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ちりりん。 りりん。 ちん。しゃん。ちりん。 つうん。 とん。たん。 りる、りる、りん。 水の琴の奏でる楽は。 うたかたの、夢か。追憶か。 水琴窟(すいきんくつ)に耳寄せる。 花のかんばせ。ぬばたまの髪。 透明な、恋。 想いはかるがると超えてゆく。 時を。 人を。 ・・・生命を・・・。 * * * * * * * * * 「ねえハク・・・・・。 ここ・・・どこ??」 怯えて袖にしがみつく少女に、静かに、と合図をして。 龍の少年はあたりの気配をうかがう。 風のない。 水のにおいもましてない。 日暮れた枯野のただ中に。 見上げればうすくれないの朧月(おぼろづき)。 乙女の涙で霞んだような。 はかない潤みは雲間にゆれて。 いつしか藍に溶けそうな。 ほのかな月影追いかけて。 ひらひらと、ふたりの目の前を横切った、それは。 ・・・・・頼りなげに飛ぶ、一羽の、蝶。 薄い逆光に浮かび上がった、繊細な輪郭は。 黄金色の燐粉(りんぷん)をちらりちらりと空に撒き。 ほどなく彼らの視界から消えていった。 方角を知らせてくれる星もない。 かといって、漆黒の闇でもない。 ここは、どこだ・・・・・。 持てるすべての感覚を研ぎ澄まし。 龍神は、空気を読む。 * * * * * * * * * ほんのさきほどまで。 自分たちふたりは、湯屋油屋にいたのだ。 終業後、もう、かなりの夜更けに。 とんとん、と自室の扉を叩く少女の気配がして。 「あの・・・ハク。もう、寝てる・・・かな?」 遠慮がちに襖(ふすま)の向こうから掛かる、声。 「いや。まだ、起きているよ。」 その返事に、ほっと、安堵の吐息を漏らす気配が。 読みかけの本を閉じて立ち上がり、どうしたの、と、ハクが襖を開けると。 そこに、枕を握り締めた千尋が、いた。 「ええとね。ハクが、、その、、恐い夢とか見てたら可哀想だな、なんて思って・・・」 えへへ、と照れ笑いを浮かべてはいるが。 唇が、青い。 わかりすぎるほどに、わかりやすい。・・・・この娘は。 やれやれ。 『恐い夢を見た』のだな。 少年は苦笑しながら、少女を部屋の中に招き入れる。 「おいで。今夜は追い返したりなど、しないから。」 ![]() Kenさま:画
夜更けに男の部屋に来てはいけない、などと言いでもしたら。 きっと、また、泣き出してしまうだろう。 ・・・・・数日前にも、同じようなことがあって。 あらぬ疑いを持たれてはいけないから。 すぐに、女部屋に帰るよう諭したら。 千尋は突然あんあんと泣き出してしまって。 その声を聞きつけて様子を見にきた女たちに、・・・・とんでもない誤解を受けたのだった。 自分が『加害者』の汚名を被ることは、いっこうに構わないが。 少女の名誉に傷がついては可哀想だと思ってのことだったのだが。 どうも、そのあたり、この人間の娘には通じないらしい。 入ってよいと許可を得た少女は、たいそう嬉しそうに。 書類を積み上げてあるだけの、花ひとつない部屋へいそいそと入ってくる。 さすがに、泊めるわけにはゆかないが。 しばらく話でもしていれば、落ち着くだろう。 自分がその間、少し耐えればそれで済むこと。 けがれなき無邪気さは時に、罪。 ふわふわ子羊のような足取りで。 猛々しき若龍の、微妙な想いの襞(ひだ)になどこれぽっちも思い及ばず。 「あ!ハク、本読んでたの? お勉強? 偉いねー」 文机の上に閉じられた本をぱらぱらとめくる。 が。 「・・・・・・・。」 少年は、くすくすと笑う。 「ハク・・・。これって、・・・・外国語かなにか、かな?」 「日本語だよ」 「えーーー。難しい漢字ばっかりで、読めないよぉ・・・・」 「読んであげようか」 「・・・・いい。面白く、なさそう・・・」 ハクは小さく笑いながら、書物棚を物色し。 一本の巻物を取り出すと、留め紐を解いてすーーっと千尋の前に広げてやった。 「わあ。絵がいっぱいで綺麗! これがいい!」 「最近手に入った絵巻物だよ。一緒に、見よう」 畳の上に広げられた、優美な大和絵。 文字の部分にはところどころ虫食いや染みなどがあって、読みにくいところもあるが、幸い、絵に傷みはあまりなく、色もさほど褪せてはいない。 「あ!この子、ハクに似てる!!!」 千尋が指差したのは。 絵巻物の中ほど、帝の御前の白舞台で、舞楽『胡蝶』を舞う、見目うるわしき童のひとり。 澄んだ碧がかった瞳も清げに。 紅、お白粉がよく映えて。 少女と見まごうばかりの、美貌の少年。 「・・・・そうだろうか」 「うん! すっごく綺麗な子だね!」 ![]() Kenさま:画
童舞(わらわまい)、 『胡蝶』。 目にも鮮やかな若緑の装束に身を包んだ、由緒ある家柄の子息たち4名が、野に遊ぶ愛らしい蝶の姿となって、舞う。 手に手に春の花を奉げ持ち、金の挿頭(かざし:髪飾りのこと)もきららかに。 背には、色鮮やかな若蝶の羽根飾り。 「御所で何か祝い事があったらしい。それを記念する式典の、試楽(しがく)だと、書いてあるよ」 ハクが詞書(ことばがき)を読んで、説明してやる。 「しがく、って何?」 「ああ、本番の数日前に行う予行演習のようなものだね。正式な式典には出席できない者たちにも公開されるから見物人も多いし、衣装などにも気を使って、本番さながらに大々的に執り行われるんだ」 「ふうん。ただのリハーサル、ってわけでもないんだ・・・」 「りはーさる?」 「うふふ。『予行演習』のこと。」 たまには、わたしがハクに教えてあげることもあるのよ、とばかりに、ちょっと得意げに膨らませた頬が、愛らしい。 「あ。ほら、ここに。千尋によく似た姫も、いるよ」 「え? どこどこ??」 ハクが指差したのは。 御簾の内側に鈴なりになって、庭の舞台に見入っている女たちの中の、ひとり。 ふっくらとした頬を、桃に染めて。 あまたの侍女たちにかしづかれ。 母親らしき美しい女性と並んで、上席から舞を見物しているところからして。 おそらく、内親王(帝の娘)のひとりであろう。 「えーー。わたし、こんなに下膨れじゃないよ」 千尋は、ぷーーっと頬を膨らませ。 「・・・・。そうかな」 そっくりだと、思うけれど。可愛いのに。 目を細めた龍神の子は、あえてそれを口にはせず。 するすると巻物をすべらせて、別の絵が描かれているところを、出してみる。 華やかな舞の場面より、時間的には少し前の部分。 しっとりとした、秋の風情のあずまや。 小造りにまとめられた庭園。 植え込みの中の、苔むした石灯篭のあしもとに。 水の流れを模して配された、白い砂。 すがすがしい白砂で作られたせせらぎを取り囲むかのように、 さみどりの下草がしなだれかかり。 その、人工の小川に掛けられた小さな橋を渡ったところに、ささやかな茶室。 「これ、なあに?」 「ああ。蹲裾(つくばい)だよ」 千尋が尋ねたものは、 茶室の入り口にほど近いところに置かれた、人の腰の高さほどの石の鉢。 鉢の上に渡された竹筒から、玉のような岩清水がしたたり落ちて、ほとほとと光を放つ。 手を洗い清めるための、風雅な水道設備。 その蹲裾(つくばい)の傍らに。 ゆるゆるとした黒髪の少女が描かれている。 なにやら、物思いに耽っているかのような、その後姿は。 歌っているような、泣いているような・・・・・・。 「この女の子、何してるんだろ?」 「蹲裾(つくばい)の下にしつらえてある水琴窟の音を聞いている、と書いてあるね」 「すいきんくつ・・・・ああ、『あれ』ね!知ってる!!」 水琴窟。 いっときヒーリングブームで話題になって、テレビで特集をしていたのを、以前、千尋は見たことがある。 実物はまだ、見たことがないけれど。 庭園の地下に素焼きの甕(かめ)を伏せて埋め、底に水を張る。 その上に蹲裾(つくばい)や手水鉢(ちょうずばち)を造って、水が甕の中に流れ落ちるような構造にすると、水がしたたるたびに、その水音が甕の中に反響して、澄んだ琴のような美しい響きが楽しめるのである。 その音が、気持ちを鎮めてくれる、『癒しの音』だと注目されて、最近では個人の住宅にも造る者があるとか。 ![]() Kenさま:画
ちりちり・・・りりん。 りる、りる、しゃあん。 「!?」 龍の子と、人の娘は、互いに目を見合わせた。 ちん。とん。しゃりん。 さりさりさりさり。ちりぃ・・・ん。 「ハク・・・・? 何か聞こえない?」 「しっ。」 「これ、、って、、、『水琴窟』の、音じゃ・・・?」 「黙って!」 ただならぬ気配を感じ。 ハクはやや乱暴に、千尋を腕の中にかき寄せた。 と。 ふたりの目の前で。 巻物の中の少女の絵姿が。 ゆっくりと、振り返った。 * * * * * * * * * * * ※ご参考までに・・・※ ★「胡蝶」の舞については ↓の雅亮会さまのサイト(「曲目解説」で「胡蝶」をクリックしてみてください)や、 http://www.garyokai.org/kaisetu_F.html#anchor61672 ↓の同志社雅楽会さまのサイト(「活動報告」のコーナーに美しい写真があります)を、 http://www.donet.gr.jp/~gagaku/katsudou/2001/2001_ktd.htm ★「水琴窟」については ↓の「玉島別館」さまのサイトや(音も聞けます) http://ww1.tiki.ne.jp/~msatosi/kurasi/zoubien/koomoku/suikinkutu/suikinkutu.html ↓の「田村ひかる」さまのサイトを(こちらも、音が聞けます) http://www2.tokai.or.jp/hikaru/ をご覧になられると、わかりやすいかと、存じます。(^^) * * * * * |