「まったく。命の恩人に、なんということをしはりますのや!?」
華麗な十二単に身を包んだ麗人が、竜王を叱りつける。
彼女は。
竜宮の皇太后。竜王の母御前。
「・・・・面目ございませぬ。何しろ、ほんに昔のことでしたゆえ・・・。琥珀、まことにすまぬことを」
竜王が、枕もとで頭を下げる。
竜王の私室から、ほど近い女官部屋。
ハクはゆったりとしつらえられた柔絹の夜具に寝かされていた。
「いえ。・・・事情も存じ上げず、・・・いきなりあのような不躾なことをいたしまして、・・・・あやしげな者と間違われても、申し開きできませぬ」
掠れる声で、ようやっと返事をする。
無理をして起き上がろうとする包帯だらけの少年を、そのままで、と竜王が制する。
「琥珀はんーーー。無理したらあかんで。帝の刃と牙をまともに受けてはるんや。ちょっとやそっとの傷やあらへんで?」
相模(さがみ)と呼ばれた青年が、心配そうに覗き込む。
彼は。
ハクを先導してこの『時(ばしょ)』へといざなった、あの、青い龍。
今は人の形をとっている。
人なつっこそうな青い瞳と、よく動く口元。
「普通やったら、一撃であの世に行っとっても、不思議あらへん。とっさの受身がうまいというか、頑丈やというか、、ほんまによう生きとっ・・・・ととと。」
言いかけて、あわてて口をつぐむ。
傍らの愛くるしい少女が、身を固くして、真ん丸い目に涙をいっぱいためたから。
「探していると言うていたのが、この娘御やったとは。奇遇なことであったな」
ハクは、つくづくと竜王を見た。
よかった。
無事帝位につかれたのだ。
自分の肩に乗って甘えていたときの幼い面影はほとんどない。
もう立派に成人した、龍神一族の長だ。
自分は時を越えてきたから。
ついさっき、若宮であった彼と別れたばかり、という違和感がぬぐえないが。
あれから、相当な年月が経ったということを、彼の成長が物語っている。
「ほんに堪忍え、琥珀はん。・・・なんともむごい傷を負わせてしもうて・・・」
長い睫毛を伏せる皇太后は。
中宮であったころと、あまり変わらない。
重ねた年月の分だけ、落ち着きと貫禄が備わってはいるが、若くあでやかで、美しい。
華やかな紅梅重ねの衣装が、よく映える。
乳母のひろも、心配そうに声をかける。
「琥珀はん、ここはうちの局(つぼね)ですよって、なんも気兼ねはいりまへん。ゆっくり養生しておくれやす」
彼女もさほど、変わっていない様子だ。
「まぁ、ぼちぼち現われはるころやと、思うてたけど。・・・それにしても、千尋ちゃん、近くで見ると、ほんっまに、ほんっまに、かいらしな〜〜〜ぁ!!! んんん〜〜〜! あーええ匂いやぁ〜〜〜!!!」
・・・・・この男も、、、、変わらない・・・・。
目じりを下げて千尋に擦り寄る青龍の青年を、ハクはちら、と睨む。
「え? あっ、あのぉ、、、相模さん、、、、」
「ええやんええやん。匂いかぐくらい。減るもんやなしー。くーんくんくんー♪」
「・・・相模。たいがいにしおし。琥珀はんに食い殺されますえ?」
ひろに促されて初めて、ハクの切るような視線に気付く、相模。
「・・・・とと。いややな、冗談やて、琥珀はん〜〜〜〜 そないに怖い顔、せんといてぇな。」
あわてて愛想笑いを浮かべ。
「な、なぁんもせえへんってーーーー! よーりによって、琥珀はんの
コレに。」
と、小指を立てて、・・・・さらにハクに睨まれる。
くすくすと苦笑しながら、皇太后が助け舟を出す。
「もう、そのくらいに、な。相模。琥珀はん、気悪うせんといておくれやす。根は悪うおへんのや」
「そうそう。根はええ奴やねん」
「相模。」
「・・・・・はい。」
ちょっとおとなしくなった青龍をそこに、高貴な雌龍は千尋に声をかける。
「で、今夜はどないしはります? 部屋、別に用意させまひょか? それとも、ここで琥珀はんと一緒に寝(やす)まはる?」
・・・・ちょっと、耳をそばだててしまう、ハク。
「あ、はい。わたし、ここにいます。ハクの側にいたいんです」
少女の声が、すこし、耳にくすぐったく。
「えーー!!! 千尋ちゃんー、それはやめときって!!! 怪我してぼろぼろで、もう、ことりとも動けまへん、
悪さのひとつもできしません、、、、いうような、
母性本能くすぐる顔してるときが、男は一番危な・・・・あいててっ!!!! なにするんや、お母はんーーーー!」
ひろに耳を引っ張られ、悲鳴を上げる青龍。
「あんたな。ちいと考えて物言い。・・・命あってのものだね、いうやろ? 琥珀はんをこれ以上、怒らさへんほうが、身のためやで」
「せやかて、わいは千尋ちゃんのことを心配してやなーー! 女いうもんは
この手のちょぉっと、はかなげーな顔の男にはころりとだま・・・」
と、そこでハクの視線にまた気付き。
「うあっとぉーーーーー!!! ええとぉ、そうやのうて、、あー、わいはやな、あくまでも、
琥珀はんのことを心配してるんや、うん! だって、考えてもみ? 千尋ちゃんみたいなかいらし子、一晩側におったら、琥珀はん、
ちいとも休まれへんやろ?? なあ?
無理のひとつもしたなるのが男心いうもんやんか。そりゃー、部屋は別々にしたらんと治るもんもなおら・・・・・・
あいたたったたたたたたたーーーーーーーーーっっっっ」
ついに、ひろに首根っこを掴まれてずるずると部屋の外に引きずり出され。
その母子(おやこ)につづいて、皇太后と竜王も、苦笑しながら、ゆったりと部屋を後にする。
ほどなく、入れ替わるように、女官が寝具をもう一揃い抱えて入ってきて。
ハクのとなりにそれを調え、枕元に紫瑠璃の水差しと椀を載せた盆と、着替えを一組置き、一礼すると、出て行った。
やっとふたりになれて。
ほっとする。
どちらからともなく。
手を伸ばしあって。
そっと、つなぐ。
と。
「!!!!ハク!!!!」
「え?」
「すごい熱!」
つないだ少年の手は火のように熱くて。
千尋の顔色が、また、ざっと変わる。
「ハク、ハク・・・どうしよう・・・・竜王さまに頼んで、お医者様、よんでもらう?」
外傷からくる、発熱だろう。
そういえば・・・・先刻からひどく喉が渇いている。
「だいじょうぶ。朝になれば、下がるよ」
傷は決して浅くはないが、こういうことは初めてではない。
心配要らないから、と、おろおろしている少女をなだめて。
「千尋。水を一杯、くれないか」
うん、待ってて、というけなげな返事を夢の中で聞いたような。
ひどく、疲れた。
意識が遠のいたり近付いたり、する。
眠い。身体が・・・重い。
・・・・?・・・・
なんだろう。
やわらかな、あたたかなものが、かさかさに乾いた自分の唇に押し付けられた。
そして、今度は逆に、何か冷たいもので口の中がしっとりと満たされたのをおぼろに感じる。
美味い・・・。
身体のすみずみまでしみわたっていくような、甘美な清涼感。
それをこくりと喉に流しこむと。
とたんに睡魔に襲われた。
全身がゆったりと暗みの中に沈んでいくような、やすらかな眠りへのおとない。
そのままそれに。
その身をゆだねる。
なんだか。
こんなに心安らぐ眠りを久しく忘れていたように、思う。
また、何かが唇に触れた。
それが何度か繰り返されたように、思う。
それが、なんとも言えないこころよさを誘うので。
半ば無意識に、自分の腕の中に抱きとってみた。
すると、そのやわらかな抱き具合がたいそう心地よかったので。
そのまま抱えて眠ることにした。
自分の名が、何度か呼ばれたように、思う。
でも。
そのまま、白龍の少年の意識は、夜に溶けていった。
* * * * *
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