「銭おばあちゃん!」
懐かしさに、飛びつかんばかりの千尋。
「ぜ、銭婆様?、、、なぜあなたがここに・・?!」
「ふふぅん。今しがたまで、あんたの背中におぶさってたのに、気もつかなかったのかい?」
龍の若造をだまくらかすくらい、赤子の手をひねるより、簡単さね。と、またハクにとっては面白くない余計な一言を付け足して。
もちろん、銭婆本人がここにいるのではない。
彼女の式をハクの背に忍ばせて、この場に姿を送っただけのこと。
「ばかだねぇ。千尋ちゃんに八つ当たりするなんてさ。」
くっくっくと、笑う、魔女。
ここに来る前から、少々ハクが平常心を失っていたのは事実。
小湯女たちに、身に覚えのない嫌疑をかけられて。
大湯女たちに至っては、、、、、もう、思い出したくもないが。
女達のかしましさには、敵(かな)わない。
ほうほうの体で逃げ出してきたところに。
この気に入らない黒眼鏡。
「やつあたり?どうして?」
「ふふふぅ。千尋ちゃんね、あんた、この龍の子、どんな男だと思ってる?」
「えと。優しいし、何でもできるし、頼れるし、綺麗だし・・・」
老婆はかっかっかと、大声で笑う。
「はいはい。付け足しときな。相当な焼餅焼きの上に、愚かだってさ」
「・・・銭婆様・・・」
「それにさ、おとなしそうに見えても、案外助平かもしれないよ。」
「銭婆様。」
「なんたってさぁ、坊の父親らしいしねぇ」
「ぜっ・・!!」
雨が止んだ。
とたんに、ハクの声はかき消されてしまう。
口をぱくぱくさせて、おろおろと頭を左右に振っている龍の若者をそこに置いたまま。
銭婆はにやにやしながら、続ける。
「妹んとこでは、その話で持ちきりになってたねぇ。」
「えっ、本当!? ねえ、坊は知ってるの?」
・・・そ、そんなにあっさり信じ込んでどうする!!!!
どうして、この娘は人を疑うということを知らないのか。
いや単に、意味が理解できていないだけなのか。
以前から薄々感じてはいたが、千尋は・・・こういうことにかけては、世間知らずというか、ちょっとピントがずれているというか、、、、
だいたい、どこをどう押せば、そういうことになるのだ。
自分に、千尋以外の女性が入り込む余地があるわけがないではないか。
弟子と
愛人は
紙一重って言うもんねぇ〜、ほんっと
大変さ、ハク様も〜〜、-----などと嬉しそうに自分を肴にしていた大湯女達の姿を思い出すと、めまいがしそうになる・・・
自分が、その。ああ、考えたくもない。
しゃーーっ。
混乱して、思わず姿が龍になってしまう、ハク。
・・・・一方、千尋は。
必死で否定のゼスチャーをする白龍の姿を見て。
パラパラ踊ってるみたいだな、何が言いたいのかわからないって不便、などと思う。
「あははぁ、冗談だよ。ほんとのところは、あたしがちゃんと知ってるさ」
二人の姿を見比べて、老婆は笑う。
「ついでだから、話してやろうかい」
どっこらしょ、と腰を下ろす。まだ目は笑っている。
少しほっとする、龍。
とりあえず、嫌疑を晴らしてもらえるのか。
それなら、初めから、そうしてくれればいいものを。
千尋にだけは、よけいな誤解を与えたくない。
誤解、の焦点が合ってない、ような気も・・するが・・・
龍は踊るのをやめて(?)人の形に戻り、おとなしく銭婆の話に耳を傾けることにする。
「昔はね、あたしたちは、森一番の美人双子姉妹だともてはやされたものでね」
それは湯婆婆からもよく聞かされることだけれども。
「そりゃあ、いろんな男達から言い寄られたもんさ」
・・・・。それで?
「あるとき、羽づくろいをしようと思って、川辺に降り立ってね。あんまり暑い日だったもので、そのまま着物を脱いで二人で水浴びを始めたのさ」
。。。。あまり想像したくない・・けど。
「そしたら、その川の主の龍神に」
ちょ、ちょっと待て?
「銭おばあちゃん、その川、なんて川?」
「こは・・・」
がーーーーーーっ!!!!
真っ赤になって、ふるふると震えながら、式の紙人形を前足で踏みつける白龍。
涙を流しながら大笑いしている老婆と、きょとんとしている人の子と。
「あーはーはー。ごめんよ、もう言わないよ。放しておくれったら。あははははは」
・・・だ、大体、何をしにきたのだ? この老女は。
「おお、痛い。年寄りを乱暴に扱うと、バチが当たるよ、まったく」
龍の前足の下から這い出して、ぱんぱんと青い服の皺をのばす魔女。
「ふふっ、別に、あんたたちの痴話喧嘩の仲裁に来てやったわけじゃないさ。今夜はちょいと、借りを返しにね」
貸しなど、作った覚えはないが・・・・。
「ほんとは、妹も一緒に来るのが筋ってもんなんだけどさ。あれときたら、すっかり忘れてるっていうか、気が付いてないっていうか・・・・」
銭婆は白い龍の身体をじろじろと眺め回す。
「そうだねぇ。何か目印になるもの、ないもんかね」
こういうときは、ろくなことがない。
ちょっと横を向いて視線をそらす、龍。
「ああ、これがいい。ちょうどいいよ。」
魔女は、ずいぃっと龍に歩み寄ると、その両の頬にある、2本の太い髯(ひげ)のうち一本を、ぐい、と掴み。
びいん!と、力任せに引き抜いた。
<!!!!痛ーーーッ!!!>
「ハク!!」
千尋が顔色を変えて駆け寄る。
だいじょうぶ、と、片目をつぶってみせる龍。
「ほっほ。この前の鱗よりはマシだろ」
それはそうだが。
いきなり、なんという荒っぽいことをするのだ。
上目遣いに睨む龍を、彼女は、一向に気にする様子もなく。
「立派な髯だねぇ。縄跳びくらい、できるかね。」
下手な冗談はやめて欲しい。仮にも、龍神の髯だ。
魔女はなにやらぶつぶつと呪文を唱えながら、その髯を千尋の部屋の中央の柱にしっかりと結わえつけた。
「さて、じゃ、もう一本・・・」
魔女が、龍へ向き直る。
がっと身構えて、翡翠の瞳で睨む、龍。
「がまんおしよ、このくらい! 千尋ちゃんのためだよ!」
「え? あ、あのっ?」
「心配いらないよ。髯の一本や二本。どうってことないさね」
「でも・・・」
・・・・・よくわからないが。
千尋のため、と言われれば、断れるわけがないではないか。
痛いところを突いてくる。
仕方なく、ハクは大人しくもう一方の頬を差し出す。
「ほほっ。最初からそういうふうに素直にしてりゃあ、いいんだよ」
魔女は、容赦なくそれを引き抜くと、手の中でくるくると丸め、ごく小さな銀の輪に変えた。
さ、指輪がわりに、はめておきな、と言う老女の言葉に従って、その銀色に光る輪を受け取る千尋。
それは、左手の小指に、ぴったりと合うサイズだった。
「きれい・・・でも、銭おばあちゃん。これって・・?」
「じきに必要になるのさ。あ、そうそう、これはこういう使い方もできるよ。ちょっと、左手をぎゅっと握り締めてごらん」
「こうですか?」
---------ッ!!!!!!!
白龍は、突然首を締め上げられたかのような苦痛に襲われて、身体をびんっ、と硬直させる。
その尋常でない様子に驚いて、千尋はあわてて握り締めた手を緩めた。
龍の呼吸がもどる。
何だったのだ、今のは?
「ふふふっ。今度は指輪をこちょこちょとくすぐってごらん」
「え?あ、はい」
言われたとおりに千尋がすると、今度は龍の身体を猛烈なこそばゆさが襲う。
--------や、やめてくれっ!!冗談じゃない!
白龍は震えながら、目で訴える。
目をぱちくりさせる少女と、大笑いする老婆。
「ほら、うれしそうだろう?」
あまりのくすぐったさに、のた打ち回る龍。
「あ、あの。うれしそう、っていうより、苦しそうに見えるんですけど」
「あん? そうかもね。でも、面白いだろ?」
千尋が指輪をくすぐるのをやめたので、やっと、苦痛から解放される龍。
「ふふっ、千尋ちゃん、これでこの男、しばらくあんたの自由に操れるよ。上手く使いな」
ま、こんなものなくったって、どうせあんたの言いなりなんだろうけどねぇ、などと言いながら。
そして、急に真顔で。
「ごめんよ。まさか『あれ』が、千尋ちゃんだったとはね。あたしもついさっきわかったもんで、あわててやってきたんだよ」
「?? 『あれ』って?」
老婆は目を伏せて、それには答えず。
「千尋ちゃんまで巻き込みたくはなかったんだけど・・・・・・まあ、あんたがついてることだし、だいじょうぶだ」
白龍の背をぽん、とたたいた。
「いいかい。今夜は時間が狂うからね。決して千尋ちゃんの側を離れるんじゃないよ」
その声には、今までとは打って変わった重みがあって。
何かよくないことが、起こるのか。
神妙に頷く、龍の若者。
それから、銭婆はもう一度、千尋に向かって。
「悪いけど、今宵一晩、この男、泊めてやっておくれね。」
「あ、それは構いませんけど、、、」
「なんかされそうになったら、その指輪使うんだよ」
「はい」
な、なんか、ってなんだ!!!!!!!
冷静さを取り戻しかけた龍の思考が、また大回転する。
いったい、何を考えているのだ、この老婆は!
侮辱するにも、程がある。
なんか、って、この大切な少女に、、自分が、なんか、、その、危害とかを加えたりするわけが、ないではないか!
・・・・・・・・・・・・と、・・・・思う・・・。
千尋も千尋だ。
そこで素直に頷くというのは、どういう意味だ。
「それにしても、髯がない龍の顔ってのは、しまらないねぇ。まるで白犬だよ。せっかくの男前が、台無しじゃないか」
ほっといてほしい。
自分で抜いておいて、何を言う。
憮然としている龍をその場に残したまま。
含み笑いの魔女の姿は、徐々に霞み、やがて完全に見えなくなっていった。
<INDEXへ> <小説部屋topへ> <啄木鳥1へ> <啄木鳥3へ>