「無礼者! 麿(まろ)を誰やと心得る!」
時の渦から放り出されたハクが、一番最初に耳にしたのは。
幼い少年の叫び声だった。
波打ち際の岩場。
潮騒の音。
時間も場所もよくわからないが、とにかく自分は、どこかの海辺へ投げ出されたらしい。
「麿になんかあったら、おもうさまが黙ってはらへん!」
いったい何だ。物騒な。
ハクは身を起こし、岩陰から、少年の声がする方向を注意深くうかがった。
声は、海から聞こえてくる。
波立つ海面上に。
金糸(きん)の縫い取りをほどこした、仕立てのよい童狩衣(わらわかりぎぬ)姿の子供が、まるで陸上にいるかのように、水面を足場として立っていた。
水を操れるところをみると、ハクと同じ、水神の一族であろう。
年の頃は・・・人間の見た目で例えるならば、ほんの5、6歳、といったところか。
その少年を、刃物を手にする数人の男達が取り囲んでいる。
彼と同じように水面に立つのではなく、飛魚のように、海面から飛び出したり潜ったりしながら、じりじりと少年との間合いを詰めている。
おそらく、魚か鮫(さめ)か、そういった手合いの者だろう。
「あんたに生きててもろてはな、困るお人がぎょうさんいてはるんや。あきらめ」
薄ら笑いで取り囲む男達。その輪が、次第に狭まる。
「下臈(げろう)! 子供や思うて甘う見るんやない!」
精一杯の虚勢を張って身構える子供。
・・・・輪が、ざあっと崩れた。
男達の中の一人が奇声を上げて少年に飛びかかる。
「!!」
間髪いれずに、少年の杓(しゃく)が、ぱし!と男のむこうずねを払った。
不意打ちを食らった男は、ざば、と、海中に転落する。
が、次の瞬間、少年の背後に回りこんだ別の男が、その頭上から刀を振りかざした。
「わ!!」
とっさに少年はその姿を変えた。
龍。白い龍に。
小さな龍は、間隙をぬって全力で上空へと逃れようとする。
血に飢えた刀が、ぶん、と空を切り、碧い鬣(たてがみ)を幾筋か薙ぎ払う。
一瞬ひるんだ龍の子。
の、喉元に、さらに別の男が飛びつき、懐刀をつきつけた。
もうあかん! 龍の子が目を閉じた。
ぐはっ。
飛び散る血しぶき。
ざばぁ。
傷ついて水底(みなそこ)に落ちる、重い体。
紅に染まる海。
あたりにむっと拡散する、生血の臭い。
・・・・?・・・・
子龍はおそるおそる、目を開けた。
・・・・自分は、無傷・・・?
と、いうことは・・・?
そう、血まみれになって海に沈んだのは、いたいけな子龍ではなく。
刃物を振りかざしていた、男のほう。
「子供ひとりに、何事か!」
「!?」
男達は、目を疑った。
目の前に。
白い龍が二頭。
一頭は、自分達が追い詰めていた子龍。
そして、その子龍を背に庇い、上空から自分達を睨む、
もう一頭の若く白い雄龍。
翡翠の瞳と、しろがねの牙。
「何者や、われ!?」
刺客たちは、本性を現す。
鯱(しゃち)。
無彩色で隈取られた顔面、血走る目にぎらぎらと光る殺意。
「邪魔立てすな!」
鯱の軍団は海面から大きくジャンプし、牙を剥き出しにして、わっと龍に襲いかかる。
雄龍は、身を翻してその1人を受け流し、振り向きざま、尾で、敵の背に渾身の一撃を振り下ろした。
ぐしっ。
背骨の折れる、音。
その横合いから、脇腹に食らいついてきた鯱を、前足の鋭い爪で引き剥がす。
がざっ!
白い身体を染める、返り血。
さらに、背中越しに飛びついてきた獣(けだもの)を、背をしならせて払いのけ、
その反動を使って、真正面から来た巨大な鯱に体当たりをお見舞いする。
「上!」
火急を告げる少年の声に、翡翠の視線を上げると。
頭上から、太陽を背に赤い口をかっと開いた鯱が飛び掛からんとしていた。
ずぅんッ。
鯱の上顎(うわあご)に、龍の角が貫通した。
ハクの頭突きが、命中したのだ。
悲鳴をあげる、血みどろの鯱。
それを、鬱陶しげに首を振るって薙ぎ落とす。
こういう修羅場は・・・湯婆婆の弟子であったとき、何度もくぐった。
いい意味でも、悪い意味でも、慣れている。
ハクは、猛然と食いかかってくる刺客たちを、鮮やかに蹴散らした。
「あかん!歯ぁたたん!引き上げや!」
鯱たちは、覚えとけや、などと捨て台詞を残して、去っていった。
浜辺で、人の姿に戻る、二頭の龍。
肩で息をする、ハク。
・・・・と。
ぐす。ぐすん。ああ〜〜ん、ああ〜〜ん・・・・・
大声で泣き始めた幼い少年。
無理もない。緊張の糸が切れたのだ。
「もう、だいじょうぶ。落ち着いて」
ハクは、よしよし、と幼子を宥める。
「いったい、どうしたのだ? 母御とはぐれでもしたのか?」
童狩衣(わらわかりぎぬ)姿の童子は、潤んだつぶらな瞳でハクを見上げて。
ぐすぐすと泣きながら、それでも、懸命に答える。
「麿(まろ)、おたあさまと一緒やったんや。今日初めて、宮の外、連れてもろたんやけど、麿が貝殻拾うてるあいだに、おたあさまも、ひろも、おらんようになってしもてん」
「ひろ、とは?」
「麿の、乳母(めのと)や。」
都言葉を使う、小さな龍神。
おたあさま、おもうさまと両親を呼び、乳母を持つということから察するに、
かなり地位の高い神の子息であるらしい。
「麿、疲れてしもうた。。。。」
ちょこん、とハクの膝に乗ってくる。
こんな表情は、どこにでもいる、龍の子なのだが。
苦笑する、ハク。
「お父上は?」
「おもうさまは、海の宮にいてはる。竜宮で、一番偉いんやで」
少し、誇らしげに話す、幼子。
そうか、竜宮の皇子なのか。
ハクは納得した。
それならば、・・・・おそらく先ほどの鯱たちは、政敵の一味か何かであろう。
なまじっか、皇子などという身に生を受けてしまったがために、権力争いに巻き込まれ、生まれながらにして、敵に囲まれる人生を送らねばならないとは、・・・・よくある話とはいえ、気の毒に思われる。
「では、私が竜宮までお送りいたしましょうか」
龍神の長の住まう城なら、自分も知っている。
自分が生きていた時間と、かなりずれてはいるが、おそらく、場所は同じであろう。
海が、目の前にあるのだから。
その中心に向かって行けばよいのだ。難しいことではない。
千尋のことが気にかかるが、このままほっておくこともできない。
ハクが、少年の手を引いて海に向かおうとした時、
「若宮さまーーーー。いずこにあらしゃいますかーー。若宮さまーーーー」
向こうの浜から、女達の声が聞こえてきた。
「おたあさまーー! ひろーー!!」
少年は、声のする方へ駆け出した。
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