鐘楼(しょうろう)流し (1)
「千尋ー。あんまりそっち行っちゃだめよー」 盂蘭(うら)盆明けの宵篝(よいかがり)、物見人(ものみびと)あまたさざめく夕河原。 ぱちぱちはぜる火花の橙がうす暮れどきの西空を焦がし。 催しごとのはなやぎに浮き立つ水辺、花火の準備も滞りなく。 みちゆけば汗ばむほどの人いきれ。 そぞろゆくひとびとの手に揺れるのは。 うつくしげに拵(こしら)えをつくした思い思いの紙灯篭(とうろう)。 暮れ風の肌あたりがもう少しひんやりしはじめるころになれば、日も落ちる。 水辺に墨色降りるそのころあいを見はからい、灯篭には灯が入れられることになっていて。 そしてそれらは、華々しい音楽とともに川に流されるのだ。 祭催い(まつりもよい)のさざめきの中、人々はその時を今か今かと待っていた。 もとは厳粛な盆送りの行事であったはずのこの種のならわしは、「精霊ながし」とも「万灯ながし」とも呼ばれ、日本各地に残っている。 盆に戻ってきた先祖の霊を慰めるものであったり、厄落としであったり、願い事を灯篭に書いてその成就を祈るものであったり、・・・その意味合いや目的は、それぞれの土地柄によって微妙に違う。 この地域に伝わる「鐘楼流し」は、すでに観光化されてしまった感もぬぐえないが。 本来は、家族に亡くなった者のある家が初盆を迎えたとき、故人をしのびつつ、その魂を三途の川の向こうへとひっそり送るためのものだった。 迷わぬように。想いのこさぬように。 あちらの世界へかの人のたましいを静かに導いてくれるよう、川面に浮かべた灯に手を合わせ。 ・・・・・時には。 どうにも成仏しようとしない悲しい性(さが)に縛られた者を送る時には。 生きた子供を鐘楼船に乗せ、命添えとして一緒に海に流したこともあったという。 子供の泣き声は水面(みなも)を這う念仏と波音に掻き消され。 鐘楼舟に灯された火影のうごめきは、重い波間にぬれて映え。 大小の灯篭は水上にほつほつと一筋の列をなし。 水の彼方へ続く死者のみちゆきを、諄々と諭していたという。 むろん、このようなもともとの宗教的意味や、どこかしら迷信めいた重苦しい風習の色合いは年ふるごとに薄れてゆき、近年では夏の楽しいイベントとしての性格とイメージがすっかり人々の間に定着している。 この町の「鐘楼流し」は流される灯篭や鐘楼船の美しさが話題を呼び、住民や帰省者のみならず県外からの観光客をも大勢呼び寄せる大掛かりな行事となっていた。 会場の中ほどに目を移すと、『灯篭作りコーナー』と大きな活字でのぼりを立てたテントが一等席にでんと陣取っている。 和紙や竹籤(たけひご)、和ろうそくなど、流し灯篭の材料が販売されているそこからは、人々のはしゃぎ声が絶えず。 石造りの橋の上には、その様子を撮影するTV番組のスタッフ陣や、川流しの写真を収めようとカメラを構える者達がひしめいていた。 「千尋ー!聞こえてるのー?人が多いからこっち来なさいって言ってるでしょー!」 「はあいー」 母親に呼ばれて川岸で振り返るのは、白いワンピース姿の幼い少女。 年のころは、3つ・・・4つになるかならないか。 茶のかった髪を振り分けにして、キャンディのような丸い飾りのついたゴムでふたつに括っている。 少女の動きにあわせて、そのころんとした飾りが両耳の横でぴょこぴょこおじぎをした。 「ねーねー、いつになったらちーちゃんも『ぽにーてーる』できるのー? うさぎぐみのまみちゃんも、りすぐみのかなちゃんも『ぽにーてーる』してるのにー」 少女は、とてとてと母親のそばに駆け戻り、彼女の手にぶらんこしながら舌ったらずな口調でおしゃべりをはじめる。 「もうちょっと髪が伸びたらね。りぼんもちゃんと買ってあげるから」 「しろいおりぼんだよ! スキップしたら、ふわふわふわってなるやつ!!」 「はいはい・・・・ほら、花火始まるわよ」 どぉん、どどぉおん、と地に響く低い発射音が辺りに轟(とどろ)き、瞬間人々のざわめきを吸い込んだそれはひゅるひゅると空に駆け上がり、夜空の高みに弾けて大輪の炎花を咲かせた。 「わぁーー!ちれいーー!」 『き』がうまく発音できない幼い娘は、まだ時折『き』と『ち』を混同する。 特に早口になったり興奮したりするとそうなる傾向があるが、そのうち直るだろうと、母親も特に咎めたりはせず、そうねぇ、きれいねぇと隣であいづちを打っている。 観客の喝采の中、打ち上げ花火は続けざまに空を黄に朱に染め。 岸に準備されていた仕掛け花火にも火が入って、川べりには様々な火文字や絵柄が夏夜の暗みを背景にごうと浮かび上がり、続いてそこから滝のように火の粉が噴出されて水面には火の雨がふりそそぐ。 川のおもてにくもりなく映し出されるそのさまは、まるで水底から水面に向かって火の粒が湧きあがってくるかのようにも見え。 暗色の川へなだれ落ちてゆく炎の雨と、水の闇からせり上がってくる火光のうねりは、水面でひとつに合流し、勢いそのまま川面を流れくだってゆく。 「し・・・・うろう、・・・・な、・・・し」 くだんの幼な子は、仕掛け花火に浮かび上がる文字の中から、読めるひらがなだけをうれしそうに指差してたどっていたかと思うと。 突然くるりと川に背を向け、両足を広げてふんばり立った。 そして、かくんと身体を前倒しに折り、自分の両手で両足首を掴んで股の間から向こうをのぞこうとする。 「な、なにしてるの、千尋??」 驚く母親に、子供はうんうんうなりながら答える。 「あのねー、おみずにうつるひらがな、はんたいむきになってよめないからー」 「うん?」 「ちーちゃんがさかさまになったら、よめるかな、っておもって・・・」 股の間からのぞけば、世界の天地上下はちょうど逆になって見える。 子供ながらよく思いついたものだと母親は感心したが、もともと運動神経があまりいいともいえないらしいその子は、案の定、-------ぼっちゃんと水ぎわにしりもちをついた。 べしゃ、と濡れた音に母親が驚いて振り返り。 「きゃあっ、千尋!!!」 瀬に座り込んだ娘を彼女があわてて抱え上げると、白いコットンワンピースからぽたぽたと水のしずくをしたたらせながら、子供はえへへと笑っていた。 「ああああもう、せっかくいい服着せてきたのに、、、、気をつけてよ、千尋」 濡れても特に寒くはない夏の宵、子供にとってはむしろ気持ちがよいくらいだったのだが。 新しい服着せた時に限ってどうしていつもこうなのかしらね?などと、母親はぶつぶつ言いながら荷物の中の着替えを探す。 「あら・・・? やだ、さっきのとこに忘れてきたのかしら」 小さな子連れなので、ちょっとした外出にも着替えの予備は欠かせない。 今日も出掛けに、一応簡単な着替えは持って出たはずだったのだが、それが見当たらない。 ほんの数メートル後方にある自転車置き場にちらりと目をやると、自分たちが乗ってきた親子乗り自転車の前かごに、それを入れた紙袋が無造作に入れられたままになっていた。 「千尋、ちょっとここでじっとしてて。お洋服とって来るから。いいわね?」 「ん!」 「千尋の灯篭船、ここに置いとくから、なくならないよう見といてよ?」 「はーい」 子供は『よいこのおへんじ』をしたなり、水遊びを始めようとして、 「千尋っ!!」 また叱られる。 が、えへえへと悪びれもせず、荷物を取りに行く母親に手を振った。 と、その時。川辺の空気が一変した。
待機していた楽団が華々しく演奏を始め、川流しの合図があったのである。 人々は歓声を上げながら大挙して川に押し掛け、手にしていた灯篭を次々と水面に浮かべはじめる。 川べりでお留守番していた幼女の前後左右にも、容赦なくその人波は押し寄せた。 「え・・・あ・・っ・・・やぁああ・・・っ!!」 大きな人間達の黒い塊が迫り来る巨大な壁のように見え、彼女は急に怖くなって小さな悲鳴を上げた。 が、熱気を帯びた人々の目に、足下でうずくまる幼な子の姿など目に入らないのか、我先に水辺に駆け寄る人間たちの勢いは止まらない。 「やあん、おかあさん、おかあさぁん・・・」 蹴られまい、踏まれまい、と身体を縮こめるのが精一杯の子供の頭上を、自分の倍以上はある大きな人間たちが次々と踏み越えてゆく。 がっ、と泥だらけのスニーカーが頬先を掠め、幼女はびくりと身を竦めた。 少女の脇を一人の少年の足がひょいっと身軽に走り抜け。 その拍子に、かつんと音を立てて、彼女のかたわらの灯篭船が蹴り飛ばされた。 「あーーー!」 それは少女が幼稚園で作って持って帰ってきたものだった。 台座になる小振りな木船の上に直方体に組み立てた和紙が立てかけられ、そこにはうさぎだのひよこだのお花だのと子供らしい絵がいっぱいに描かれていた。 少年に蹴り飛ばされた手作りの灯篭船は、よろよろと人の足の間を転がって今度は一人の婦人の女下駄に踏まれ、そしてまた一人の壮年の男性の足元にからまり、かと思うと今度は若いカップルに蹴飛ばされて、・・・・と見る見るうちによれよれになり、幼い娘の手の届かないところへと弾かれてゆく。 「やーー! ちーちゃんのおふねー!!!」 幼な子は夢中で駆け出そうとして、---------がつん、と横腹に固い靴先の衝撃を受けた。 悲鳴を上げる暇もなく、小石混じりの河原に横倒しに転がって、それでも彼女が懸命に目を開けると。 ぼろぼろになった灯篭のひよこが、灯も入れられぬまま、ぐしゃりと川に飲み込まれるのが見えた。 --------いやーーーーー!!!! 我を忘れて立ち上がろうとすると、後頭部に誰かの膝が当たった。 鈍い音と眩暈がした。 「あぶねぇなあっ!どけよっ!」 瞬間身体が前のめりになり、痛いと声を上げるより先に背中を踏まれた。 朦朧とする頭を上げると。 すぐ顔の前に、凶器のように振り落ちてくる黒い靴底が見えた。 --------やーーーーーーーっ!! 全身が凍り付いてまばたきもできなくなったとき。 ふっと視界に何か白いものが覆いかぶさった。 --------・・・・あ・・・? その白いものはどうやら着物のようで。 その白い着物を着ているのは、自分より少し年かさのごく若い少年らしく。 少年が自分をかばって、ぎゅっと抱きしめてくれているのがわかり、少女は夢中で彼にしがみついた。 どこか遠くから、自分を呼ぶ母親の悲鳴混じりの声が聞こえ。 少年の肩越しに、視線をさまよわせると。 遠のく意識の向こうに、海へと向かうとりどりの灯篭の美しい灯列が見えた。 --------ちーちゃんのおふねにも、ひをつけなくちゃ・・・・ 少女はぼんやりそう思った。 救急車のサイレンが河原に鳴り響いていた。 <INDEXへ> <小説部屋topへ> <鐘楼流し(2)へ> |