴席をそっと抜け出し。
ハクは、千尋を探しに階下へ降りていった。



つい、と調理場の暖簾を押し上げてみると。
奥の方で、小柄な人影がごそごそと動いているのが、ちらと見えた。



・・・・ああ、なんだ。まだここにいたのか。



ほっとして、ちひろ、と声を掛けようとした時。


「あ。ハク様。何かご用で?」
ひょい、と顔を上げたその人影は、探していた少女ではなく、さきほど話題に上っていた、例の調理場見習いだった。


むか。
まさかこいつ、また千尋の後をつけてきたのかっ!?


・・・・とは、おくびにも出さず。

「ああ。先刻、小湯女に水を申し付けたのだが、ここに来なかったか?」
鷹揚(おうよう)に尋ねると。


「さあ? 自分も今来たとこなんですが」
山田舎から出てきたばかり、といった感じの残る、純朴な狸の少年が、ひとなつっこい笑顔で答える。
蛙よりは、人の形に近い姿。
笑うと、形の不ぞろいな前歯がにかっとのぞく。
くりくりとよく動く小さなひとみに、なんとも愛嬌がある。


嘘をついている様子はない。
疑って、悪かったか。
少々反省しつつ、あたりを見回すと、冷氷庫に、ふと目が行った。


「氷を出したのか?」
「は?いいえ?」
「冷氷庫が開けっ放しだぞ」
「わ! ほんとだーーっ! すいませんっ!」

あわててそれを閉めようとして、足元のがらくたに盛大につまづく、狸。
「うわぁっ!」
どっしーん。がらがらぐわあっしゃーーーーーん!
顔から派手に転んで、いったぁ、と鼻を押さえる。


元気なのが取り柄だが、ちょっと、そそっかしいところがあるのだ、この新入りは。
なんだか、小憎めない。どことなく千尋に似ていて。


苦笑しながら助け起こす、ハク。
「気をつけろ。もう、何か壊しても、この間のように私の一存で誤魔化すことはできないぞ」

「は、はいっ。あの、ありがとうございましたっ! あ、あれ?」
「どうした?」
「あ、いえ、氷がもうなくなってるもので」

ちょっと氷室(ひむろ)に取りに行ってきます、という狸の言葉に。

ハクははっとした。

もしかして。


「私が行ってこよう。そなたは席に戻れ」
「ええっ!?!? ハク様にそんな事させられません!」
「いや、いい。ちょうど酔い覚ましに、外へ出たかったところだ」

でも、、と押しとどめる狸をやんわりと制し、外へ出ようとして。

ハクは、ふい、と振り返った。

「その・・・そなた、・・・」
「はい?」
「あー、従業員を束ねている立場上、ちょっと尋ねたいのだがな」
「はあ」
「ここは、・・・その、別に従業員同士の個人的な交際を禁じているわけではないが」
「はい」
「その、だ、・・誰か好いた娘でもいるか?」
「はぁっ????」
「いやその、特にそなたのような新人の場合は、そういうことが仕事の差し障りになることも、ないではないから」
「えーーと。自分、まだ入ったばかりで、調理場の先輩以外で口きいたことがある人ってあまりないもんで・・・」
「まあ、大湯女や白拍子たちとは話もしづらいだろうが・・・・そうだな、小湯女たちなら、気安く言葉など交わせるのではないか?」
「ああ!姐さんたちよりは、あの子らのほうが話しやすいです」
「例えば」
「・・例えば?」


・・・・・・。



やめた。
この狸、千尋なみに、察しが悪そうだ。
きょとんとしているところを見ると、リンが(いや、自分が)心配しているような事はなさそうだし。


「いや、いい」
「はぁ」


そんなことより、千尋を探さねば。

勝手口から雪の庭へ出て行くハクの後ろから。
思い出したように、狸が突然大声で呼びかける。


「あー! ハク様ー! 自分、小湯女ん中では、お千ちゃんが一番可愛いと思いますーー!」


ずでっ。

雪の中でハクが、コケる。
あの狸、ほんとに何も考えてないのか、それとも、こっちの気持ちを見透かした上で、わざとわかってない振りをしているのかっ!?
それに何だ。その馴れ馴れしい呼び方はっ!?


かっと振り返ると、勝手口のところでにこにこと手を振っている、見習い狸。

その邪気のない笑顔を見て、・・・たぶん、何もわかってはいまい、案ずることはなかろう、と思い直し・・・・自分を納得させて立ち上がる。
着物についた粉雪をぱんぱんと払いながら。


・・・調子の狂うやつだ。


「でもーーーー! お千ちゃんよか、ハク様の方が断然イケてると思いますーーー!!」


ずででーーーーーーっ!

やめて欲しい。千尋以外の、しかも男から言われても、ちっとも嬉しくない。
男に対する誉め言葉には、あまり聞こえないし。言った本人は誉めたつもりなのかもしれないが。
ハクは頭を振って、雪の中から起き上がり、ぶつけた腰をさすりながら歩き出す。


「自分ーー、ハク様のファンですからぁーーーーーーーっっ(はあとっ///)!!」


ずでででででででーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!


いたたたた。
・・・・・反応するのはやめよう。
もう、行こ。


ぶんぶんと手を振っている狸に軽く手を振り返すと、ハクは真っ直ぐ氷室を目指した。



* * * * *

ハクが氷室の前にやってくると。


・・・・・ああ、やっぱり。


氷室に立てかけてある小屋根をこじ開けようと、悪戦苦闘している千尋。

氷室にもいろいろな種類があるが。
ここの氷室は、地面に穴を掘って藁を敷き詰め、そこに新しい雪を詰めて踏みしめたところに、また藁を掛けて、上から重い小屋根を乗せて蓋にするような構造になっている。
日を置くにつれ、穴の中の雪は固く透明な氷となり、夏までもつ。

その小屋根が、あとから降り積もってきた雪で凍り付いて、うまく開けられないのだろう。


「千尋」

はらり、とポニーテールを揺らして、振り返る少女。

声の主に気付いて、にっこりと微笑む。
真白い世界の中、そこにだけ、桃色の花が一輪咲く。

「ハク。待ちくたびれちゃった? ごめんね、氷がなくなってて、取りに・・」




ハクは眉をひそめて、少女の真っ赤になった手を取る。


--------かわいそうなことを、させてしまった。


「ハ、ハクぅっっっ?!?!?!?」

少年は目を閉じ、両の手の中に包み込んだ、赤ぎれた小さな手を自分の唇に押し当てた。

「ああああ、あのっ、、、、」

動揺する少女の声に構うことなく、氷よりも冷たくなってしまっているその指を、ひとつひとつ、自らの唇であたためる。


やわらかくて、あたたかくて、くすぐったい感覚に、千尋の心臓は沸騰しそうになって。
「ああああああの、、、ハク、そんなことしなくていいからっ、その、、、っ、、、、」

「手はあたたまった?」

「う、うん、うん、もう、あったまった」
あったまった、というより、爆発しそうなんだけどっ。

「他に、冷たいところは?」

「なななないっ!!! うん、もうないからっ!」
冷たいどころか、汗が出てるんだってば。

「そう。よかった」
柔らかな、翡翠のひとみ。


・・・もしも少女が。
足の指が冷たい、とでも言おうものなら。
この龍神は、跪(ひざまづ)いてその柔らかな足に接吻するのも、いとわないのではなかろうか。





ごおぉぉん。 ごおぉぉん。


遠くから、鐘を撞(つ)く音が響いてくる。
いつの間にか、雪もやんで。

「除夜の鐘? ここでも鳴らすんだ?」
「そうだよ」
「108回?」
「うん。人にも、動物にも、神々にも、百八つの煩悩があるんだよ」
「ハクにも?」
「ん?」
「ハクにも、『ぼんのう』ってあるの?」
「あるだろうね」

涼しげな瞳で微笑む少年の白い顔を見て、ほんとうかな、と千尋は思う。
そういう、べたべたしたものとは無縁のように、思えるのだけど。



当の自分が、彼の煩悩の一番の種であることに。
気づきさえしない、少女。



「撞(つ)きに行こうか」
「え?」
「除夜の鐘」
「一緒に?」
「そう」

わあい、と手をたたく少女を軽々と背に乗せて、冬の星の冴える夜空に舞い上がる、白龍。


雪をのせて重たげにしなる竹林を抜けて。

平らかな雪原に波打つように描かれた風紋を越えて。

樹氷が光る針葉樹の林を過ぎて。





・・・・・このまま、ずぅっと飛んでいられたらいいのに・・・・・・

そう思ったのは、少年かそれとも少女か。


月の光を浴びながら。
滑るように冬の空を駆ける、白い龍と、人の子。
時折寄せ合う頬と頬は、ほんのりと熱を帯び。
ときめく胸とほてった頬を冷ますのに、夜風の冷たさはちょうどよかったかも知れない・・・・






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