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<<< 初詣 (3) >>> 

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ごおぉぉん。 ごおぉぉん。


だんだん近くなる、鐘の音。

鎮守の森が見えてくる。

そして、わやわやと初詣に向かう賑やかな人混みが、見えてくる。


地上に降り立ち、その列に加わる二人。
気温は低いのだが、人々の熱気で、参道は暑いくらいだ。


「すっごい人だね」
「私から離れたらいけないよ」
「うん。わっ!」
前を歩く者の裾長な衣装を踏んずけて、いきなり転ぶ、少女。


「ちょっと!気をつけておくれよ!」

きっと振り向いた女の、長い長い首に目を見張る、千尋。
蛇の化身か。
異形の者たちの姿には、ずいぶん慣れた千尋だが、そのろくろっ首のような容姿に、一瞬言葉を失ってしまった。


「あいすまぬ。私に免じて、許してやってもらえまいか」
謝るタイミングを逸してしまった人の子に代わって、優雅に詫びる、白龍の少年。
あわてて千尋も、ぴょこっと頭を下げる。


「ああ? あんたの連れ? 龍が人間連れてるなんざ、珍しいね」
龍と蛇とは眷属。
同属のよしみで、といった調子で矛を納めてくれた、蛇。

注意しなよ、人間の娘に目のない『好き者』も、うようよ来てんだからね、などと言って人込みの中に姿を消していった。


え・・・。
蛇女の言葉の意味は、千尋にもおぼろげながらに分かる。


すくんでしまった少女に。

すい、と軽く曲げた左肘を差し出す、少年。

「千尋」
「あ・・、うん」

差し出された腕に、おずおずと手を伸ばす、千尋。

指先をちょっとだけ、白い水干の袖に触れさせて。
それから、ちらりと視線を上げて、ハクの表情をうかがうと。

彼は静かに微笑んで、『待って』くれている様子。
ああ、こういう表情(かお)って、好き。
ハクが、まだ、歩き始めるそぶりを見せないので。

-------いいんだよね。
千尋は思い切って、その腕に両手でぎゅぅっとしがみついてみた。


千尋が自分にぴったりと身を寄せたのを確かめてから。
ハクは柔らかな瞳で、再び参詣者の列の中に彼女を導いた。



・・・・ハクに連れられて、初めて太鼓橋を渡ったときみたい。
千尋は、ふふっと笑った。

・・・・息をしても、だいじょうぶだけど。



参道の長い石段を、ゆっくりと登りつめて。
鐘撞き堂にたどりつく。



ごおぉぉん。 ごおぉぉん。



時間はゆるゆると過ぎてゆき。

ふたりに鐘を撞く番が廻ってきたのは、ちょうど、新しい年を迎える頃合いか。



ごおぉぉん。 ごおぉぉん。



「新年おめでとう」
「うん。おめでとう」



  ふたりで鳴らした鐘の音(ね)は。
  静かに夜空に吸い込まれ。

  手を合わせて祈った想いを。
  天まで届けてくれただろうか。




「千尋」
「うん?」
「もう少ししたら、初日(はつひ)が見られる」
「夜明けが早いんだね」
「いいものを見せてあげたいのだけど・・・もうしばらく、待てるかい?」
「いいもの? うんうん、待てる!」



龍神は微笑むと、少女を見晴らしのよい、高い木のこずえへと、いざなった。
眼下には、葉を落とした、裸の木々の原が延々と続いている。

白い龍は、枝ぶりのよい、安定したところへ彼女を座らせて、再びすうっと冬の空に飛び立つ。

なにをするのかな、と不思議そうに眺める千尋の目の前に、静かに広がる冬木の原。

白龍はそこへ、まんべんなく、ふわぁっと白い息を吹きかけてまわった。



「わぁ・・・」



龍の吐息が。
浅い霧となって枯野に降りそそぐ。

冷たい夜気にさらされて舞い降りる細かな霧。
そのひとつぶひとつぶが、透明に光る無数の氷の粒となり。

寒さに凍える木々の枝に。
音もなくきらきらとまといつく。

それらは白く透ける薄氷(うすごおり)の羽衣となって。
ビーズ細工のように輝いた。



「・・・きれい・・・・・」



霧氷(むひょう)だ。
龍が作った、霧氷。


一面の枯れ林に咲く、白い白い氷の華。
樹氷よりも繊細で、それでいて、凛としていて。


清らかに輝くガラス細工のような世界。

それにすっかり目を奪われている少女の傍らへ。

龍の少年が戻ってくる。




「もうすぐだよ。すぐに消えてしまうから、よく、見ていて」




ごおぉぉん。 ごおぉぉん。



鐘の音の向こうから。


新しい年の太陽が、神々しい光をさし放ち始めた。




と、そのとき。

木々を覆っていた白い霧の結晶が。
一斉に強烈なこがね色の光を放ち出す。


ざあぁぁあっ。

----------これはもしかして、光の『音』?




木々に凍りついた霧氷の全てが、明けゆく空の色に染まって一気に輝く。


青白かったしじまが、一瞬にして。
虹色に乱反射する、まぶしい光の世界に。

氷に差し込む光と、氷に弾かれた光とが交差して、まるで地上に置かれたシャンデリアのよう。
あたり一面に溢れる、色彩の洪水。

朱色、金色、紅色、紫紺、群青、萌黄、青緑。
豪華絢爛な、光と氷の饗宴。



「わぁぁーーーーーーっ!!!!!」



目の前に繰り広げられた、夢のような世界に、歓声をあげる、少女。

想い合うふたりは、まばゆい光の中に包まれて。
霧氷の華と一緒に、七色に輝く。





そして、徐々に目覚める新しい朝。

生まれたての光を全身に浴びた冬の華は。

ほんの一瞬のきらめきを残したまま、静かに溶けて。
朝もやの中に吸い込まれていった。

ほんのひとときの、冬の夢。

枯れ木を彩った氷の花は。
朝露となって、木々をうるおす。



「ああ・・・・もう、溶けちゃった・・・・・」
名残惜しげな、少女の声。


「寒くない?」
心配そうに尋ねる、龍神の少年。


気温は、氷点下。
人の子にとっては、手足の感覚がなくなるほどに、厳しい冷気のはず。


「え? あ・・・」
目の前に繰り広げられた光景の、あまりの美しさに心を奪われて、忘れかけていた感覚が、急によみがえってくる。


「うん、さむ・・」いね、と素直に言いかけて・・・

ふと、とまどうように止まった少女の唇。
ぽっと染まる頬。



・・・一瞬、思い出してしまったから。
氷室の前で、ハクが冷えた自分の手を『温めて』くれた時のことを。



「ええと・・あの・・」
言いかけたことばの納まりがつかなくなって、ちょっと困る。



肩の上に、いたわるように、温かい手が置かれた。
「帰ろう。風邪を引くといけない」
龍の姿になろうとする少年。

その袖を。くん、とつかむ千尋。
消え入るような声で、待って、と。

「あのね、ハク。わたしね。」

「うん?」



薄紅色の朝露。
消え残った氷のかけら。


少女の唇からこぼれたことば。







------あのね、ハク。わたしね。------


------うん?------



------とっても、ね。------



------うん。------






------とっても、・・・寒い。------





------・・・・・・・・うん・・------







<<< 終わり >>>







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