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<<<夜伽ばなし 其の一 "竜宮">>> 第二夜

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それから数日は、本当に慌ただしかった。

引っ越してくるなり行方不明になっていた一家が、正常な日常生活を送れるようになるための、もろもろの手配や手続きに、走り回る母。

一家の大黒柱として、すみやかに復職しなければならない父。
幸い、復職はすぐに認められ、一安心したのだけれど。



そして、千尋は。
やはり、14歳の少女として、中学2年生に編入されることになった。


今日が初登校。
急ごしらえで用意した制服はぶかぶかで。

不安がないといえば、嘘になる。
新しい学校には、同じ学年の生徒たちがいるとは言っても、転校前日に行方不明になっていた千尋には仲の良い友人などいるはずもない。


それに、心配なのは勉強だ。
4年分の学習内容がすっぽぬけているのだ。
もともと、あまり勉強は得意ではないのに。
ついて行けるのだろうか。


転校手続きの時に会った校長先生は、当面の授業は個人的に補講してフォローする体制をとるから、安心して学校においで、と言っていた。
校長は、白髪混じりの髪を頭頂部でひとつにまとめ、大きな鼻と目をした女性だった。
化粧が濃いので、正確な年齢はわからないが、相当年配であろう。


千尋は、担任に連れられて、教室へと向かう。
なんとなく蛙に似た顔立ちの男の先生。
どこかで見たことあるような人だなぁと思いつつ階段を上っていた千尋は、 突然足をすくわれたような感覚を覚え、思わずつんのめった。


「きゃっ!」


足元をよく見ていなかった。
階段はもう上りきっていたのに、まだ階段があるかのように思い込んでいて、
もう一段分、足を踏み込んでいたのだ。

足をおろした場所に、あるはずの階段はなく、バランスを崩して、千尋は盛大に転んでしまった。


「痛ぁ・・・」


「だいじょうぶかね?」


助け起こしてくれたのは、担任教師ではなく、用務員のおじさんらしき人。

ひげ面で、頭はつるりと禿げ、小さな黒眼鏡をかけている。
体の割に手足が長い人だ。


「すみません。だいじょうぶです」

「ああ、あんた、例の転校生かね・・がんばりなよ。辛くなったら用務員室へおいで。熱い茶、飲ませてやるでな。」

「ありがとうございます」



荻野、行くぞ、と促され、千尋は慌てて担任教師の後を追う。

ちらりと後ろを振り返ると、おじさんは左手の親指をぐっと立て、
応援するぞ、というようなしぐさでにっと笑った。

つられて千尋も少し微笑み、ぺこりと頭を下げると、その場をあとにした。



担任に連れられて、教室に入る。
と、それまでがやがやとしていた教室内は、急にしんと静まった。

クラスメートたちの視線が、まるで異質なものを見るかのように千尋に集まる。

覚悟はしていた。
神隠しにあった子、というので奇異の目で見られるだろうことは。
でも・・・さすがに身がすくむ。


簡単な自己紹介のあと、担任が一人の少年を指名した。

「彼がクラス委員の河野だ。何かわからなかったら教えてもらうように」

頭のよさそうな、整った顔立ちの、でも少し近づきにくい感じのする色白な少年が立ち上がり、軽く頭を下げた。
さらさらと額にこぼれる髪からのぞく、深い色の瞳に、瞬間、千尋は見とれる。


「席は鈴田のとなりが空いてるな。鈴田、しばらく面倒をみてやってくれ」

「えーーーーー。オレがぁーーー???」


鈴田と呼ばれた女生徒はむくれて見せた。


目鼻立ちがはっきりとした背の高い少女だ。
ローズ色のリップクリームのせいだろうか、教室の中でもひときわ大人っぽく見えるのは。
制服をちょっと着崩して、長い髪を無造作に肩にかけている。

千尋がうつむきながら席につくと、担任はクラス委員の少年にあとをゆだね、職員室へ帰っていった。
1時間目は自習とかで、少年の手でプリントが配られる。



千尋には、プリントの内容などさっぱりわからない。
名前だけ書いてぼーーっとしていると、隣席の少女が小声で話し掛けてきた。



「オマエさ、"神隠し"にあったって、本当?」

「え・・ううん、よくわかんないの」

「変なコトってあるもんだよな。オマエも大変だぜ。ま、困ったことがあったら、オレに言いな。あ、勉強は教えられねーけどさ」


大きな口でかっかっかと笑う。言動は荒っぽいが、根は親切な娘らしい。

ありがとう、と言おうとしたとき、やや前方の席から少年の冷静な声がすっと切り込んだ。


「そこ。自習は静かにしてください」



あわてて小さくなる千尋。

「なぁんだよ、アイツ。委員だかなんだか知らねーけど、偉そうにさ」
鈴田、ぶつくさ。

千尋が小さな声で、ごめんね、とささやくと、鈴田はにっと笑って、
「いいって。気にすんなよ」と返してくれた。




休み時間。
千尋のまわりには、どっと人垣ができた。

行方不明の間のことを興味本位でずけずけと聞いてくる子。
どう見ても他の子より発育の遅れているやせっぽちな千尋の体型を、あからさまにちくちく言う子。

あげくのはてには、千尋の言葉に混ざる、転校前の地域の方言(というほどでもないだろうが、言葉のアクセントやイントネーションがちょっとこのあたりと違ったらしい)をあげつらってからかう子。
うまく返事ができなくて、千尋がおろおろすると、女子は気味悪そうな、見下げたような目で見るし、男子はおもしろがってよけいにいじわるな言葉を投げかける。
さすがに千尋もべそをかき、鈴田がかっとなって大声を上げようとしたその時-----。



「荻野。先生から教科書預かってきた」


しらっとした声で騒ぎに割り込んできたのは、クラス委員の河野。
一瞬、空気が止まる。

少年は、千尋をからかっていた生徒たちに向かい、表情も変えずに言い放った。


「本人に責任のないことで転校生いじめるなよ。言葉なんて、こっちの空気を3日も吸えば変わるだろ」


しん。


別に声高にどなったわけではない。
むしろ静かな口調だったのだが、中学2年生らしからぬ大人びた態度に、クラスメートたちの温度は急に下がる。
何でこいつ、こんなへんな迫力あんだよ、と舌打ちする鈴田。

河野は千尋に向き直り、平然として続ける。

「手続きのプリントとかあるから、あとで職員室に来いって」

「あ、ありがとう」

千尋は内心ほっとした。


授業が始まる。
教師に指示されたページをめくり、千尋は仰天した。



<!!!ふりがな!!!>



教科書の中の、少し難しい漢字には片っ端から鉛筆でふりがながふってあった。
急いで書き込んだらしい筆跡だが、美しくて、読みやすい文字。

4年のブランクは大きい。読めない漢字、意味のわからない言葉は多い。
現に、さっきの自習時間のプリントも、内容がわからないだけでなく、何と書いてあるか、読めなかったものも多くて。


急いで、他の教科書をばらばらとめくってみると、現在学習中であるらしいページにはどの教科にもざっとふりがなが書き込まれてあった。
人間業とは思えない!


思わず顔を上げると、前の席の河野と目が合った。


<え?まさか河野くんが?>


彼はふいと前を向いてしまい、それきりだった。





「あ、あのっ!!」



授業終了のチャイムが鳴るやいなや、千尋は彼に駆け寄った。


「っ!?荻野っ?!?」


少年の端正な顔が突然引きつり、目が泳ぐ。

千尋が、制服の袖にがっしとしがみつかんばかりにくっついていたからだ。

ざわっ。
教室の空気が一瞬にして変わる。

クラスメートたちは見てはいけないものを見たかのような表情。
だいたい、この、なぜか威圧感のある少年に、いきなりあんなふうに公衆の面前でスキンシップ(?)する生徒(しかも女生徒)なんて前代未聞だし、いつも無表情な少年が驚きをあからさまに顔に出すのも珍しい。


「あ、あのね、河野くん、もしかして・・・・」

「ちょ、ちょっと、廊下で話そう」

河野はとりあえず教室から出ようとしたのだが、千尋が手を離さないものだから、ずるずると引っ張っていくようなかっこうになってしまった。


・・・・


教室には唖然とした顔のクラスメートたちが取り残された。。。






「あのね、もしかしてもしかすると、あなた、人間じゃないとかっ!?」

「!?!?!?」

「もしかして、り、龍とか??」

「!!!」

「本当は、ハ・・・・・」



畳み掛ける唐突な質問に、少年は苦笑いした。


「なんのこと?」

「だ、だから、河野くんは、ほんとうは河野くんじゃなくて、えと、その・・・・」

「僕は僕だよ?・・・荻野は、おもしろいね」


不思議そうに、くすくすと笑う。





-------違った---------



もしかして、ハクが目の前の少年の姿で、こっちの世界に来てくれたのかと思ったのだ。
微笑むと、綺麗な顔が、ますますなつかしいあの人の面差しに似て見えて。
急に、切なくなってしまう千尋。



「えと、あ、なんでもないの。教科書にふりがながふってあったから、、、その、もしかして河野くんが書いてくれたのかと思って・・・」

「そうだよ。1時間目のプリント、白紙だっただろ。」

「・・・・ありが・・・」


しっかりお礼をいわなきゃ、と思いながらも、うつむいて涙ぐんでしまう千尋。
こんな顔でお礼を言うなんて悪い。

でも・・彼の親切は心底ありがたいが、それより、期待を裏切られたショックの方が大きくて。

あわてて何か言おうとする少年を残したまま、千尋は肩を落としてその場を去った。



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「千尋!髪ちゃんと拭きなさい!部屋にぽたぽた雫が落ちるでしょ!」

はぁい、と気の抜けた返事をして千尋はバスルームを後にした。

今日も母は、一日ひとりで家を片付けていたのだろう。

家具もひととおり配置が定まってきて。
部屋にはカーテンがかけられ、たくさんのダンボールの空き箱が紐で束ねられてある。
どんどん人の住む家になってきているなあと千尋は思った。


「荷解きはしてあるから、自分の部屋、あとは自分でやりなさいよ」


背中から追いかけてくる母の声に、うん、わかった、と返しながら、千尋は部屋のドアを開けた。


今日は登校初日で疲れてしまった。


初めて足を踏み入れた中学校。

全く理解できない授業。

なんとなくハクに似た少年。

自分よりずっと大人っぽく見えたクラスメートたち。
同級生というより、年上のお兄さん、お姉さん。

ハンガーに吊るしてある制服は、わたしには大きすぎる。
なんとなくみじめで。


ふう、とため息。


荷物の片付けなんかする気にならない。
でも、とりあえず、明日学校で必要なものや着替えくらいは探し出しておかないと、と千尋は洗い髪をタオルでぽんぽん叩きながら、荷物の山を物色しはじめた。



<?なにこれ?>

荷物の中から見慣れない小箱が現れた。

古びているけれど、すごく高価そうな筥(はこ)。
黒光りのする塗り、螺鈿(らでん)の細工。
ふんだんに使われている金粉。

大きさは千尋の手の中におさまるくらい。



<え?!!>



千尋は目を疑った。
その小箱は、蓋が開かないように、紫色の細紐がかけられてあるのだが、よく見るとそれは、さっきお風呂に入る前に自分の髪からはずした、大切な髪留めだった。



<なんで??>



結い紐がわりにされている髪留めを大急ぎで解き、蓋を開けた。



「きゃぁあああああああ!」


とたんに、箱の中からもうもうと白い煙が立ち上った。

部屋の中はみるみる真っ白な世界に変わり、視界がきかない。
煙に飲み込まれ、げほごほとむせながら、無我夢中でドアを開ける。



「大声出して、どうしたの!?」


ドアの前に母が立っていた。


「か、火事!!」

「?」

すがりつく娘を怪訝な顔で見る母。


「変な子ね。どこも燃えてないわよ」

「だって煙が・・!・・・あれ?」


振り返ると、さきほどの猛煙はどこへやら、ただ雑然とした部屋があるばかり。


「ちょっと疲れてるんでしょ。早く寝なさい」

「・・・・はぁい・・・・」



ぱたぱたを階段を下りていく足音を聞きながら、千尋は狐につままれたような顔で部屋に取り残された。



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「おかあさん、おなか痛い・・・」

翌朝、パジャマ姿のまま、千尋は下腹部の鈍痛を訴えた。


「なぁに?学校行きたくないの?ずる休みはだめよ。はい、体操服と給食袋」

「嘘じゃないよぉ。なんかおなか、しくしくする・・」



明夫が新聞から顔を上げ、顔色がすぐれない娘を見る。


「無理させるなよ。体調悪いんなら、一日くらい、休ませればいいじゃないか」

「でも、転入2日目で休むなんてよくないわよ」


ぴしゃりと言い切る悠子。

昨日娘が帰宅したとき、どことなく元気がないことには気づいていた。
突然の環境変化に、すぐにはなじめなくて当然であるが、休ませるとそのままずるずると不登校にでもなってしまうのでは、という懸念が頭をよぎり、欠席するべきではないと思ったのだ。

まあ、母親としてはごく一般的な反応か。


しかたなく千尋は、部屋に戻り、制服に着替える。


<ん?>

なんか変。
何が変なのかな。

<制服が?>

千尋は制服姿の自分を鏡に映した。
制服はやはり、千尋には大きめだ。
しかし、きのうより、なんとなくしっくりからだに馴染んでいるように感じる。


<気のせいかな。>


波のように寄せたり返したりする腹痛に耐えながら、髪をポニーテールに結い上げる。


<??>


髪が。
昨日より伸びているような、気がする。
気がするけど、、、気のせいかな。



登校の用意をととのえて、ダイニングルームに戻ったとたん、
う、と千尋は床にうずくまった。

ずきん、と痛みが強くなる。冷や汗。立てない。


父があわてて新聞をテーブルに置く。


「おい、ほんとにだいじょうぶか? もう、今日は休め。おかあさん、学校に電話!」


大の男がおろおろ。ひとり娘に弱いのは、いつも父親の方。

悠子もやむなく観念する。

「じゃあ、きょう一日だけよ?」



<あ!!>

何かが流れ落ちる感覚。


<もしかして?>


出勤する父親の見送りもそこそこに、トイレに駆け込む。

<・・・・・・・>



「ええ、転入早々申し訳ありません。はい、はい・・よろしくお願いいたします」

チン。

受話器を置いた母親の前に。
どことなくきまりわるい表情の千尋。

「どうしたの?学校には連絡しといたわよ。もうちょっとしたら病院行く?」


保険証使えるのかしらね、とつぶやく母親に。


「あのね、おかあさん、わたし・・・・・」


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その日の夕食は、お赤飯。
ささやかなお祝い。


千尋が大人の女性の仲間入りをしたということで。


自分が10才なのか14才なのかぴんとこない千尋には、
遅ればせながら、なのかどうかはわからないが。


でも、"お赤飯"は、正直言ってやめてほしかった。
だって、恥ずかしいもん。
お父さんにも、バレバレじゃない。
なんか、いやだ。

せっかく用意してもらったご馳走なんだけど。
いまひとつ食欲がなくて、千尋は早々に部屋に引き上げた。


机の上には数枚のルーズリーフ。
担任に頼まれたからといって、今日の授業のノートを持ってきてくれた眉目秀麗なクラス委員。



(あした、ちゃんとお礼を言わなくちゃ。)



彼の親切はうれしいが、彼の面差しは大切なある人を思い出させる。
それが辛くて、今日は、会わなかった。



ベッドに横たわり、ぼんやり窓の外に目をやると、静かに雨が降っていた。

漆黒の闇に降りそぼる、絹糸のような、雨。
時折吹く風にさぁっとあおられる雨筋は、くせひとつないあの黒髪を思い起こさせる。



--------千尋。



!!!!!!!!!



千尋はベッドから飛び起きた。

空耳じゃない!
今、はっきり聞こえた!

「どこ?? どこにいるの!?!?」

何よりも聞きたかった声。
姿は?姿はどこに?


千尋は必死で視線をさまよわせた。



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