**********************
<<< 初詣 (3) >>>
**********************
ごおぉぉん。 ごおぉぉん。
だんだん近くなる、鐘の音。
鎮守の森が見えてくる。
そして、わやわやと初詣に向かう賑やかな人混みが、見えてくる。
地上に降り立ち、その列に加わる二人。
気温は低いのだが、人々の熱気で、参道は暑いくらいだ。
「すっごい人だね」
「私から離れたらいけないよ」
「うん。わっ!」
前を歩く者の裾長な衣装を踏んずけて、いきなり転ぶ、少女。
「ちょっと!気をつけておくれよ!」
きっと振り向いた女の、長い長い首に目を見張る、千尋。
蛇の化身か。
異形の者たちの姿には、ずいぶん慣れた千尋だが、そのろくろっ首のような容姿に、一瞬言葉を失ってしまった。
「あいすまぬ。私に免じて、許してやってもらえまいか」
謝るタイミングを逸してしまった人の子に代わって、優雅に詫びる、白龍の少年。
あわてて千尋も、ぴょこっと頭を下げる。
「ああ? あんたの連れ? 龍が人間連れてるなんざ、珍しいね」
龍と蛇とは眷属。
同属のよしみで、といった調子で矛を納めてくれた、蛇。
注意しなよ、人間の娘に目のない『好き者』も、うようよ来てんだからね、などと言って人込みの中に姿を消していった。
え・・・。
蛇女の言葉の意味は、千尋にもおぼろげながらに分かる。
すくんでしまった少女に。
すい、と軽く曲げた左肘を差し出す、少年。
「千尋」
「あ・・、うん」
差し出された腕に、おずおずと手を伸ばす、千尋。
指先をちょっとだけ、白い水干の袖に触れさせて。
それから、ちらりと視線を上げて、ハクの表情をうかがうと。
彼は静かに微笑んで、『待って』くれている様子。
ああ、こういう表情(かお)って、好き。
ハクが、まだ、歩き始めるそぶりを見せないので。
-------いいんだよね。
千尋は思い切って、その腕に両手でぎゅぅっとしがみついてみた。
千尋が自分にぴったりと身を寄せたのを確かめてから。
ハクは柔らかな瞳で、再び参詣者の列の中に彼女を導いた。
・・・・ハクに連れられて、初めて太鼓橋を渡ったときみたい。
千尋は、ふふっと笑った。
・・・・息をしても、だいじょうぶだけど。
参道の長い石段を、ゆっくりと登りつめて。
鐘撞き堂にたどりつく。
ごおぉぉん。 ごおぉぉん。
時間はゆるゆると過ぎてゆき。
ふたりに鐘を撞く番が廻ってきたのは、ちょうど、新しい年を迎える頃合いか。
ごおぉぉん。 ごおぉぉん。
「新年おめでとう」
「うん。おめでとう」
ふたりで鳴らした鐘の音(ね)は。
静かに夜空に吸い込まれ。
手を合わせて祈った想いを。
天まで届けてくれただろうか。
「千尋」
「うん?」
「もう少ししたら、初日(はつひ)が見られる」
「夜明けが早いんだね」
「いいものを見せてあげたいのだけど・・・もうしばらく、待てるかい?」
「いいもの? うんうん、待てる!」
龍神は微笑むと、少女を見晴らしのよい、高い木のこずえへと、いざなった。
眼下には、葉を落とした、裸の木々の原が延々と続いている。
白い龍は、枝ぶりのよい、安定したところへ彼女を座らせて、再びすうっと冬の空に飛び立つ。
なにをするのかな、と不思議そうに眺める千尋の目の前に、静かに広がる冬木の原。
白龍はそこへ、まんべんなく、ふわぁっと白い息を吹きかけてまわった。
「わぁ・・・」
龍の吐息が。
浅い霧となって枯野に降りそそぐ。
冷たい夜気にさらされて舞い降りる細かな霧。
そのひとつぶひとつぶが、透明に光る無数の氷の粒となり。
寒さに凍える木々の枝に。
音もなくきらきらとまといつく。
それらは白く透ける薄氷(うすごおり)の羽衣となって。
ビーズ細工のように輝いた。
「・・・きれい・・・・・」
霧氷(むひょう)だ。
龍が作った、霧氷。
一面の枯れ林に咲く、白い白い氷の華。
樹氷よりも繊細で、それでいて、凛としていて。
清らかに輝くガラス細工のような世界。
それにすっかり目を奪われている少女の傍らへ。
龍の少年が戻ってくる。
「もうすぐだよ。すぐに消えてしまうから、よく、見ていて」
ごおぉぉん。 ごおぉぉん。
鐘の音の向こうから。
新しい年の太陽が、神々しい光をさし放ち始めた。
と、そのとき。
木々を覆っていた白い霧の結晶が。
一斉に強烈なこがね色の光を放ち出す。
ざあぁぁあっ。
----------これはもしかして、光の『音』?
木々に凍りついた霧氷の全てが、明けゆく空の色に染まって一気に輝く。
青白かったしじまが、一瞬にして。
虹色に乱反射する、まぶしい光の世界に。
氷に差し込む光と、氷に弾かれた光とが交差して、まるで地上に置かれたシャンデリアのよう。
あたり一面に溢れる、色彩の洪水。
朱色、金色、紅色、紫紺、群青、萌黄、青緑。
豪華絢爛な、光と氷の饗宴。
「わぁぁーーーーーーっ!!!!!」
目の前に繰り広げられた、夢のような世界に、歓声をあげる、少女。
想い合うふたりは、まばゆい光の中に包まれて。
霧氷の華と一緒に、七色に輝く。
そして、徐々に目覚める新しい朝。
生まれたての光を全身に浴びた冬の華は。
ほんの一瞬のきらめきを残したまま、静かに溶けて。
朝もやの中に吸い込まれていった。
ほんのひとときの、冬の夢。
枯れ木を彩った氷の花は。
朝露となって、木々をうるおす。
「ああ・・・・もう、溶けちゃった・・・・・」
名残惜しげな、少女の声。
「寒くない?」
心配そうに尋ねる、龍神の少年。
気温は、氷点下。
人の子にとっては、手足の感覚がなくなるほどに、厳しい冷気のはず。
「え? あ・・・」
目の前に繰り広げられた光景の、あまりの美しさに心を奪われて、忘れかけていた感覚が、急によみがえってくる。
「うん、さむ・・」いね、と素直に言いかけて・・・
ふと、とまどうように止まった少女の唇。
ぽっと染まる頬。
・・・一瞬、思い出してしまったから。
氷室の前で、ハクが冷えた自分の手を『温めて』くれた時のことを。
「ええと・・あの・・」
言いかけたことばの納まりがつかなくなって、ちょっと困る。
肩の上に、いたわるように、温かい手が置かれた。
「帰ろう。風邪を引くといけない」
龍の姿になろうとする少年。
その袖を。くん、とつかむ千尋。
消え入るような声で、待って、と。
「あのね、ハク。わたしね。」
「うん?」
薄紅色の朝露。
消え残った氷のかけら。
少女の唇からこぼれたことば。
------あのね、ハク。わたしね。------
------うん?------
------とっても、ね。------
------うん。------
------とっても、・・・寒い。------
------・・・・・・・・うん・・------
<<< 終わり >>>
<INDEXへ> <小説部屋topへ> <初詣2へ> <あとがきへ>