しゅんしゅんしゅん。 しゅおっ。しゅふぉしゅふぉっ。 火と水で、さんざに荒れた部屋の真ん中に。 差し向かいできちんと座った、水神の少年と人間の少女。 しゅしゅしゅしゅしゅ。 しゅわっ。しゅほっ。 「・・・・ふしぎな音がするんだねぇ」 火にかけたやかんの口から湯気が踊るのに似た音というか、よく熱したスチームアイロンを洗濯物にかざした時の最初の音に似ているというか。 とにかく、そんな音に包まれて。 千尋は、濡れた体をハクに『乾かして』もらっていた。 「く、くすぐったい〜〜」 「・・・・・触ってないよ」 直接触れたほうが、早く乾くけど。 少女の体にかざした手のひらを少しずつ移動させながら、龍の少年はそう付け足す。 年若い少年神としては。多少なりとも、気にしているのだ。 -----------先ほどの、性犯罪者まがいの呼ばわれ方を。 むろん当の少女にしてみれば、あれらの言葉の意味などほとんどわからずに、ただ先輩連中に吹き込まれたままを鸚鵡(おうむ)返しにしているだけなのだろうが。 「触ってもいいけど?」 一応、それなりに、かなり、気を使っているつもりの彼に対して。 人間の娘はけろりとそんなことを言う。 いろんな意味でげんなりと脱力するハク。 「あのね。そなたは本当に不用意にそういうことを言うけれど」 「??」 「・・・・べたべた触るのは、やっぱり気が引ける」 「そう?」 第一、そんなことをしようものなら、またあの出刃雀(でばすずめ)たちに何を言われるかわかったものではない。 この湯屋に娯楽が少ないのは承知しているし。 その数少ない娯楽のひとつが他人の噂話なのだというのも、よくわかる。 だが。 その娯楽の、格好の餌食にされているらしいこの少女と自分との取り合わせ。 自分がとっつきにくいのであろう分、もれなく矛先はとっぽい人間の子に向く。 妙に素直というかなんというか、思ったこと感じたことを包み隠す習慣がないこの娘。 それはそれで彼女の美点なのだが、困ったことに、彼女のその美点は、時と場合と相手を選ばない。 目をきらきらさせて詰め寄る女達に対しても、なんの隠し立てもせず、問われるがままぽろぽろと『誘導尋問』にのってしまうのは目に見えている。 ・・・・そして、噂は尾鰭(おひれ)にシッポにツノまでつけられてきゃあきゃあと湯屋中を駆け巡るのだ。 合言葉は 『ねぇねぇ聞いた? ハクさまってばさ、また-------------』
うんざりと眉間に皺を寄せ、ぶつぶつひとりごちている龍の少年。 の、胸の中に突然。 千尋が、自分からこてんと転がり込んだ。 「ち、千尋っ??」 「ハク〜〜〜〜」 見ると、はれぼったいまぶたの下からぼんやりこちらを見上げる少女の視線は、焦点もおぼろで。 「あたま、いたい。。。。」 いけない。今しがたの騒動で熱が上がったか。 「耳も、いたい。。。。。」 発熱で中耳炎でも併発したのか。 「のども、いたい。。。。。。」 淋巴(りんぱ)腺も腫れている。 「でもね。」 「ごめんよ。すぐに、休ませてあげる」 龍神の少年は大急ぎでなにやら口の中で呪をとなえはじめ。 と同時に、散らかっていた部屋の中は猛然と片付いてゆく。 「ハク」 「うん、」 ちょっと待って、と続けようとしたところを。 少女が遮った。 「-----------胸は、いたくなくなった。」 全力で部屋を片そうとしていたハクは。 ふと、手を止めた。 「胸?」 「うん」 「・・・・そう」 「うん。」 「よかった」 「うん」 「・・・・・ごめんよ」 「・・・うん」 ハクはくったりとした千尋を片腕で支え、空いた方の手で不思議な図形を空中に描く。 そしてぶつぶつと何やら口の中で唱えると、またたく間に部屋は整頓され、もとの清潔さを取り戻してゆく。 壁や畳の焼け焦げも濡れ染みもきれいに消えて。 蛙達にぶちぬかれた戸もきちんと立て付けられ、ふたりを外部の空間からそっと切り離す。 和室の中央に夜具一式も整い、そこに千尋は横たえられ。 枕元には、水を張った硝子の鉢。 そこに浮かべられた西洋蝋燭に控えめに灯かりがともされて、室内にはやわらかな明るみと香りが広がった。 「・・・・・すごいねぇ、ハクって」 「そんなことはないよ」 「これって、魔法?」 「それも少しあるね」 「・・・わたしのために?」 「そうだよ」 それを聞いて。 熱で顔をほてらせた人間の少女は、それはそれは嬉しそうに、ふわぁっと笑った。 龍の子も。 ちょっと嬉しくなった。 -------------『ハクって、すごいね』 少し前までは何よりも嫌だった言葉。 それを聞いても、何の胸騒ぎも感じない現金な自分に、彼は苦笑する。 「さあ。もう、おやすみ。これ以上熱が上がったらいけない」 「もうちょっと、お話ししてたいなぁ」 「駄目だよ」 「だって。なんだか嬉しいんだもん」 「駄目」 「〜〜〜〜〜〜〜〜」 うるうるお目目のおねだりオーラ。 『女の武器』・・・・と言うにはかなり幼いけれど。 誰に教わったわけでもないだろうが、こういうのは反則だ、と龍の子は思う。 惚れた弱みにつけ込まれたようでかなり情けなく思わないでもないが、・・・・ハクは半分だけ折れることにする。 「じゃあ、千尋は大人しくしてて」 「ハクがお話してくれるの?」 「うーん。そうだねえ」 そうするつもりで持ちかけたのだが、いざとなると気の利いた話題を用意してあるわけでもない。 どうしようかなと思案して、ハクはふと、あることを思いつく。 「さっき千尋が話してくれたね。ええと、『竹取の翁の物語』に似た、小さな、なんとかいう姫の話」 「『おやゆびひめ』?」 「そう、それ。目を閉じて」 「こう?」 なんだろうとわくわくしながら、目を閉じた千尋。 その額に、ハクはすい、と片手を添える。 「あ・・・・っ!」 「千尋を、『親指の姫』にしてあげる」 微笑む龍神の少年は、その指先を通して、とある美しい映像を彼女の意識の中に流し込んでいた。 それは、先刻、千尋がたどたどしい言葉で話して聞かせてくれた、遠い西の国の童話。 お花の中から生まれた女の子。 桃色の花びらに乗ってお皿の池で舟遊びをしたり。 燕(つばめ)に乗って空を飛んだり。 一番素敵なのは、花の王子さまとの結婚式で。 お祝いのろうそくが花火みたいで、すごくきれいなの。 熱にうなされながら彼女が口にしたそれらは、いろいろなシーンがごた混ぜになってひとつの場面に組み込まれてしまったり、ストーリーに関係なく、好みの場面がひょいと思い起こされて飛び出してきたりしていて。 はっきりいって、それでどう意味を汲み取れば物語が成立するのか、まことに怪しいものだったのだが。 それでも、そこに繰り広げられる、春色の光にいろどられた世界は夢のように可愛らしく、美しくて。 それらを、ハクは彼なりに解釈してひとつの世界にまとめ上げ、みずみずしい画像にして、少女の脳裏に映し出した。 そして、その世界の中心に、童話の姫よろしく、身の丈小さくした愛らしい千尋を置いてやる。 -------ついでに、自分も。 千尋のまぶたの裏に、ちょこんと小さくなった自分と龍の少年が、花のたもとの水辺で楽しく遊ぶさまが描かれて。彼女は歓声を上げる。 「わあ!! すてき・・・・!」 ![]() tomoさま画 清浄な水のせせらぐ歌の中。
ゆらゆら小舟に相乗りをして。 水面(みなも)に散り敷く花絨毯を掻き分けながら。 水先案内は、アロマキャンドルのほのかな香り。 ろうそくの炎(ひ)が金色(きん)にはぜ、光の粒を飛ばすさまは。 さながら、花嫁を祝うライスシャワー。 ばら色の花びらが、櫂(かい)のしずくとたわむれて。 くるくるひらひら舞うさまは。 まるで、バージンロードの紙吹雪。 おとめの夢をそのまま絵にしたかのような。 そのやさしげな世界にうっとりと心ひたす少女の表情に。 龍の少年はほっとする。 「・・・・気にいった?」 「うん!」 「よかった。眠るまで、こうしていてあげるから」 「ありがとう・・・・・あのね」 「何?」 千尋は目を閉じたまま、少し遠慮がちにつぶやく。 「・・・・これが、ほんとになったらいいのにな」 すると。 いとも簡単に、ハクは応えた。 「いいよ」 「え?本当?」 思わず目を開けそうになった少女を、だめだよ、やすまないと、とたしなめながら。 龍神の子は続ける。 「別に難しいことじゃないから。熱が下がったら、してあげる」 「・・・・・ありがとう。ハクってすごいね」 「そうかな」 「うん。すごい」 額に添えられた指先から。 彼がとっても安らかな気持ちでいることも、伝わってきたから。 千尋は、言うのをやめることにした。 『ほんとに』なったらいいのにな、っていったのには。
もうひとつ、意味があるんだけどな。 男の子にはわかんないのかな。 まあ、いいや。 ハク、嬉しそうだし。 わたしも、嬉しいし。 ![]() tomoさま画 うふふっと、幸せそうに緩む千尋の頬を見つめながら。 自分が持つ、特殊な『能力』を。 ある意味、劣等感に近い気持ちで、いまいましく思っていたことなどとうに忘れ。 ハクは思っていた。 ♪この壁紙はシシイさまよりいただきました♪
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