ボートにのって (4) 






「動・・ないで!今助け・・行・・・・!」






熱風に歪む空間の向こうから、大好きな少年が何か叫んだのがわかった。


炎がごうごうと膨らむ音に邪魔されて、その言葉の隅々までは聞き取れなかったが。
そんなことは千尋にとってどうでもよかった。


熱さも息苦しさも感じなかった。









あそこにハクがいる。
だから、そこへ行く。それだけ。









龍の少年の目の前で、千尋は何の迷いもなく炎の絨毯へ向かって駆け出す。

スローモーションで繰り広げられる悪夢のような光景に。
ハクの思考は一瞬凍りついた。








わたし、ハクのとこにいくの。









大小の焔(ほむら)をまとった紙片の群がわらわらと熱に煽られて、踊るように少女の頭上に降ってくる。
真っ青になった少年がその身を龍身に変えて飛び出そうとしたとき。



火片の一つがぼっと嫌な音をたてて、千尋の髪に移った。









ハクのところに、いくの・・・・っ!!











白龍の視界の真ん中で、千尋の髪をまとめていたゴム紐が焼き切れ、細い栗色の髪が熱に乱されてばらりと広がった。

手加減している余裕はなかった。






   ぅぅぅううう・・・・っ!!




大地を揺るがす悲鳴のような白龍の咆哮とともに吐き出された、巨大な水の塊。
堰を切った鉄砲水のようなそれは、炎に飲まれようとしている少女へ向かって一直線になだれ飛ぶ。






   どん・・・・・・っ





放たれた勢いのまま、巨大な水塊はかよわい人間の少女に激突し、
千尋はそのとてつもない水圧に弾き飛ばされて、大きく後方へ投げ出された。
そして、そのままなおも渦を巻いて暴走する水流の中へどぷんと頭から取り込まれ、天地が逆転した。







    千尋-----------!!





龍神の渾身の力で放たれた水は、この狭い室内で使うのにはあまりに強力すぎた。
ありあまる力をもてあまして暴れる激流は、納まりどころを見つけられずに苛つくかのようにうねりを増し、鎮まる様子を見せない。

呼気を失った人間の少女の指先が、渦流の中でぴくぴくと震えるのが見えた。


龍は半狂乱で自ら流れのさなかに飛び込んだが、少女を抱え込んだ水は、まるでパニックを起こしたかのようにのた打ち回り、すんなりと主に人間の子を返そうとしない。





   ------間に、合わ・・・・・・・






体内の内臓すべてが押しつぶされそうな圧迫感に飲み込まれ。
重たい水に手足の自由も呼吸も奪われたまま、千尋は意識を失うまいと必死に歯を食いしばった。








怖くない!ハクの水だもん!!









水の重みに逆らって、ぎりぎりと両腕を持ち上げ。

千尋は、勢いおさまり切らずに荒ぶる水を『抱き締め』た。






















と。



























「千尋! 千尋、無事か!?」























目を開けると。
彼女が『抱き締め』ていたのは、荒れ狂う水ではなくて。









肩で息をする、碧い瞳の水神だった。





「すまなかった。水の勢いを制御する間がなかった」






のたうちまわっていた巨大な水塊も、そして部屋を飲みつくさんとしていた炎も熱も、うそのように消えて。
焼け残った、ずぶぬれの部屋の中で抱き合う龍神の子と人間の娘のかたわらに。


燃え残りの西洋蝋燭がころんところがっていた。










「ああ、、、髪が焦げて、、、、火傷はしていないか? 水は飲まなかった?」



少年は腕を緩めて、胸の中の少女の安否を震える声で確認する。






「怖い思いをさせて悪かった。もう、大丈・・・・・・っ!?!?!
















がちん、と歯のあたる音がした。

唇が、わずかに切れた。



彼が痛みを感じたのは。






少女のその唐突で不器用で一生懸命な行動が

何であるのかを理解した後だった。













♪この壁紙はシシイさまよりいただきました♪