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 花筏(はないかだ) <3> 

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「千尋」



終業後、あたりに人気のないのを確かめて。
ハクはまとめ髪の少女を呼び止めた。



「あ! ハク・・」
さま、をつけないといけないかな。


きょろきょろ回りをうかがう千尋に。

龍の少年は微笑みかけながら手招きをして。
廊下の隅に、呼び寄せた。




なんだろ。なんだかハク、うれしそう。




好きな人が嬉しそうだと、自分も嬉しい。
思ったことがすぐに顔に出るこの少女は。
すでに、満面の笑みで。



薄暗くて狭い一隅に、二人膝を並べてちょこんとしゃがみこむ。
その姿は、まるで箱に詰められた、二体の小さなこけし人形。


「あのね。『いろはかるた』の字札を仕上げた褒美に、休みをもらえたんだ」
「わぁ! 大変だったでしょう? おつかれさま、ハク」
「二人で、どこかへ出かけよう?」
「え? いいの!?」


わあいわあいと喜ぶ少女に。
少し言いにくそうに、少年は続けた。


「ただね。・・・その日が、ちょうど社員旅行の日と重なってしまってね。それでも構わないかい?」
「え・・・・」


うーんと。
社員旅行は、楽しみにしてたんだけどな・・・。
リンさんたちと、トランプとか、怖い話とか、枕投げとかしようって、約束してて。



ちょっとだけ、考え込む、少女。




「だめかな」




大好きな少年の眉が、微かな落胆の陰を帯びたのを見て、千尋はあわてて言い直す。

「ううん! いいの。みんなと一緒、っていうのはいつもだけど、ハクと一緒、っていうのはめったにないもん」

「そう」

龍の少年の口元に浮かぶ、安堵の笑み。
別に、笑顔を見せようとして意識して作ったものではなくて。
襖を少しだけ開けた瞬間に、さっとそこから差し込む月の光のような。
そんな、さりげない微笑み。




ふふふ。ハクのこういう顔知ってるのって。
ひょうっとして、わたしだけかも?




やっぱり思ったことが顔にそのまま出てしまう少女の。
つやつやとした頬は、ぽぉっと高潮して。
そのまま、まんまる十五夜お月さま。




「そのかわり、ハクが相手してね?」

「相手?何の?」

「まずね。トランプ。」

「え?ああ」

・・・・『とらんぷ』?・・・・・花札のようなものだったかな。
何かの本に載っていたような気がする。
あとで、きちんと確認しておかなければ。



「それと、怖い話」

「うん。いいよ」

最近の若い娘は、変なことを喜ぶものだなぁ。
うんと怖い話をしたら・・・・、悲鳴を上げて、しがみついてくれる・・・・・かも・・。
あ、いや! 泣かせたりしたら、かわいそうだ。



「それからね。枕投げ!」

「・・・まく・・・・?・・・」



枕投げ』????

な、なんだ、それは。
『枕』は、・・寝所で使う、あの『枕』のことであろう。

・・・・・枕を投げる?・・・・枕を投げるほど・・・

・・・激し・・・いいいいやっ、まさか、!!
千尋がそそそんな大胆なことを・・・っ!!!





ぶんぶんとかむろ頭を振っている龍神の少年の顔を、千尋が覗きこむ。

「枕投げなんて、嫌?」 
「い、嫌ではないが、」
「あ・・・はしたないって思った? わたしのこと、・・・嫌いになった?」

うるうるとした目で切なく見つめられて、ハクはあわてて、言い直す。


「そ、そんなことはない!私も好きだ。その・・・ま、、まく、、、」
「そう?! よかった!!」


またまたまんまる笑顔になった千尋に安堵したのも束の間、少女の次の言葉に、彼はまたぶっ飛んでしまった。


「怖がらなくてもだいじょうぶだよ? そんなに乱暴にしないから。心配しないで」



「えっ。」
そ、そそ、そういうことは、普通、男が言うものではっ????

「痛くなんか、ないって」

「そ、それは、、っ、、、」
私はそうだろうがっっ!!


赤くなったり青くなったり。
困り果てているようにも見えるし、有頂天になっているようにも見える少年の表情を読みかねて。
千尋はハクの顔をもう一度覗き込む。



「・・・・ハク。なんか、変。




はっ。



いけない。
お、落ち着いて。

話題を変えよう。

深呼吸。深呼吸。




「で。どこへ行こうか?」
気を取り直して、尋ねると。


「お花見に行きたい!」
少女は即座に答えた。

「いいね。桜の下で、なにかおいしいものでも食べようか」

「うん!・・・あ、でも、ハクが一生懸命残業したご褒美なんだから、ハクの行きたいとこで、いいよ?」

「わたしは、どこでも構わない」
・・・・・千尋と一緒なら。

「じゃあ、温泉に行こう! ハクの疲れが取れるように。わたし、お世話してあげる!!」


翡翠の瞳が、細められる。



「それなら。いいところがあるよ」


『櫻屋』へ行こう。

年中、満開の八重桜がたわわに咲き誇る小さな温泉宿。
絢爛華美な『油屋』とは打ってかわって、古風でゆかしい宿。
若い娘にとっては少々地味に感じるかもしれないが、落ち着ける場所だし、女将とは面識もある。


「あそこの女将はあたりがよいし、客が人間だからといって、嫌な顔をしたりするような了見の狭い者ではない。千尋にとっても、居心地がいいだろうと思う」

「うん」

「・・・口が固いから何かと安心だし」

「『何かと』・・・って?」

えっ。 ・・・・あ、いや、っ、、、その、別に深い意味は・・・。要するに、、信頼できる、という意味で・・・」

「ふうん。楽しみだね♪」


「他の者には、・・・内緒だよ。」

「うん!」



多少の勘違いは、まあ、置いといて。



何はともあれ。
廊下の隅で、楽しそうに指切りをする可愛らしいふたり。





・・・の姿を、ちらりと見咎めた者がいた。
抜け駆けは、できないもんです。





* * * * * * * * * * *





「おはようございます、おじいさん。あの・・・」

「おーー? どした、ハク。こんな朝から」


翌朝早く、龍の少年は人生の大先輩のもとを訪れた。


「ちょっと、、その、相談が」


くぐり戸をくぐって来はしたものの、・・・・なんとなくそこでもそもそと煮え切らない、少年。


「なんじゃい」


「あの・・・。実は、その、、う、歌をいくつか詠んだのですが、、、」

「うん?」


なにやら書き付けた紙を握り締め、顔を赤らめているハクの様子を察して、
蜘蛛の老人は、茶と座布団をすすめた。


「ふふうん。誰ぞ好いたおなごにでも渡したいんじゃな? どれ、見せてみい」






心あらば 教へ聞かさむ 水鳥に 花の香映す 青きみなもを

いにしへの 花の宿りに 渡り寄る 胡蝶の想ひ 見するよしもがな

ふりあおぐ 月と見まがふ 花姿 風ふり来たれ 吾がころもでに
 



「どれか一首を選びたいのですが・・」

「ほほう。その娘と花見にでも行くんじゃな。そこで渡そうというわけか」

「・・・・・・はい」



うむ。まあ、それなりに、よく考えてはおるなぁ。



どれも、一見、美しい桜の花をたたえたもの。
だが、よく読めば、すべて恋の歌。
求愛の意味だ。

つまり、受け取った相手が、さらりと、
「あらほんと。きれいな花だこと」とでも返歌してくれば、脈はないということで。

逆に、
「わかりましたわ。あなたの想いは、よく・・・」というような意味を盛り込んだものを返してくれば、恋愛成就ということ。


釜爺はぽりぽりと頭頂部を掻く。


「うーーん。ワシらの若い頃はこういう遣り取りも盛んじゃったものだがのう。今時の若い娘に、この手の駆け引きはわからんのじゃないかなあ・・・・」


それを聞いて、がっくりと肩を落とす、少年。




「やはり・・・そうですか」



「あ、いや!! じゃがな、これなんか、いいと思うぞ? 分り易い言葉を使うてあるし、こういうものをもらう、っていうのは女心にぐっとくるもんじゃ!」


萎れてしまった少年に、老人はあわててひとつの歌を指し示す。

古風で不器用なこの少年なりに、一生懸命考えたのだ。
むげに心無いことを言ってしまっては、可哀想というもの。


「うん、そうじゃそうじゃ。細かい意味はおいといて、心はよう伝わるぞ? 大丈夫じゃ! これにせい!」



老人が示したのは、『いにしへの 花の宿りに・・・』の歌。


とたん、少年の顔がぱっと明るくなる。


「そうですか! 実は、私もこれがよいかと」

「うん、がんばるんじゃぞ、ハク」

「はい!」




元気を取り戻し、嬉しそうに出てゆこうとする後ろ姿に、老人はもう一度声を掛けた。



「おおーい、あのなぁ。字は『現代かなづかい』で、崩さずにきちんと『楷書』で書くんじゃぞーー」

「はい?」
出てゆきかけて、ハクは振り返る。

「草書や行書、ましてや万葉仮名なんぞ、センには読めんからのーー」



ごん。



くぐり戸に少年がしこたま後頭部をぶつけた音が。



「お。なんぞ塗り薬でも、いるかの?」


「・・・・いいえ。だいじょうぶです」



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<蛇足ですが・・>
ハクの作ってきた歌のうち、ボツになった二首の意味を、この場で一応語らせてもらってもいいでしょうか・・・(^^;)



心あらば 教へ聞かさむ 水鳥に 花の香映す 青きみなもを

【現代語訳・表】
風流の心があるのなら。教えてあげよう、水鳥に。ほら、青い水面に、香り立つように美しい桜の花が映っていることを。
【現代語訳・裏】
そなた(=水鳥)に恋心がわかってもらえるのならば。教えてあげよう。青い水面、つまり私の心には、いとしいそなたの花のような姿だけが映っているのだということを。


ふりあおぐ 月と見まがふ 花姿 風ふり来たれ 吾がころもでに 

【現代語訳・表】
見上げると、月の光と見まちがえてしまうほどに、美しい花の姿だね。風が吹いてきて、枝を振らせて、花びらをわたしの衣に降らせてくれればよいのに。
【現代語訳・裏】
空を照らす月かと思ってしまったよ。そなたの、花のように可憐な姿を見て。風よ、吹いてきてくれないか。そして、その風に乗って、花(=千尋)よ、わたしの衣手の中へと降って来ておくれ。


気分だけ、気分だけ、、汲み取ってくださるとうれしいです。。。古文の文法にあってない!!!とかいうようなツッコミは、どうぞご容赦くださいませ(汗)





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