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<<<夜伽ばなし 其の三 "啄木鳥(きつつき)">>> 第三夜

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「なんだったんだろうね? 銭おばあちゃん」

ハクはため息をつきながら、再び人の姿となり、首を振る。

わかるものか。まったく魔女のすることといったら。
予測がつかない。

「でも、いいもの、もらっちゃった」
銀の指輪を灯りにかざし、にっこり笑う、千尋。


う。
まだ何かする気か。
いくら千尋とはいえ、もう、勘弁してほしい。


「失くしちゃいけないよね。」
千尋はアクセサリーを入れている小箱の中から、細いチェーンを取り出す。
そして指輪をはずし、それに通して、すい、と首に回すと、

「ハク。後ろ、止めて。」
くるりと背を向ける。


え。

   微妙に緊張する、ハク。

ええと。

   ポニーテールの下の細いうなじに、ちょっと動揺。
   それに、こういった装身具の扱いには不慣れだ。


「やりかた、わからない?」

・・それもあるけど。

「あのね、丸い金具のとこについてるツメみたいなのを引っ張ってね、・・・」



指示されるとおりに、しているつもりなのだが、指先がなんとなく汗ばんで、うまくいかないのだ。

四苦八苦しながら、やっとの思いでチェーンの金具を止めると。

「ありがと。・・・意外にハク、不器用なんだね」
千尋はくすくす笑いながら。
セーターの首元を引っ張って、チェーンに繋がれた指輪をその胸の中にすとん、と落とす。


<!?!?!うっっ!?!?!?!>


「?? どしたの、ハク?」


突然、なまあたたかい柔らかな感触が自分の身を包み、ハクは全身から汗が吹き出すのを感じた。


この、危ういぬくみが。
理性という枷(かせ)で沼の底に鎮めている龍の本性を鷲掴みにすることを。
目の前の少女は、ちっとも理解していない。


何も、考えていないに、決まっている。この人の子は。
挑発するとか、そういう気持ちがこれっぽっちもないことは、このあっけらかんとした笑顔からも、明らか。


だから、困る。


とても、困るのだ。



少しは、こちらの精神状態というものも、考えてほしい。

今夜は何か起こるかもしれないのだ。
冷静でいる必要があるのに。

とりあえず、そういうことは、やめてもらいたい。



雨は止んだままだし、
どうやってそれを伝えたものか、と思いを巡らせかけた時。




ひょぉ〜〜ぉお〜〜〜ん〜〜〜〜・・・・・


突然、龍神の耳に風鳴りのような、まがまがしい音が聞こえた。
反射的に千尋を自分の胸の中にかばい、そのまま、がばと床に身を伏せる。

「きゃっ!? ハク、何す・・・」

だめだ!今、声を出されるのはまずい!
ハクはとっさに、自分の唇で、少女の言葉をふさぐ。


「!?!?!っ?!?!?!」
丸い瞳をもっとまん丸にして、全身硬直した、千尋。
し、心臓止まっちゃう!!・・・・・と思ったのは、一瞬のこと。

ハクは、すぐに千尋から顔を放し、人差し指を彼女の唇にあてて、声を出すな、という仕草をした。

その厳しい表情に、ただならぬものを感じて。
千尋は声を飲み込む。


ひょぉ〜〜おお〜〜〜おおおおおおんん〜〜〜〜・・・・・


聞こえた。千尋の耳にも。
今までに聞いたことのない音。
耳鳴りのような。空間を歪ませる、不気味な音。
人の心の中をねじあけて、無断でその中にどろどろと流れ込んでくるような、嫌な音。

・・・怖い。
いったい何なのか、ハクに、尋ねたい。

睫毛に感じる、ハクの吐息。
でも、その顔は険しいままで。
翡翠の瞳は、空(くう)を鋭く、睨んでいて。

今、声をかけてはいけない状況にあることくらい、千尋にもわかる。
ぎゅっと彼にしがみついて、恐怖に耐えるしかなかった。



ぼ〜〜〜ん。ぼ〜〜〜ん。ぼ〜〜〜〜ん。


突然、壁の時計が鳴り出す。


が、その音は、千尋が普段聞いている時報とは全く違う。
千尋の部屋の壁時計は、毎時0分になると、オルゴールの音がディズニーのテーマ曲を奏で、それと共に、かわいらしい人形が出てきて、くるくる回ったりするのだ。
この音は、ミステリー映画の中などによく出てくる、古い柱時計のような音だ。


千尋はがたがたと震えながら、ハクにぴったりとくっつく。


きゅぅるきゅぅる・・きゅるきゅるきゅるきゅるっ!


千尋は大きく目を見開いた。
壁時計の針が突然、時を刻む方向とは反対向きにぐるぐると回り出したのだ。


-------やだやだやだーーーっ。怖いよーーーーっ。


千尋の震えは、肌を通してそのままハクに伝わる。
ハクは、少しでも千尋を安心させようと、彼女を抱きしめる腕の力を強め、頬をぴったりと寄せた。


びょぉおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜


なにかとてつもなく強い力に、体が押し流される! 巻き込まれる!


風?!
それとも水?!


鉄砲水に飲み込まれたかのように。


------------やだーーーーーーーーっ!

千尋は声にならない声で叫ぶ。

せっかくこっちの世界に戻ってこれたのに!!
これ以上また、わけのわからないところへ飛ばされるなんて、いやーーーーーーっ!!!


必死の心の叫びとは裏腹に、
どこかとんでもない所へごうごうと流し去られてゆく、感覚。

もう、千尋は目を開けていられない。
ただひとつ、頼れる腕に必死でしがみつくのが精一杯だ。




恐ろしさにかちかちになってしまっている人の子を、抱いたまま。
ハクは、自分達を連れ去ろうとする潮流の行く末を、ぎっと見据えていた。


------時が逆流している。銭婆が言っていたのは、このことか。


自分も、一応龍神の端くれだ。
少しくらいの時わたりなら、問題なくできる。

だが。
この時間の狂いはただごとではない。
何が起こったのか。

時を戻そうとしているのは、何者か。



時の波間にあおられるふたりは、激流にもまれる木の葉のようで。
歯をくいしばるハクの目の前に、様々なよしなしごとが、走馬灯のように現われては、あっという間に、後方に流れ去ってゆく。



愛しいものの手を放し、人の世界へと送り出した時の、風。

夕暮れ前、太鼓橋で出会った、まとめ髪の少女。

魔女の前に跪(ひざまづ)く、幼い自分。

埋め立てられる、琥珀川。

桃色の、子供靴。

嫁入り姿の雨の神。

冷たくなった、母龍。




しっかり見ておかなければ。
どの程度の時を流されているのかを見極めておかなければ、帰るときに、困る。



時の逆流はまだまだ続く。
もしかすると、もう自分が生まれた時よりもはるか以前かもしれない。
時間だけではなく、場所も狂っているようだ。


大丈夫だろうか。
こんなにも膨大な時と場所の流れを、自分の力で渡り切る事が、できるだろうか。


いや。何としてでも。無事戻らなければならない。
腕の中の愛しい少女のために・・・・・・





二人を押し流す流れの先に。
光が見えた。
出口らしい。


その光が突然大きくなり、あまりのまぶしさに思わずハクが目を閉じた時。


「ハクーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


ハクの心臓が凍りついた。

千尋が腕の中から滑り落ちた。
必死で伸ばした手と手は。
かすかに指先どうしをかすめたのを最後に。

またたく間に引き離されていった・・・・・・・





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