鐘楼(しょうろう)流し (33)
娘の目の前で、『儀式』は淡々と進む。 白龍のめくばせに、板長蛙とリンが進み出た。 リンが、白木の台に、白磁の皿、神酒、榊(さかき)の枝を設置して、即席の神棚を用意する。 板長は、腹巻の中から、さらしに巻いた包丁を取り出し、二頭の豚の体内から「形見」の品を切り出した。 昭夫の体から取り出されたのは腕時計。 悠子のそれは白いイヤリング。 どちらも千尋にとっては見覚えのある、なつかしい品だった。 リンがそれらを傍らの水場で洗い清めてから白磁の皿に捧げ受け、神棚に奉る。 二礼二拍一礼の作法にのっとって祈りを捧げる二人。 ※管理人注:「二礼二拍一礼」神様にお参りするときのお作法の一種です。
神前で二回お辞儀、二回拍手(かしわで)を打って、 そのあとまた一回お辞儀する、というイミです^^ 千尋は、ぐっと唇を引き結び、ひとことも発しないまま、それでもしっかりと目を見開いて、一連の作業を見つめていた。 祈りをすませると、「形見」と二艘の灯篭船を持って、リンは千尋を屋外にいざなう。 千尋は、黙ってそれに従った。 女ふたりが畜舎の外に出て行ったのを見届けて、板長蛙は白龍に向き直った。 「あとの始末はワシに任せて、な。ハク様」 微動だにしない龍神に、蛙は言葉を重ねた。 「ハク様も、川流しに行ったほうがええ」 固い瞳のまま、なおも龍身を解こうとしない若神の前に。 板長は、懐から布包みを取り出した。 「リンが気ぃきかせてな。ワシ、預かっとったんや」 布包みの中には、帳場用の予備の水干がひとそろい仕舞われていた。 新品ではないが、きちんと洗い張りしてある、清潔なものである。 「その・・・着物が汚れるやろうからって、な。さすが、女はこまかいとこまでよう気がつく」 白龍はびくりとたてがみをふるわせた。 リンが案じたとおり、今ひとがたに戻れば、返り血にまみれたこの姿は凄惨そのものである。 人の娘の目に映るそれは、けもののかたちでいるときよりも、ずっと衝撃的であろう。 先ほど、リンが千尋を連れて一足先にここから出て行ったのも、そんななまなましい姿を彼女に見せまいと気を回したに違いない。 本音を言うと、もうこれ以上千尋の傍にいるのは耐えがたかった。 血に穢れた衣服は神聖な川送りの場にふさわしくないから・・・と言い逃れのひとつでもして、できることならこのまま彼女の前から姿を消してしまいたかった。 目の前に差し出された、ましろな着物。 ばかやろう、逃げんじゃねぇ!と胸倉を掴まれるよりも、ずっと手痛い釘を刺されたように思え。 気持ちの整理つかぬまま、彼はのろのろと龍身を解く。 板長蛙はひとがたに戻った龍の若者に衣服の包みを渡すと、もうそれ以上何も言わず、黙々と遺骸のあとかたづけに取り掛かった。 * * * * 身なり清潔にあらためて、ハクは川流しの岸辺へ向かう。 近づいてくる彼の足音に振り向いた千尋は、肩からかけていた毛布を脱ぎ、両手を揃えて丁寧に頭を下げた。 「あ・・・! 毛布は着ていなさい、身体が冷える」 思わず駆け寄り、毛布で娘の身体を包む龍神に、リンは小さく目礼し、さりげなくその場を離れる。 「ハク。この鐘楼船の絵・・・」 灯かりを入れた二艘の鐘楼船には、同じ絵が張られている。 リンは、ハクに渡される船はいつもこの絵柄だと言っていた。 子供が喜んで描く、うさぎだのひよこだの花だのの図案。 「千尋、これを覚えているの?」 「うん」 「・・・・そうか」 千尋の記憶の中にもしっかりと残っている、あのときの――――――幼かった千尋がハクを川送りしてやった、あのときの鐘楼舟と同じ絵だ。 それきり黙ってしまった龍神に小さく背を向けて、千尋は川べりにしゃがみこむ。 形見の腕時計とイヤリングを鐘楼舟に載せ、それを水瀬に浮かべながら、ぽつんと言った。 「お父さんとお母さん、生まれ変わったらまた夫婦になれるかな」 ハクは眉に複雑な陰を落としたまま立ち尽くす。 前世で夫婦や恋人であったものたちが、次の世でまた同じようなめぐり合わせに生まれることはまれである。 いや、そもそも、生がかさなる同じ『時』に生まれ変われるとは限らない。 むろん皆無というわけではないが、よほど縁(えにし)が深いもの同士に限られる。 「すごくね、仲のいい夫婦だったの。いつまでも恋人気分が抜けないみたいな。わたしいつもお邪魔虫でね」 つぶやく娘の細い肩が震えている。 それでもハクは、かける言葉を捜しあぐねていた。 「わたし、もういちどお父さんとお母さんの子供に生まれたいな。だって」 現実を告げるべきか、その場限りの慰めの言葉をかけるべきか。 ふたつの選択肢の間で、ハクが心揺れる中。 千尋はさらに言葉を重ねた。 「だってわたし、ちゃんと親孝行してあげられなかっ・・もっと、も・・っ」 語尾は。 胸からこみあげるものをこらえるために、喉の奥に飲み込まれた。 彼女の肩を抱きしめてやりたい衝動と、今すぐこの場から消えてしまいたい思いとのせめぎあいに心を締め付けられながら。 ハクはやっとの思いで舌の上に言葉をのせた。 「・・・・・こんなことしか、してあげられないけれど」 言いながら、ハクは千尋のとなりにひざまずく。 そして、懐からなにやら丸いものを取り出した。 「あ・・・。ハク、それ・・・」 「おまじないだよ」 彼が取り出したものは。 赤いキャンディのような飾りのついた、子供用の髪飾りだった。 ハクはそれで、昭夫と悠子の灯篭舟をひとつにつなぐ。 「昔、そなたは、これでまじないをかけてくれたね」 「うん・・・ハク、まだそれ持っててくれたんだ」 「ふたつのおふねが、はなれないようにしたの」
「・・・・うん?」 「おまじない」 「何の?」 「またあえますように、って」 「・・・・」 「そしたら、さびしくないでしょう?」 二人の遠い記憶の中の、忘れがたいひとこまが蘇る。 幼い千尋の灯篭舟とハクのそれが、ころんとした丸い飾りのついたゴムでひとつにつながれ、後になり前になりしながらくるくると踊るように川面を滑っていった、あの夜の情景が、―――――蘇る。 そのまじないが効いたのか、それとも、龍という生き物の『業』なのかはわからないが。 この不思議の町で、自分たちは再会してしまった。 「さあ、夜が明ける前にお送りしよう」 もう夜明けは近かった。 日が昇れば、この川は消えてなくなり、一面雪につつまれた草原にもどってしまう。 うなずいて、千尋は水面の船から手を離した。 二艘の灯篭舟は、あっさりと娘の手を放れ、さらさらと水面を滑る。 うすむらさき色に明けそめつつある水平線。 遠ざかる灯篭舟の灯が、夜明け色のみなもに溶けてゆく。 川面にかかる重たげな雲と、岸辺を覆う厚い積雪が、ひとしくやわ色に染まっていく中、小さくなってゆくつがいの舟影。 やがてふたつの船は、その輪郭もあやふやになり、2つなのか1つなのかさえもわからない、小さな点となり。 水間にかすかな火色を投げながら点滅するそれは、視界の果てへするすると吸い寄せられてゆく。 いつ泣き出してしまうかと、はらはら見守るハクの隣で。 ゆれる舟灯が夜と朝のはざまに抱き取られ、その残影までもが波間に消えてなくなってしまうまで、千尋は気丈にそれを見送った。 そして、おのれの立ち位置をつかみかねている龍神に、きちんと礼を言い。 それから。 「ハク」 思いつめた瞳で、目の前の若者に問うた。 「このままハクまでいなくなったり、しないよね?」 ぎくりと息を飲んだ白皙の青年に。 千尋は消え入りそうな声で、それでも懸命に、畳みかけた。 「ハクがいなくなったら、もうわたし生きていけない」
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