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<<<夜伽ばなし 其の一 "竜宮">>> 第一夜

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でっけぇ亀に連れられて浜に戻ってきた若者はな。

自分はこの村の者やと言い張ったんや。


せやけどな。

この村のもん、だぁれもそげな男のこと、知らん。

あ、いや、村で一番年かさのばあさまが

むかぁし、この村であったとかいう"神隠し"の話を思い出しての。

突然おらんようになった息子を

待ち続け、待ち続けして死んだ、いう夫婦の墓に

その若者を連れていったそうな。


その男な、墓の前でしばらく泣いておったそうや。

でな、ごっつう上等そうな蒔絵の筥(はこ)、懐から取り出してな。

それを開けたんや。


ほしたら、そん中から白い煙が出てな、

若者はすっかり皺白髪のじいさまになってしもうたんやと。



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トンネルをぬけて車にもどると。
車はすっかり夏の草に覆われていて。

なんだかおかしいな、と思いました。

車の中はずいぶん埃っぽくなっていましたし。
エンジンもかかりにくかったんです。


もと来た道をたどって町へ戻ったんですけど、
なんとなく来た時と感じが違うように思えて。

まあ、初めて来た場所だし、気のせいかなって思っていたんです。

今でも、信じられません。
ほんとに、・・・・ほんとにわたしたち、





・・・4年も、行方不明になっていたんですか・・・・・?






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警察の事情聴取。
気が動転している両親よりも、桃色の頬をしたあどけない少女の方が、むしろきちんと受け答えをしていた。



-----名前は?

『千尋』です。荻野千尋。



-----住所は?

すみません。引っ越したばかりだったので、新しい家の住所はまだ覚えていません。



-----ほんとに、4年間のことは何も覚えていないのかい?

はい。何も。




少女は澄んだ瞳で淡々と答えた。
両親はまだパニック状態から抜け出せていないようで、これ以上の話は聞けそうもない。
2人の警官は目配せすると、とにかくご無事でよかったですね、となんとも歯切れの悪い挨拶を残して帰っていった。


「あなた。一体どういうことなんでしょう」悠子はまだ唇の色が戻らない。
「わ、わかるもんか。なんなんだこれは」

自分たちの身の上に起こった事実がまだ信じられないふたり。
千尋はなぜか冷静な自分に驚いていた。


自分たちは4年間姿を消していたのだという。
世間は相当騒いだのだろう。

犯罪に巻き込まれた可能性もあると、警察も当初かなり大掛かりに動いていたらしい。
が、1年たち、2年たち、、、、人々の口にこの話題が上らなくなったころ、
自分たちはひょっこり元の場所に戻ってきた、ということらしい。

知らせを聞いて涙ながらに駆けつけてきた親戚や知人の相手も、ほとんど千尋がつとめた。
よかったよかったと大騒ぎする客たちをなんとか帰し、やっと一息ついたときには------もうとっぷりと日が暮れていた。

引っ越しの荷物は家の中にどんと積まれたまま、何の整理もついていない。


「おかあさん、おなかすいた・・・・」


荷物の前に座り込んだ千尋を見て、悠子にはたと蘇る母親としての自覚。
慌てて不手際をわび、何を食べたい?と、尋ねる。

千尋はしばらくだまっていたが、ぽつりと言った。



「・・・・おにぎり・・・・」

「そうね。こんな時って、おにぎり食べたくなるわよね。どうせこの状態じゃお料理もできないし。コンビニ行って買ってきましょ。」



一緒に行くか、との問いに、ううん、待ってる、と答え、千尋は両親が車を出すのをぼんやり見ていた。






・・・ハク・・・

わたし、帰ってきたよ。
こっちの世界に。

でも。

そっちにいたのは、確かほんの4日ほどだったのに。
こっちでは4年も過ぎていたんだね。


ハク、と今度は声に出して呼んでみた。

ひた寄せる安心感と、胸を刺す小さな後悔と。

「今度・・いつ会えるのかな・・・・」




想いはあまりに幼く。
おそらく、千尋自身にも恋とか愛とかいう感情は自覚できていなかっただろう。

幼いが、------それゆえに強く。
全身全霊を傾けて大切だと思った気持ちは、あまりに一途で純粋で。

掌にはまだ、あのぬくもりが残っているようで。



トンネルの向こう側とこちらとでは時間の進みが違うなんて思いもしなかった。

油屋は毎日忙しい。
ハクは、あの店のかなめだ。

湯婆婆に話をつける、とは言ってたけど、そう簡単には辞められないんだろうな。
真実の名を取り戻したし、タタリ虫も踏み潰しちゃったんだから、湯婆婆の奴隷みたいな働き方ではなくなるのだろうけど、仕事は仕事。
ハクってなんでもできそうだけど、仕事をほったらかして自分に会いに来ることはできないだろう。



「油屋って、お休み何曜日なんだろ・・・」

千尋はぷくぷくのほっぺに頬杖をついた。



転校前の友達が学校の休みに遊びにきてくれるような感覚で会えることを、
心の隅でかすかに期待していたんだけど。



お休みの日でないと、ハクには自由な時間なんてないだろうなあ。
あの湯婆婆のことだ。従業員の休日は少なそうだ。

いや、年中無休のような気もする。
ううん、お盆とお正月ぐらいお休みあるはず!・・・・って、じゃあ半年に一度?
向こうで半年ってことは・・こっちでは・・



「180年!!!!」



千尋はどっと肩を落とした。


「わたし、そんなに長生きできるかな」


窓ガラスに顔を映す。

生きてても(生きているはずはないのだが)、しわくちゃのおばあちゃんじゃない。
いやだな。
どうせなら、もっと若いうちに会いたいよ。




"時間"のことを考えていたとき、千尋ははっとした。



「!!!!学校!!!!!」



4年が過ぎていたということは、自分は14歳なのだ。
同級生は中学2年生ということになる。


「どうしよう・・わたし、小学校に行くのかな、中学校に行くのかな・・・・」




急に現実的な問題に引き戻された時、ガレージに入る車の音が聞こえた。


両親が買ってきてくれたおにぎりには、とりどりの具が入っていたが、


--------千尋には何か一味足りないような気がしないでもなく。
早々に食事を切り上げ、毛布を一枚荷物の中から探し出すと、それにくるまって部屋の隅に横たわった。







体は疲労で重い。

でも、なんだか眠れなかった。
すべては願ったとおりになったはずなのに。

願ったとおりに・・?

お父さんとお母さんをもとの姿にして、
みんなそろってもとの世界に戻る。
思ったより年月が過ぎていたことは、小さな誤算だったかもしれないけれど。
ハッピーエンド。

そうでしょ?



10歳の自分には、両親と離れ離れになってしまうことなど思いもよらなかった。
親を、あのような尋常でない世界で失っても生きていけるほど、強くもないし、大人でもない。


大風呂敷を広げては失敗しているけど、やさしい父。
物言いはつっけんどんなところもあるけど、しっかり者の母。
大好きな、かけがえのない両親。

自分を慈しんで育ててくれた二人の愛情は千尋のバックボーン。
豚になってしまい、あの大好きな姿に、"二度と会えない"のではと怯えた気持ち。

もう、その心配はないのだから、安らかに眠れるはずなのに。


<二度と会えない・・?>
<二度と会えない・・・・?>
<二度と会えない・・・・・・・?>


<会えるって言ってくれた!>

<きっと、って・・・>


言葉は・・・言霊となって、いのちを持つ。

ハクは、絶対に嘘なんかつかない。
あんなにはっきりと、『きっと』って言ってくれた。

神様は嘘をついちゃ、いけないんだもの。
だから、きっと。



・・・『きっと』。



『きっと』と、『必ず』と『絶対』と。
それらの言葉の間には、いったいどれほどの隔たりがあるのだろうか。


『いつか』。『きっと』。



・・・いつ?



「ハク・・」

届きはしないとは分かっていながら、つい、口をついて出る、その名前。


ひとはしばしば、失ってから、大切なものに気づくもの。



「大切なもの」が徐々にすりかわっていきつつあることに・・・・
まだ千尋にははっきりとした自覚がなくて。

ただ漠然とした胸の重さをかかえたまま。
こみあげそうになる涙の訳もわからないまま。

何度も、何度も寝返りを打っていた。




--------ぽん、ぽん。

<??>

--------ぽん、ぽん。

だれかがそっと寄り添って、やさしく背をたたいてくれている。

<あ、お母さん・・・>

--------ぽん、ぽん。

幼い頃、怖い夢を見たといって、泣きながら夜中に起き出すと。

ばかねぇ、だいじょうぶよ、と言いながら
母は、こんなふうに千尋のベッドで添い寝して、
寝付くまで、なだめるように背をたたいてくれたっけ・・・・


--------ぽん、ぽん。

--------------ぽん、ぽん。

---------------------ぽん、ぽ----ん---


背から伝わる心地よさにほだされるように、千尋はやがて眠りの世界へといざなわれていった。





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「おはよう、千尋。あらあら、パジャマにも着替えないで寝ちゃったのね。服がしわくちゃよ」

翌朝目覚めると、母はもう起き出していて、白いエプロンをきりりと身につけ、てきぱきと荷物の片付けにとりかかっていた。

「顔、洗ってらっしゃい。水道は出るから。あ、でもガスはまだ来てないのよ。朝ごはんはどこかにモーニングでも食べにいきましょ。着替え、自分で探せるわね?」

「お母さん・・」

「ついでにお父さん、起こしてきてね。まだ高いびきだと思うわ」

「お母さん!」

悠子は驚いて振り向いた。
千尋が突然力いっぱい背中から抱きついてきたから。

片付けの手を止めて、千尋に向き直ると、我が娘を抱きしめる。


「うんうん、あんなことがあって、びっくりしたものね・・・夕べは千尋がいちばんしっかりしてたけど・・・無理してたんだよね・・・ごめんね・・」
娘を抱く腕に力を込める。物言いも、普段よりずっとやわらかかった。


千尋はぎゅーーーっとあったかい気持ちになる。
やっぱり、無事に帰ってこれて、よかった。。。

「さ、今日から、大変よ。部屋を片付けて、それからいろいろ・・・がんばらなきゃ」
悠子は自分を奮い立たせるかのように言うと、ぽんぽんと千尋の背をたたき、娘を腕の中から放した。


<????>


ぽんぽん。
違う?!

今の「ぽんぽん」と夕べの「ぽんぽん」と。
こんな手じゃなかったような。

「お母さん」
「なに?」
「夕べ、私の背中、今みたいにたたいてくれたっけ?」
「?」
「あ、ごめん、なんでもない」


違う。
お母さんの手じゃなかったんだ。

お父さんの手でもない。
お父さんの手はもっとごつくて、大きい。
ぽんぽんというより、ばんばんというたたき方をするはず。

じゃ、誰??


添い寝して、背をたたいてくれていたのは?



誰?!?!?!?!?





千尋は部屋に駆け戻るやいなや、大声で叫んだ。


「ハク!ハク!どこにいるの!?ハク?ハクーーーーーっ!!!!」


あまりにせっぱつまった涙声に、父親もびっくりして起き出して来た。

「ど、どうしたんだ、千尋?!」

母もあわてて階下から上がってくる。
泣き叫ぶ娘の様子に驚いて。


二人がかりでなだめられても、しばらく千尋は取り乱したままだった。



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その晩、千尋はまんじりともしなかった。

もしかして、ゆうべ、来てくれたの?
わたしが眠ってしまったから、声もかけずに、そっと帰ってしまったの?

眠ったりするんじゃなかったと、思いっきり後悔しながら。
一晩中、「待って」いた。


待っていた。


待っていた。



待って・・・・



が、その夜はついに、あの懐かしい姿を見ることはできず。




・・・・ちょうどその頃、トンネルの向こう側で、龍の少年の身に起こっていたことなど、知るよしもなかった・・・・






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