ボートにのって (5) 






わたしはあなたより、ずっと年下かもしれないけれど。

あなたが思ってるほど、子供じゃない。



わたしはあなたより、ずっと弱い『にんげん』だけど。

あなたが思ってるほど、もろくない。






だから。


わたしにも、わけて。

あなたが抱え込んでしまう、いろんなことを。







「大丈夫」だなんて、いわないで。


やさしげな笑顔で、逃げないで。




「ごめん」のひとことで、突き放さないで。





そばに、いさせて---------------。














                             tomoさま画






水神の子の首にぎゅっと回された、人間の子の両腕。
その細い腕(かいな)に込められた力は、一向にゆるむ気配はなかった。





龍神の少年は、-------------少女のなすがままに、幸せに浸っていた。








が。
・・・ややあって、彼女の体がぷるぷると震えだし。

どうしたのかと少年が薄く目を開けて盗み見すると。










・・・・・・人間の子は酸欠状態で顔を真っ赤にしていた。










「ち、千尋っ!!」


ハクが慌てて身を放すと、千尋はぷはーーーっと水際の鯉のように大きく口を開けて思い切り息を吸い込み、そして次の瞬間、・・・げほごほと激しくむせ込んだ。

あわてて取り込んだ空気が、とんでもないところに飛び込んだらしい。



「だ、大丈夫・・・??」

ハクがおろおろと背をさすってやると、千尋はまだけふんけふんと咳き込みながら、軽い呼吸困難のために涙目になった瞳で、懸命に話す。



「わかって、ほしかったの」

「え? 何を?」



少女の呼吸は、やっと少し落ち着きを取り戻す。
はーふはーふと深呼吸を繰り返しながら、まだ完全には整わない息の下で、彼女は続ける。




「あのね、わたしはね、ただの人間の女の子だから」

「あ・・・うん」

「ハクみたいなすごいやり方で思ってること伝えられないし」

「う、うん?」



すごいやり方、とはどうやら例の、指先から意志を映像のように伝達する術のことを言っているらしい。



「ハクみたいに頭よくないから、ことばでも上手く言えないし」

「そんなこと」

「なんでハクがあんなに苦しそうにしてたのかも、わかんない。でも、」



千尋はもういちどハクの首に、幼な子のようにかじりついた。











「わかってほしかったの!」














----------何を? と、また問いなおすほど、龍の少年は無粋ではなかった。



言葉では言い尽くせない、こもごもの思いを。
彼女は、精一杯の行動で自分に示してくれたのだ。


『そういうとき』は、鼻で呼吸すればいいということさえ知らなかったらしい少女が。
息が続く限り自分から離れようとしなかった、あのひたむきな気持ち。


男なら。わからないはずが、ない。





もう。
つい先だってまで、あれほどまで重く胸につかえていた感情は。

じわじわと透明なものになっていって。


かわりに、ひたひたと心を満たすこの幸福感を、どう表現すればいいのかと。


言葉を選びかねて、龍の子が困っていると。




「あっっっ!!!!!」


突然、千尋がすっとんきょうな声を上げた。



「え? 千尋? どうしたの?」

「も、もしかしてっ、あのっ!」

「もしかして?」

「わあ、どうしよう、、、ええと、、、、あの、、、」

「何?」

「・・・・・・・・・・・だった?

「え?」

「その、、、ハクは、、、、、嫌だった・・・・?

「えっ??」




ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと、消え入るような声で繰り返しながら。
人の子は龍の少年の腕の中で小さく小さく身をちぢこめた。

その姿はまたまた、亀というかカタツムリというかアンモナイトというかダンゴムシというか。


そんな少女の様子がいとしくて。
ハクは微笑する。




「千尋」

「は、はい」

「私も、『わかって』ほしいな」

「はい?」






いぶかしげに瞳を上げた少女の顎に、くいと人差し指を添えて。
そのままそっと顔を近づけたとき。










「あの〜〜、ハク様? 何事かありましたんで? 今さっき、ものすごい音が・・・」


遠慮がちにとんとんと部屋の戸を叩く音と、父役、兄役らとおぼしき蛙男たちの声が扉の向こうから割って入った。



千尋はぴく、と一瞬体を硬くしたが、ハクは彼女の体を放さぬまま、行為を続行する。




「ハク様っ? そちらにおられますかっ? ハク様っっ?!?!?!」




ハクはやはり無視を決め込んで、千尋の唇を吸い続ける。


白水干の袖の中にがっちり捕らえ込まれた千尋は困りきって、辛うじて動かせる左手でばんばんとハクの胸板を叩き、何事か訴えようとするが。

そのちっこい握りこぶしごと、手首を捕まえられてしまい、さらにさらに困ってしまう。





とんとん、が、どんどん、に。そして、ばんばんばん、に変わり。
ついに、ばあんがばあんがあああああん、と、戸に体当たりをする音になったかと思うと。




ばりばりばりどごぉぉおおおっっ!!







さして作りつけの良いわけでもない扉、しかも内側から半分焼け焦げた状態のもろいそれは、蛙たちの体重にあっけなく敗北し。




倒れた戸板の上に勢いよくべっしゃんと将棋倒しになった蛙たちの目の前に。





焼け焦げだらけ、水溜りだらけの、修羅場と化した部屋。


と、こちらに背を向けたまま、ちろりと横目で睨む少年上司。



・・・と、その影でじたばたと無意味な抵抗をしている、桃色水干の小湯女ひとり。








・・・・・・・・。





・・・・・・・・・・・・・・。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。








し、ししっ、失礼しましたぁああっっっ !!!」
「わ、わっ、我ら何も見ておりませんゆえっ!!」
「どどどうぞ、ごゆっくりっっ!!!」






蛙たちは、泡を食って我先に廊下の向こうへと消えた。

こけつまろびつどたどたどた、といった騒々しい足音を聞きながら、やれやれとハクがため息をつくと。

やっと口を解放された人間の子が、心配そうに声をかけた。



「あの、ハク、、、、どうしよう、、、、」

「ん? 気にすることはないよ。別に私達は咎(とが)を受けるような立場同士ではないのだし」



蛙たちの口ぐらいなんとでも封じられる。
龍の帳場頭は内心高をくくっていた。

脅してもいいし、丸め込んでもいいし。
どうにでもなる、と。




「でも、、、きっと、ハク、悪口とかいっぱい言われるんじゃ・・・」

「・・・どんな?」

『しょっけんらんよう』、とか、『えこひいき』、とか」

「・・・っ」




微妙にその通りなので、ぐっとつまる、若き龍神。




『こうしこんどう』とか『あくじせんり』とか」

「あ、あのね、、」

『ようじょらち』とか、」

「ちょ、ちょっと待って、ちひ・・・・」

『ふじょぼうこ・・・・・・

「千尋っっ!!!」




誰だ、そんなろくでもない言葉をこんないとけない娘に吹き込むのは、とめまいを覚えながら。

彼ははたと、部屋だけでなく、腕の中の千尋も濡れねずみのままであることに気付く。













♪この壁紙はシシイさまよりいただきました♪