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ぱん。 ぱあぁん。 打ち上げたなら。 軽い浮力のかさりとした手触りを残し。 半透明にくすむまるい残像を虚空に残し。 吐息のような半弧を描いて。 若魚のようなしなやかさで。 届け。 届け。 紙風船。 あのひとのもとへ。 * * * * * * * * * ちんからしゃーん。どんどんどん。 ひゃら、ぴーひょろろ。どどどん、どん。 ちんからしゃんしゃん。からから、からら。 ぴーひょろろんろん。からから、どぉん。 祭囃子(まつりばやし)が呼んでいる。 櫓太鼓(やぐらだいこ)が追いかける。 文月(ふづき)初めの宵の口。 ※文月(ふづき・ふみづき):七月 急勾配の参道の。石階段を上るのは。 藍染め浴衣にしゅすの帯。 見返り姿は目に鮮やかな、朱の文庫。 ※文庫:帯の結び方のひとつ 裾をいろどる、流水模様。 見え隠れするくるぶしの。 やわい白さに良く似合う。 「ふぅ・・・・。やっと、半分くらい、来たかなあ・・・」 長い長い、上り階段。 少々息が切れてしまった浴衣姿の少女は。 立ち止まって、ふっ、と後ろを振り返った。 参道の脇には、とりどりの提灯を連ねた夜店のむれむれ。 金魚すくい、射的、わたあめ、お面。 しょうゆの焦げる、こうばしい香り。 飴りんごのつややかさ。 懐かしげな彩りをはなっているそこから視線をはずし、 少し遠くをみはるかすと。 静かに広がる、山あいの里。 棚田の若稲。そよなでる夜風。 小さな皿を一面に敷き詰めたような、棚田のおもてが光っているのは。 その一枚いちまいに、ひとつづつ、たいせつに抱かれている、満月のせい。 空にひとつ。地に千の、おつきさま。 「千尋、なにしてるの? 夜店はあとよ。さきに、お参り済ませなきゃ」 「・・・・はあい」 悠子にせかされて、千尋はまた、石段を上る。 たよりなげな、白い足を戴くのは。 右近下駄の黒い塗り。 紅さんご色の細鼻緒。 下駄のおもて、ちょうど少女の踵(かかと)がのるところには。 一対の薄羽蜻蛉(うすばかげろう)が、小さく描かれていて。 石段を一段、また一段と上るたび。 きゃしゃな少女の素足がわずかに下駄から浮いて。 その下から蜻蛉が、交互にちらちら顔をのぞかせる。 『おまいり』。 ・・・・・・『厄除け』の。 去年の夏、自分達家族三人は、『神隠し』に遭ったのだという。 何も覚えていないから、よくわからないのだけど。 3日ほど、一家は行方不明だったらしい。 また。夏がくる。 その前に。 再び、『変なこと』が起こらないよう。 悠子の実家へ遊びに来たついでに、『厄除け』のお参りを。 大好きなおばあちゃんは、『厄除け』のお祓いに来い、と言ってきたのではない。 七月の七の日に、毎年ささやかなお祭りがあるから。 遊びにおいで、と手紙をくれたのだ。 娘一家を案じる、老母の心遣い。 「わあ!かわいい!」 千尋が、ひとつの店の前で足を止めた。 「夜店で遊ぶのはあと、って言ってるでしょう」 言葉を尖らせる悠子を横に。 「おや? へえ、懐かしいもの、売ってるじゃないか」 明夫は興味を引かれたらしく、千尋と一緒に店先を覗き込んだ。 くるくる回るかざぐるま、その脇にぶら下げられた紙風船。 小柄の端裂れ(はぎれ)で作られた手縫いのお手玉。 赤い網目の袋の中には。 光を閉じ込めたガラスのビー玉ひとにぎり。 透明な色を巻き込んだ、大きさ不揃いのおはじき。 くすんだブリキの人形に、竹とんぼやベーゴマも。 「いやぁ、今時まだこんなもの、売ってたんだなぁ・・・お!これこれっ!」 「それ何? お父さん、子供の頃、遊んだの?」 「うんうん、これはなぁ、ここをこうやって・・・」 目を輝かせ、少し古ぼけたそれらが雑多に置いてある前から動こうとしない父子(おやこ)に、悠子はためいきをついた。 「もう、・・・・・・・どっちが子供なんだか」 「おばあちゃんも来ればよかったのにね」 「んー。おばあちゃんは最近足が悪いから。この坂は無理だなぁ」 今宵の浴衣を支度してくれたのは、おばあちゃん。 持参した、白地に赤い金魚の浴衣に着替えようとした千尋を呼び止めて。 「ちぃちゃんや。いいものが、あるよ」 なにやら行李の中から出してきてくれたのは。 涼しげな紺地に、清流と若鮎を染めた浴衣。 きちんと手入れされ、ぴしりときいた糊が香ばしい。 「わあ! すてき」 「着てみるかい? 少しつぐもりすれば大丈夫だよ」 ※つぐもり:着物の袖を肩で縫い詰めて、サイズを少し小さくすること 「母さん。ちょっと、それ、あたしのじゃない!」 悠子が口をとがらせる。 「それ、大人が着る柄よ。千尋には、まだ、無理だってば」 その浴衣は、悠子が娘時代好んで着たものだった。 むろん、彼女が今着ても、決しておかしくはない。 --------が。 その浴衣は。 まもなく十二になるかならないかという。 まだ日に灼いていない少女の肌に、意外に映えた。 「おかあさん。わたし、これ着たい。いいでしょう?」 姿見に映る娘の姿に。 悠子は多少の驚きと、こそばゆいような嬉しさも感じて。 「・・・・髪はアップのほうがいいわね」 おばあちゃんが、木綿糸で浴衣を手直ししてくれているあいだ。 お母さんが、髪を結ってくれた。 いつものポニーテールじゃなくて。 少し低めのところに小さなお団子を作って。 「今日だけ、特別よ」 まとめた髪に、赤い珊瑚の玉かんざしをひとつ、挿してくれた。 そして、ポーチの中から淡い色目の口紅を取り出して。 「あんまりにすっぴんじゃあね」 そう言いながら、つけてくれた。 ほんのささやかな、薄化粧。 でも、うす紅ひとつで少女の貌(かお)は、ぱっとはなやぐ。 「おおっ? 母さんの若い頃に似てきたじゃないか」 すっかり支度の整った娘に、明夫も驚く。 「そお?」 自分の母親は美人のほうだと、思う。 友達も、「千尋ちゃんのおかあさんって、若くて綺麗だよね」とよく言ってくれるし。 その母親に似ている、と言われるのは、ちょっといい気分。 初めての、少し大人びた装いに、心浮き立つ少女だった。 * * * * * ♪この壁紙は薫風館さまよりいただきました。♪
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