「シン! なにぐずぐずしてんだいッ! 一番客が来ちまうよッ!」
「はーい! 今すぐ!」
結局、千尋は妹魔女の営業する湯屋に雇われることになった。
契約書にサインするとき・・・・・とっさに彼女が書いた名前は。
『シンデレラ』
本当の名前を書いてはいけないと思って。
もっとそれらしい名前にすればよかったのだけど。
その時は、それしか思い浮かばなかったのだ。
その名を取り上げた女経営者が、千尋に与えた呼び名が、『シン』だった・・・。
千尋が『シン』として働くことになった湯屋は、ごく簡素なもので。
町の銭湯に、簡単な宴会場や宿泊用の客室をいくつか備えた程度のもの。
規模も小さいし、従業員も少ない。
千尋は仕事の合い間に、父役と呼ばれている蛙男に、尋ねてみた。
「あのぅ、ここに、ハクって人、いませんか?」
「ハクぅ? 知らんぞ、そんなヤツ。わしゃぁ、忙しいんじゃ。」
「白い龍の男の子なんです」
「知らんわい。さ、行った行った! 今日はボイラー係の求人広告を見たとかいう蜘蛛男の面接もあるんじゃ」
ああ忙しい、とぶつぶつ言いながら、蛙は向こうへ行ってしまった。
はぁ、とため息をつく千尋の頭の上から、女経営者の呼ぶ声がした。
「シン! ちょっと上がってきて手伝っとくれ! そっちはだいたい済んだろ?」
彼女の私室は3階にある。
地下がボイラー室と調理場。
1、2階が客間になっていて、その中央には吹き抜けの湯殿がある。
そこまではエレベーターがあるのだが、お客が来ることのない3階へまではつながっていない。
開業の際の資金に限りがあったのだから、仕方ない。
腕の確かな料理人を一人と、ちょっとは稼げそうな大湯女を数人引き抜いて来るのに、思ったよりも金がかかってしまった。
自分の私室にまでエレベーターを設置する余裕はなくなってしまったのだった。
あの強欲な姉に借金追加を申し入れるのも癪だったし。
--------今にがんがん儲けて、この湯屋もずっと立派な店構えにして、見返してやる。
妹魔女は、密かに思う。
階段をとんとんと上って、自分を呼んだ主のところへやってきた、千尋。
「お呼びですか?」
「ああ、ちょっと、着替えを手伝って欲しいのさ。いいかい、あたしが合図したら、このコルセットを締められるだけ、締めとくれ。」
下着姿の彼女は柱に両手を回した格好で、千尋に背を向けた。
「さ。一気に頼むよ」
千尋は、その背中にまわるとコルセットの紐を握り締め、言われたとおり、ありったけの力で引っ張った。
「うううううーーーーーー」
魔女は苦しげにうめき、柱にしがみつく。
そのウエストはぎりぎりと締め付けられ、ひとまわり、細くなった。
「だ、だいじょうぶですか?」
「まだまだッ! あの性悪女に負けるもんか! もっともっと細くしとくれ!」
「は、はい」
千尋は、これでもかこれでもかと紐をぎゅうぎゅう締め上げた。
「うううっ、う、う、うううううううーーーーーーーっ!!!!」
魔女はそのたびにくわっと目を剥いて、ふうふうとうなる。
柱にすがりついていないと、立ってなど、いられないらしい。
でもまあ、その苦労のかいあって、彼女の豊満な腰はきゅうぅっと細くくびれた。
ぜいぜいと肩で息をする、魔女。
「あの、ほんとに、だいじょうぶですか?」
「よ、よけいな事聞くんじゃないよ。次は、、パ、パニエ持って来て、それから・・・」
無理やり絞り込んで細くしたウエストに重たいパニエを装着し、その上に、宝石だの毛皮だのがごてごてと山盛りになったドレスを、着付けてゆく。
こういうものを着付けるのは大変な重労働で、着せるほうも、着せられるほうも汗だくになってしまう。
ドレスの次は、ヘアメイク。
千尋を助手に、もう、たっぷりと時間をかけて。
白いひらひらしたレースのケープで首元胸元をふわっと覆って。
鳩の生き血を練りこんだ美白クリームでマッサージ。
瑠璃蝶の幼虫をすりつぶした保湿パック。
化粧に入る前の下地作りにも、それはそれは念を入れる。
それらの化粧品の原料を知ったら、千尋は卒倒してしまうだろう。
「何してんだいッ! ぼやっとするんじゃないよ!」
危うくチークブラシを取り落としそうになって、怒鳴られる。
「す、すみませんっ」
あわてて、仕事に専念しようと化粧道具を抱えなおす、千尋。
「あの、毎日こんなに大変なお支度をするんですか?」
繊維入りのマスカラをたっぷりとブラシに含ませて、落とさないよう気をつけながら、千尋は尋ねる。
これをドレスに落としたりしたら、大変だ。
マスカラは布についたりしたら、なかなか取れないし。
昔、母親の化粧品をいたずらしたときに、そういうことがあって、大層叱られたのだ。
「今日は特別だよ。竜王様のお城でパーティーがあるのさ。」
竜宮城からの招待状をひらひらさせながら、上機嫌で答える、魔女。
「そこで今夜、竜王さまのお后選びをするってもっぱらの噂でね。・・・・うん、申し分なく、綺麗にできてるね」
美貌の魔女は満足げに鏡にその姿を映す。
ばっちり気合の入ったメイクとドレス。
これなら、会場の女達の誰よりも光り輝いて見えることだろう。
「・・・・あの性悪女とあたしとどっちが上か、今夜決着をつけてやる」
千尋が耳を止めたのは、彼女の言葉の最初のほう。
「あのぅ。。。竜王様って、、龍なんですか?」
「・・・。あたりまえだろ。」
「もしかしてっ! 白い龍ですかっ!?!?!」
「そうだよ。いい男でねぇ」
うっとりと目を細める、魔女。
「あのっ!竜王様の名前、ハクっていいませんか???」
「あん? なんだいそりゃ。そんな安っぽい名前のわけないさ」
ちょっとがっかりする、千尋。
でも。龍の王様なら、ハクのこと、手がかりか何か、知ってはいないだろうか。
「わたしも連れてってもらえませんか? 竜王様に聞きたいことが・・」
「馬鹿言うんじゃないよ。あんたみたいな小汚いの、連れて行けるわけないだろ」
「お願いです! 荷物持ちでも、何でもしますから」
「お断りだね。さぁ、仕事に戻った戻った! 働かないんなら、豚にするよ!!!」
千尋は、食い下がる。
「でもっ! そのコルセット、もし紐が
ゆるんだりっ、
ちぎれたりしたら、どうするんですか?? お城のだれかに締めてもらうんですか?!」
一瞬、ぎくりとする魔女。
・・・・そういうことも・・・・ないとは限らない・・・か・・
ささやかな女の見栄で。
ドレスをワンサイズもツーサイズも細く誂えてしまったものだから。
今夜は、もう、相当締め上げて、かなり無理をして着ている。
もし万一、何かの拍子に「
ぶちっ!!」なんてことになったら・・・?!
あの性悪女の前で恥をかくことになるなんて、たまらない。
「・・・・そう・・だね。じゃ、・・・ついといで」
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