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<<< 折鶴 >>> 第一夜
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「かんぱーい!」
「おめでとうございます!!!」
「監督ーーー! 一言お願いしまーーす!!」
とある都内ホテルでのパーティー会場。
シャンパンを抜く音。
ドレスアップした女達のさざめきと香水のにおい。
とりどりのご馳走、高く積み上げられて、ライトに煌(きらめ)くグラス。
華やいだ会話、賑やかな音楽。
取材陣がシャッターを切る音。
間断なく光る、フラッシュ。
弾けるクラッカー。
* * * * * *
「・・・・ほんとに、よかったのかな?」
喧騒を抜け出して。
「琥珀くんこそ。主役なのに」
屋上の、小さな庭園風のテラス。
「よく言うよ。主役は、荻野さんじゃないか」
着慣れない、ブラックタイの少年と。
「琥珀くんが相手役だったから、つとまったんだよ。ありがとうね」
オレンジがかった、淡いあかつき色のドレスの少女。
その微笑が、日没前の最後の空の色に溶け込んで。
綺麗だなぁ、と。
少年は、思った。
* * * * * *
日本映画界の巨匠の一人として、業界で一目置かれる映画監督、宮崎駿一。
その、ジャパネスクテイストあふれる映像は、国内はもとより、海外でも高く評価されており。
彼が数年の沈黙を破って発表した新作、『千と千鶴の神隠し』が。
このたび、「シベリア国際映画祭」における最高の栄誉である「金鷲賞」を受賞した。
そして、それを皮切りに、「日本アカデミア賞最優秀作品賞」をはじめ、数々の名誉ある賞を受賞し。
それらもろもろの受賞を記念するパーティーが、今、賑々しく開かれているのだが・・・・。
「肝心の主役のふたりは、どこ行っちゃったのよ?」
ヒロインの母親・悠子役をつとめた、正統派美人女優、沢田靖子は、美しくネイリングされた指先でシャンパングラスを傾けながら、会場の中に視線を泳がせる。
加齢とスキャンダルとは何故か無縁のこの女優は、今回、特殊メイクで豚に変身するというシーンで、大いに話題を呼んだ。
容姿柄、綺麗どころの役が回ってくることが多い彼女は、この映画でひとつの新天地を開いたようで。
以来、コミカルな演出によるCM出演の話などもよく舞い込むようになり、『千と千鶴の神隠し』は彼女にとって、よい意味で大きな転換点となった。
「ふっふっふ。いいじゃないよ。撮影中から、いい感じだったじゃない。あの子たち」
・・・・きっとどこかに二人でふけてんのよ。
靖子に応えたのは、芸能界きっての実力派女優、冬木マリ。
ゴルチェの華麗なドレスに身を包み、アップにまとめた襟足の後れ毛が、なんとも優雅で妖艶である。
今回彼女は、性格の違う双子の魔女役を迫力満点の演技で好演した。
衣装もメイクもまったく同じ二役を、難なくみごとに演じ分け、今回の映画祭でも、最優秀助演女優賞の栄誉をほしいままにした。
彼女の熱演なしには、今回の映画の成功はなしえなかったことであろう。
「えーーー。なんだよ、それー。そんなのありー? だったら俺が先に荻野ちゃん連れ出すんだったぜっ!!」
「・・・ねぇ。ユーキくん。パーティーなんだし。。。そのメイク、やめれば?」
「いいじゃん。これ、気にいってさ。こないだこのメイクでライブやったら、受けたのなんの♪」
物言えぬ謎の人物役を演じたYuKiは、ミュージシャン。
最近注目の新進ユニットのヴォーカリストである。
スレンダーでセクシーな身体のラインを強調する、ぴったりとした黒い衣装を着て、激しく歌い踊り時にシャウトするステージ姿は、ある種狂気を感じさせることもあり。
それが宮崎監督の目にとまり、今回異色の起用となった。
顔を白く塗り、仮面のようなメイクをほどこしてストーカー行為をする、という役柄に女性ファンからは猛烈な抗議の声が殺到したらしいが、本人はいたって面白かったらしく、けろりとしている。
イメージソングにも参加した。
映画初出演の彼は、「優秀新人男優賞」を受賞し、かなり気をよくしている。
ざわめきの中で。
場内の明かりが少し落とされ、会場のスクリーンに『千と千鶴の神隠し』が映し出され始めた。
パーティーの演出の一環であろう。
音声はぐっと絞られていて、会話の邪魔になることはない。
・・・・無。
真っ白で、何もない、画面。
そこに。
るるるんるんるん るん るるるる・・・・・
澄んだ竪琴のアルペジオに乗って、柔らかなソプラノが奏でるワルツがひたひたと満ち寄せてきて。
歌声に誘われるかのように、ほのかなシルエットが少しずつ浮かび上がる。
らららんらんらん らん らららら・・・・・
それは次第に姿を結び。。。いつしか、しなやかな小川の流れとなり。
ついで、それを包み込む欝蒼とした深い森が現われた。
水面に落とされる、たおやかな木漏れ日。
細い葉々を揺らす、初夏の微風。
目をこらすと。
木漏れ日の中、水辺に寝そべっている、古風ないでたちの美しい少年がひとり。
川面に素足を投げ出して。
瞼を閉じ、心地よさげに、何かに耳を傾けている。
淡い光に満たされた、清らかなせせらぎ。
やがて。
少年が心ひそかに『聞き惚れて』いたものが。
観客の耳にも、徐々に聞き取れるようになってくる。
あはははは。
うふふふふふっ。
彼方から、風に乗って運ばれてきた、
幼い女の子の、はしゃぐ声。
ぱしゃぱしゃぱしゃ。
水と光と無邪気な笑い声と。
あはははは。
うふふふふふっ。
耳を澄ます少年の口元に浮かぶ、
柔らかな微笑み。
その姿は、次第にさやさやとした光の中に包まれてゆき。
ほどなく、風景の中に溶け込み、見えなくなる。
そうして。おもむろにタイトルが浮かび上がった。
-----『千と千鶴の神隠し』-----
画面を見て、あれ?と首をかしげる、若手人気タレント、玉井夕実。
彼女は、主役の少女の姉貴分となる狐の化身を演じた。
「カントクー。これって、もしかして?」
「ああ、気付いたか? そう、『オリジナル・ノーカット版』さ」
「あ。そうなんですかー。あたし、実はこっちも好きなんですよねー」
「はは。そうか。まあ、余興でな。」
上映されているのは。
上映時間の制限上あるいは、演出その他の都合上、やむなくカットされたシーンがいくつか盛り込まれている秘蔵版。
この冒頭の場面も、その一部。
日の目を見ることのなかった、オープニングロール。
もちろん、劇場公開されたものの方が、作品としての完成度は高く、これらの映像は本来なら、人目に触れるはずの、ないもの。
でも、製作現場にいたものにとっては、どのシーンも、思い入れのあるものなので。
パーティーの趣向のひとつとして、このようなことがなされたわけである。
パーティーの招待客たちは、ある者は会話に興じ、ある者は酒肴に舌鼓を打ち、・・・またある者は、スクリーンを眺めながら、一種の感慨にふけったりも、していた。
* * * * * *
「千鶴。千鶴、もうすぐだよ」
「やっぱり田舎ねぇ。買い物は隣町に行くしかなさそうね」
スクリーンいっぱいに映し出されていたピンクのスイートピーの花束が、少しずつ画面から引いてゆき、
代わりに不機嫌にむくれたヒロインの顔がアップになる。
そして、車窓に向かって、あっかんべー。
「上手いよな。ここ。一発OKだったよな。」
「そうそう。話題作りのアイドル起用だと思ったけど、なかなか。」
「うん、あの『あっかんべー』、アドリブだろ? 台本じゃ、『ぷいっと拗ねて横を向く』だけだったもんな」
「あの演技で、なみいるベテラン共演者たちを納得させたもんねぇ」
スタッフたちが、スクリーンを眺めながら、撮影当時を思い出し、懐かしそうに語る。
ヒロイン千鶴役を演じた荻野千秋は、10代の少女数名で構成するアイドルグループの一員で。
メンバーの中では一番年少であり、他の少女たちとは一線を画す個性・・・・決して絶世の美少女というわけではないし、目立つことをするわけでもないのに、どこか、人を惹きつける愛嬌というか、存在感というか、そういうもの・・・・があって、人気急上昇中の少女だった。
彼女の母親が大物歌手であるということも、注目される一因であったのだが。
* * * * * *
「琥珀くんは、はじめ、わたしが相手役じゃ、いやだったんじゃないの?」
「え・・」
氷だけになったジュースのグラスをストローでからから回しながら、荻野千秋が、ちら、と和速水琥珀の表情をうかがう。
「オーディションのときも、ちっともわたしのほう、見てくれなかったし。」
「そんなこと・・・なかったと、思う」
「撮影中も。あまりおしゃべりとかしてくれないし。嫌われてるのかと、思った」
「そうじゃない・・・」
台本がないと、うまくしゃべれない。
間が持たなくて、・・・少年は、冷めた紅茶を飲み干した。
・・・・信じられなかったのだ。
自分が、彼女の相手役として映画出演するなどと。
日本映画界の第一人者、宮崎俊一のことは、名前くらい知っていた。
格別ファンでもないが、有名な、別世界の人間だと。
その『別世界』の人間が。
手土産と名刺を携え、ごく平凡な中学生である自分の自宅を、じきじきに訪問してきた時は、なにごとか、と思った。
なんでも、地元ローカルTV局のニュース番組に、ちらっと映った自分に目を留めたというのだ。
学校の奉仕活動授業の一環として。
市内の老人ホームを訪問し、そこで老人の碁の相手をした時の映像だった。
撮影されていたことも、実は知らなかった。
とにかくオーディションを受けるだけでも、と言われ、
舞い上がるミーハーな家族・親戚・友人達に無理やり押し出されるようにして。
オーディションを受けたのだった。
* * * * * *
「ここへ来てはいけない! すぐ戻れ!」
「え・・・?」
「じきに夜になる! その前に、はやく戻れ!」
印を結んだ指先にふーーーっと息を吹きかける少年。
これは、琥珀にとって最初の撮影シーンだった。
「ほんっと、綺麗な子ね。」
「ああいう和風の拵えが似合う子って、最近少ないわよね」
「ずぶの素人にしては、根性すわってたし」
「でもさ、かわいかったわよぉ? 『カット』の声と同時にへちゃっと座りこんでたじゃない。冷や汗かいて」
「あはは。そういえば。まっさおになって震えてたっけ。荻野ちゃんが、汗拭いてあげてたよね」
* * * * * *
オーディションの日。
会場となったビルは、とても広くて。
和速水琥珀は、すっかり迷ってしまった。
時間は刻々と迫る。
あせればあせるほど、見当違いな方向へ行ってしまっているようで。
目的地が見つからない。
自分の意志はどうであれ、人との約束をたがえてはいけない。
生真面目な少年は、わざわざ自分を訪ねてきてくれた宮崎監督のことを思い、沢山のドアが並ぶ廊下を右へ左へおろおろ走り回っていた。
そのとき。
「あ。もしかして『千と千鶴』のオーディション受けに来た人じゃ?」
自動販売機の前にいたポニーテールの少女が、ふい、と振り向いて、声をかけた。
「あ、そうなんだけど、、、、第3スタジオ、って??」
「この階段上がって、つきあたりを左に曲がってまっすぐ行って。奥から3番目、右手の部屋です」
「ありがとう」
ええと。
どこかで見たことがあるような、子だな。
「あ、待って。」
走り出そうとした琥珀を、少女が呼び止めた。
「控え室は、そのお向かいの部屋で・・・・どうしてそんなに慌ててるんですか?」
「え?」
「集合時刻まで、まだ1時間ありますよ?」
「えぇっっ!?」
なんだ、時間を間違えたのか。
ああ、よかった。
・・・・・へたへたとその場に座り込む、琥珀。
安心したとたんに、全身から汗が吹き出す。
「はい。よかったら、どうぞ」
くたっとしゃがみこんでいる少年に、彼女はにっこり微笑みかけながら、手にしていた缶入りのお茶を差し出した。
さきほど自動販売機で買ったものなのだろう。
「すごい、汗。のど渇いてるでしょう?」
「あ。大丈夫」
「口開けてあるけど、まだ飲んでないから。どうぞ」
「・・・・ありがとう」
実を言うと、喉はからからだった。
彼がよく冷えたお茶を一気に飲み干す様子を、嬉しそうに眺めていた少女は、
「がんばってくださいね」
と、一言残し、ぱたぱたと向こうへ行ってしまった。
後になって、その少女が今話題のアイドル・荻野千秋であったことを知り、腰を抜かした。
自分はあまり、そういうことに詳しくなかったから。
そして、オーディションに合格したとの知らせを受けて、もう一度、腰を抜かした。
* * * * * *
冷たい水をたたえた川のほとり。
「静かに!」
少年がヒロインを胸に庇い、不気味な老女の顔をした見回りの鳥から、我が身をもって隠す。
抱きすくめられている事実よりも、この不可思議な世界のありようがまだ信じられず、
声も出せない、少女。
「ぷ。ぷふふっ!」
「何わらってんのよ、YuKiくん」
「だってさぁ。琥珀ってば、ここ、何回NG出したか!」
「・・・・しかたないじゃない。まだ経験不足だったんだし」
「『経験』不足ねぇ・・俺、わざとだと思ったぜ?」
* *
ヒロインをりりしく抱き締めるシーン。
うまくいかないのだ。
赤面してしまって。
手が震えてしまって。
かっこがつかない。
「あのさぁ、琥珀。そこでイヤらしさとか、照れとかを感じさせたら、何にもならないんだってば。ここは別に変なイミないんだからさ。」
「・・・すみません。もう一度・・」
「いや。・・・・ちょっと休憩しよう」
宮崎監督に、何度言われても。
できないものは、できないのだ。
意識しまいと思っても、相手は、アイドル。
一中学生である自分に、緊張するな、と言われても、なかなか難しい話。
困った。
ためいきをついていると、相手役の少女がすまなそうに、声をかけてきた。
「あの・・・・ごめんなさい」
「え?」
「わたしが悪いの」
「・・・そんな」
なぜ、そんなことを言うのだろう。
彼女の演技は、完璧だ。
足を引っ張っているのは、自分。
しょげている少女を見ていると、申し訳なさで一杯になる。
が、千秋は、そんな彼の気持ちなどまるで気付かずに、続ける。
「わたし・・・ただのアイドル映画、って目で見られるのが嫌で・・・力みすぎてるの、自分でわかる」
「・・・」
「わたしのお母さんのことは、知ってる?」
「ああ」
「『親の七光り』って言われてる。わかってるの。わたし、歌うまくないもん」
「そんなこと・・・・」
「わたし、歌より、お芝居したいの。女優になりたいの。」
「・・・そうなんだ」
「だから・・・このチャンス、絶対、ものにしたい」
琥珀は、少々驚いた。
自分より幾分年下のこの少女が。
将来のことを見据え、しっかりとした意思を持って、『仕事』をしている。
「そういうのが演技に出ちゃってるよね。やりにくいでしょう。ごめんなさい」
未熟なのは、自分だ。
なのに。
本当にすまなさそうにうなだれる少女を見て、琥珀は胸が一杯になった。
照れくさいとか、恥ずかしいとか、そんなことを考えている自分が情けない。
この子のためにも、しっかりしなければ。
と、そのとき、カオナシ役の青年が、ひょい、と声をかけた。
「なぁー、琥珀ー。おまえばっか、ズルいぞぉ?」
「はい?」
「あーいいよなー。荻野ちゃんに抱きつくシーン、俺にもないかなー? めいっぱい、NG出しちゃうのにな〜」
「あのぉ、、YuKiさん・・・・・」
「わざとNG出してるわけじゃありません」
白塗りメイクの顔で、くすくす笑う年上男の余裕の態度に、ちょっと腹が立つが、面と向かって言い返せないのが辛いところ。
「なんなら、俺が見本見せてやろっか? こんなふうにさ・・♪」
「えっ?! あ、あのぉっっ?!?!」
軽い調子で少女に腕を伸ばそうとした男の手を、琥珀はぱし、と払いのけた。
「・・・次は、決めます。」
冷たいほどに硬い表情を浮かべた少年に、男はちょっと驚く。
それから、ひゅう、と口笛を吹いて。
「いてぇなー。マジに怒んなよぉ。冗談だってば」
・・・なんか、可愛い奴じゃん、コイツ。
ムキになっちまってさ。
おもしれー。
また、機会があったら、からかってやろ。
くわえ煙草に火をつけ、がんばれよぉ、と言い残し。
軽く片手を上げて、長身の男は立ち去って行った。
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