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神主さんの唱える祝詞(のりと)は。 よく聞けばちゃあんとした日本語なのだけど。 小難しい古い言葉がたくさん出てくるし。 妙に平べったく伸びたアクセントで呪文のように流れるから。 長い間聞いていると、疲れちゃう。。。。 お祓いを受けながら、不謹慎にもあくびが出そうになるのを。 千尋はやっとかみ殺した。 と。 ・・・・・・!!・・・・・・・ え?! 今、神主さん、何て言った?! 千尋は、隣の明夫をつついて、小声で尋ねた。 「お父さん。今、神主さんが言ったことば、何?」 「え? 何のことだい?」 「ニギハヤミ・・・なんとか、って、言わなかった?」 「さあ・・・。なんかの神様の名前かなんかじゃないか?・・・とと。」 静かにするように!、と目で悠子に合図され、明夫があわてて口を閉じたので、 千尋はそれ以上聞けなかった。 なんかの神様の名前・・・・・? そうなのかな。 うーーん。思い出せない。 なんだろうな。 なんだか、とっても大切な言葉だったような気がするんだけどなぁ。。。 ええと・・・・・・・ニギハヤミ・・・・・。 * * * * * * * * * * * * * お祓いが終わって。 ぶらぶらと夜店を見がてら、帰り道。 闇はとっぷり濃くなって。 田ごとの月も、いっそう冴え冴えと澄み。 汗をかいたからと、明夫がビールを買いに行くのを待っていると。 「あらあ!悠子じゃないの?!」 「え? まあ、久しぶり!」 突然悠子に声を掛けたのは、彼女の同級生。 「まあ、千尋ちゃん、すっかり娘さんらしくなって・・・あたしたちが、年取るはずよねぇ」 「やだ、それは言いっこなしよぉ!」 偶然郷里で出会えた級友同士は、たちまち楽しそうに昔話に花を咲かせる。 話に入れない千尋は、間をもてあまして。 「ねえ、お母さん。わたし、夜店見てきていい? お腹もすいたし・・・」 「え? あ、ああいいわよ。ひとまわりしたら戻って来なさいね。境内から出ちゃだめよ。」 「はあい」 おしゃべりに夢中な大人は置いといて。 千尋は、祭囃子の降るひとごみの中、ぶらぶらと歩いてゆく。 ひゃら、ぴーひょろろ。どどどん、どん。 ぴーひょろろんろん。からから、どぉん。 あ。 さっき、お祓いしてもらう前に、お父さんと覗いた小物屋さんだ。 「いらっしゃい、綺麗なお嬢ちゃん。どんなのがお好きかねぇ?」 柄物のかっぽう着に、あねさまかぶりの手ぬぐい姿のおばあさんが、愛想よく尋ねる。 「こんなの、どうだい?」 老婆は、手前にあった紙風船を皺ぶいた手で取ると、ふう、ふう、と膨らませた。 そして。 ぱふん。 ぱふん。 手のひらで軽く打ちあげてみせた。 提灯の灯りに透けて。 赤。白。黄色。うす緑。 まるく貼り合わされた薄い油紙が。 あやうい色影を千尋の顔に落とす。 「きれい・・・」 老婆がもう一度、ぱふ、っとそれを打ち。 あるかなしかの軽いまるみは、今度はぽんと千尋の手の中に。 「おばあさん。どうして、紙風船は穴があいたままなのに、しぼまないのかな」 銀紙で補強された吹き口をしげしげと眺めながら、千尋は尋ねた。 「さあねえ。『神様』にでも聞いてみるかね?・・・しぼまないだけじゃないしねぇ」 「しぼまないだけじゃないって?」 「あれ、嬢ちゃん、知らんのかね」 老婆は紙風船をもうひとつ膨らませると、わざと少しへこませた。 「ご覧な」 その、少しへしゃげた紙風船を、また、ぽふぽふと。手で打つ。空に浮かべる。 「あれ?」 皺のいっぱいある、ごつい手の平で打ち上げられるたびに。 紙風船は、少しずつふくらみを取り戻してゆく。 そして。 ほんわりと。 まるくなって。 最後に、ぽわん、と、いい音をたてて。 ひときわ高く跳ね上がった。 「ゴム風船は割れたらお終いだけどね。紙風船は人が打ってやると、また膨らむんだよ」 「魔法みたいだね」 「魔法じゃないさ」 老婆は、ほっほっと笑った。 「昔の人はね。これに願いをこめたのさ。」 「お願い?」 老婆は頷く。 「想いが弱くしぼんで、小さくなってしまっても」 「うん」 「ぺしゃんこにされてしまっても」 「・・・うん」 「また、何度でも、大きく膨らみますように、ってね」 「うん!」 「そして、何度でも、高く高く、飛びますようにってね」 「うん!!!」 わあ。 なんだか、素敵。 いいなあ。いいなあ。 気が付くと。 千尋は紙風船を、買っていた。 おまけだよ、と老婆が線香花火をひと束添えてくれた。 ぱふ。ぱふっ。 なんとなくうきうきと、紙風船を玩びながらさらに足をすすめる。 ちんからしゃーん。 どんどんどん。 ひゃら、ぴーひょろろ。 ぱふ。ぽふん。 ちんからしゃんしゃん。からから、からら。 ぽむぽむぱあん。 ぽん。ぽーん。 浴衣の少女が紙風船を打つ音は。 祭囃子とからみ合ったり、はぐれたり。 「嬢ちゃんよ!! 飴どうだい?」 不意に、屋台から威勢のよい声がかかった。 それは、飴細工の店で。 思わず千尋が足を止めると。 店の男は鮮やかな手捌きで、飴細工を作り始めた。 たたん、たんたん、たん、たたんっ! 包丁でリズミカルにまな板を叩いて飴を切り取ると。 長箸で、ひょいとそれをつまみ上げ。 バーナーの青白い炎でぼうとあぶる。 ほどなくなめらかになったそれを器用にのばし、はさみを入れ、 細い筆でささっとなにやら色をいれると。 見る見るうちに、飴は様々な姿に生まれ変わる。 「わあ・・・・」 ねずみ、牛、虎、うさぎ、辰、へび、・・・と干支にちなんだ動物の見本に混ざって、今はやりのキャラクターに似せたものも、置いてある。 「ひとつ、どうだい?」 威勢のよいおじさんの声に乗せられて、つい頷いてしまう、千尋。 「どんなのがいい? ハムスターなんてのも、今人気だよ?」 「・・・・あの。龍に・・・してください・・・」 千尋の瞳は、並べてある見本のひとつに吸い寄せられた。 「ん? ああ、いいよ。嬢ちゃん、辰年の生まれかい?」 「あ・・・ええと・・・違うんですけど・・・・」 千尋がもごもごと口篭っている間にも、白い飴はどんどんと龍の形になってゆく。 うねる胴。 細い髯(ひげ)。 りんとした、角。 くっきりとした、瞳。 鋭い牙の並ぶ、口。 たてがみになる部分にさくさくと手際よく鋏(はさみ)が入り。 そこに、緑色の染料を含ませた細筆で、すいすいっと彩りが加えられる。 「あ。待ってください。そこまでで、いいです」 飴細工職人が、たてがみを描いた緑の細筆で、いきおい龍の胴体のところに緑色の鱗を書き込もうとしたとき、千尋はあわてて、それを止めた。 「え?ウロコ、書かなくていいの?ヘビみたいだよ、このままじゃ」 「いいんです。白いままで・・・・・」 千尋は礼を言ってその飴を受け取り、代金を支払った。 どうして、そんな飴にしてほしいと言ったのか、自分でもよくわからなかったのだけど。 緑の線で鱗を書き込まれるより、白いままのほうがずっときれい、だと思ったのだ。 飴を舐めると。 ほんのり懐かしい甘味が舌先から口の中に広がって。 なぜだか、急に胸が締め付けられた。 わたし。 なにか、忘れていないかな。 だいじなこと。 千尋は、紙風船をぽん、と打ち上げた。 張りを失いかけていたまるみは、ふたたびふくらみを取り戻す。 ひゃら、ぴーひょろろ。 ぱふ。ぽふん。 ちんからしゃんしゃん。 ぽむぽむぱあん。 こんなふうに。 もういちど、ふくらまないかな。 わたしの、こころも。 そしたら、思い出せるような。 そんな気が、するんだけれど。 とりとめもなく、思いをめぐらせつつ。 右近下駄をからんころん鳴らしながら歩いていると。 千尋は不意に、若い男の声に呼び止められた。 * * * * * |