後日談  




「ハクや、先程から機嫌の悪い顔をしてるね。どうかしたのかえ?」
朱塗りの杯を傾けながら、遊亀は近くに座しているハクに問いかけた。
切れ長の瞳が楽しげに細められている。ハクの心中を見透かした上での問いかけなのだろう。
一方ハクの方も、問われることを承知でそういう態度を晒しているのだ。
礼儀をわきまえているはずの彼が客である遊亀に憮然とした表情を見せているのだから、むしろ非難しているともとれるくらいだ。
だが、問われてもハクはすぐには口を開かない。濃緑の瞳を遊亀に向け、笑みに対して無表情で答えた。目は口ほどにという言葉のとおりに。
「遊亀様、無礼を承知でお尋ねします。ゆうべ千を呼んだのはどのような御用件だったのでしょうか」
遊亀の想像のとおり、ハクの不機嫌の原因は千尋の事であった。昨日突然呼び出されて遊亀の座敷に上がった千尋が、なにをどうして過ごしてきたのか、それが気になっていたのである。
「おや、別に悪いことをしたわけではないよ、話をして過ごしただけさ」
「どういったことを話されたのでしょうか」
上司が部下の接客を気にかけるのは至極自然なこと。そんな大義名分が通用しないことはハクもすでに承知していた。完全に私情による質問である。
「これは無粋なことを。気になるのであれば、私に聞くのではなく、直接千に聞いたら良いのではないか?」 笑みを深くした遊亀に、ハクは微かに眉を動かした。ぴきっという音が聞こえたかもしれない。
遊亀の笑みは艶やかで、見る者を惹きつけずにはいられない程だが、ハクにはその妖艶さが意地の悪い微笑みに思えた。
それが叶わなかったからこそ、苛ついているのだ。
ゆうべ仕事が終わった後に千尋を捕まえて訊ねたのだが、言葉を濁して語りたがらない。傷付けられた様子はないのでその点では心配ないのだが、どうしても言いたがらない千尋に、ハクは別の感情を覚えた。
今まで千尋がハクに隠し事などしたことがあっただろうか。
ハクを全面的に信頼し、雛鳥のように懐いている千尋が、よりによってハクに隠し事をするとは。
それも、なにやら後ろめたいことがあるかのような顔をしていた。これでは気にするなという方が無理な話である。
ハクにその自覚はないが、ある意味やきもちを妬いているようなものである。
「その様子だと、聞いても答えてもらえなかったようだね。まぁそれもせんのないことか」
やはり意地が悪い。
遊亀はハクが独占欲の一端から機嫌を損ねていることを察した上で笑んでいる。
彼女は恋心に関することにおいては勘がいいのだ。
「遊亀様…」
「教えぬよ」
苛立ちを抑えて再度訊ねようとしたところを、言う前にはねのけられてしまう。
「千が言いたくないと言うのならばそれまでのこと。お前に話したくないとあの娘が望むことを、どうして私が明かせるものか」
ハクは続く言葉をぐっと飲み込むしかなかった。そう言われてしまっては反論のしようがない。ハクとて千尋が嫌がるものを無理して聞き出したいとは思わないのだ。
だが、そう思ったところで、心にひっかかったもやもやしたものが払拭できるわけではない。
これが良い感情ではないことはハクにもわかっているのだが、恋ゆえの懊悩を抑えられるほど、ハクは清廉になりきれなかった。
だが、それもまた、想いが深く複雑であるからこそなのだ。千尋がやきもちを妬いてしまったのと同じ理由である。
それを思った遊亀は、満足げにそっと笑った。
「そもそも、お前は少し過保護なのではないかえ?私が千を見つけた時からぴりぴりとして、話がしたいと言っては文句をつける。束縛するばかりが愛情ではないだろうに」
「わ、私は別に…」
「お黙り。恋には私の方に一日の長がある。
千は危ういほどに無垢で純心な娘、お前の好きにさせておいたら不幸になりかねないよ。これからは私が時折様子を見に来てやらないといけないかもしれないね」
遊亀の言葉に、周りの女達も笑いながら頷き合う。
「ええ、そうなさいませ、千もきっと喜ぶでしょう」
「今度は旦那様と一緒に参られるがよろしゅうございますよ。お願いしてみてはいかがですか、奥様」
女達の華やかな笑い声で満たされた座敷で、ひとりハクだけが眉間にしわを寄せていた。
この調子だと、遊亀が来る度に同じような煩悶をさせられることになりそうである。
思えば、遊亀が最初に千尋の方を見たときに大袈裟なほど気を動揺させてしまったのは、この事態を無意識に予知していたからなのかもしれない。
ついそんなことを考えてしまったハクだが、この後、それもあながち外れていなかったのだと思い知ることになる。  

しばらくして、遊亀の訪問の知らせを受ける度にハクは溜息をつくようになった。
それを目撃した従業員達の間で誤解でしかない憶測が流れ、影での非難が一層酷くなったのだが、幸いハクはそのことを知らない。


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 この小説は、わたしが日参しておりますサイトさま、「温夜堂」の温さまからいただいたものです!
 リクエストあったら書きますよ、との気さくなお申し出にほいほい乗って、「それでは〜『千尋がやきもち焼くお話』を!」と厚かましくお願いしましたところ、殺人的にお忙しいスケジュールの中をぬって、このような素晴らしい大作を書いてくださいました!ああ嬉しい!!!こういうお話が読みたかったんですよぉ!!
 千尋、ハク、そしてゲストキャラの遊亀さんのからみの絶妙なこと!!!それぞれの人物の心情もぐっと掘り下げてあって、ほんとに読み応えがありました!!
 こころよくリクエストをお受けくださり、また、当サイトでの公開を了承くださいました温さまに感謝!です。
 なお、温さまの「温夜堂」へは、リンク部屋から行けますので、ぜひ!!!


♪この壁紙は薫風館さまよりいただきました♪



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