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<<<夜伽ばなし 其の三 "啄木鳥(きつつき)">>> 第七夜

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「・・・ほんに、なんと礼を申してよいやら・・・・」
少年を膝に抱く、美しい母龍がハクに丁寧に礼を述べる。



寝殿造りの、紅珊瑚の館。
真珠の玉砂利が敷き詰められた、庭。
黒曜の欄干。
海の色の水晶飾りをあしらった、御簾(みす)。
行き交う女官達の、衣擦れの音。


ここは海の奥底、竜王の居城。
その後宮の、優雅な局(つぼね)。


御簾の内には、薄布の几帳(きちょう)が趣味よく立てかけられている。
その薄絹(すずし)がかすかな空気の流れにさやめいて揺れるさまは、まるで、水底から海面の光を透かして見るようで。


鏡筥(かがみばこ)に、鏡台。
唐櫛笥(からくしげ)の中に仕舞われた、目にもあやな化粧料の数々。
丁寧に塗りを重ねられたこれらの化粧道具には、揃い柄の金蒔絵(まきえ)が施されている。
波間に遊ぶ、鶴の絵柄。
『上下対鶴文(じょうげむかいづるもん)』と呼ばれる今様の図柄で、典雅に羽根を広げた2羽の鶴が上下対象に描かれて、まろやかな円を形作るというもの。
長寿をことほぐ双の鳥が描く繊細な紋様が、波のうねりの中にはらはらと散らされている意匠。


いかにも女部屋らしい、やわらかな調度品に囲まれて、ゆったりと微笑む局(つぼね)のあるじ。

かたわらに侍る女房たちも、それぞれに美しく着飾っており、部屋そのものが、色鮮やかな一枚の絵のようである。


その絵画のような世界の中で、ひときわ華麗な十二単に身を包んだ佳人が、ふっくらとした唇で語る。
「我らの不注意どした。ほんまにご迷惑、おかけしてしもうて・・・」

そして、我が子に向かい。
「若。このお方に、きちんとお礼、言いましたんか?」
「あ!まだや。」
「あきませんえ。そのようなことでは。若はのちのち、龍神を束ねるお方どすえ?」

あい、と幼子は愛らしく返事をして母の膝から降りると、ハクに向かい、ぐい、と威厳のある表情ををつくってみせた。


「そのほう、大儀やった。褒美をとらせよう」


少年は懐から、なにやら取り出すと、ハクに握らせた。


見ると、それは、子供の手におさまるほどの大きさの、貝殻一枚。
貝合わせの遊びに使うのに丁度いいくらいの、蛤(はまぐり)。

先刻、浜辺で拾ったものであろう。
淡い乳色に光る小さなそれは、彼にとっては、きっと、大切なもの。
ハクは、きちんと威儀を正してひざまづき、それを丁重に押し戴いた。


「かたじけのうございます、若宮様。大事無く、なによりにございました」


母龍は、苦笑して、ハクに語りかける。
「まだまだ幼(わか)いものやから。堪忍え。のちほどあらためて、きちんと礼をしますよってになぁ。」
はんなりした上臈ことばが、耳に柔らかい。

「いえ、そのようなお気遣いは、どうぞご無用に」

「そうや。なんどしたら、この宮に取り立てて進ぜよか? 若はまだ小さいよって、そなたのように腕の立つ者が側におってくれると、心強うおす」

ハクは、少々慌てる。むろん、そういうわけにはいかないのだ。
「い、いえ、、その、そういうことを目当てに、したことではございませんので・・」


品の良い女龍が、かすかに目を伏せる。
「浜では見苦しいさまをお見せしてしまいましたなぁ。ここは・・・まるで鬼の館や・・・」

ひろ、と呼ばれていた乳母が声を上げる。
「中宮さま。そのような弱気でいかがなされます? 男皇子さまは、この若宮さま、ただおひとりであらしゃいます。お心を強うお持ちやして・・・・」




ああ、そうなのか。

ハクは、そのひとことで、彼女達の置かれている状況をざっと理解した。


竜の帝(みかど)は多くの妻を持つ。

簡単に言ってしまえば、第一后が皇后(きさいのみや)、第二后が中宮。この二人が正室格の妻達。
さらにその下に、女御、更衣などと呼ばれる数多くの側室たちがいるのだ。

目の前にいる中宮腹の少年以外に、皇子がいないということは、、、、、特に、第一后である皇后にとって、この母子はさぞや目障りな存在であろう。


実際、皇后という位置は、建前上、後宮で最も位が高い女性という立場にはあるものの、実情は、そう一筋縄ではいかないものだと聞いている。

皇后とは、多くの場合、出身身分の高い、由緒正しい家柄の娘が後宮に入内(じゅだい)して、しかるべき折に立后するものである。

それに対して、中宮位には、あまたいる女御達の中から、最も竜王の寵愛を厚く受けている者がつくことが多い。

制度の上ではむろん、皇后が第一の女性となるわけだが、事実上、皇后と中宮の力関係や政治的影響力はほぼ同格であると言い切ってしまっても、大きな語弊はないらしい。


そして、女達の寵を競う争いは、・・・・・・そのまま、その裏側の政治勢力の争いに直結するのだ。


目の前のなよやかな女龍と愛くるしい幼子が住まっているのは、そんな世界なのである。
小さな川の神であった自分などには、思いも及ばぬ宮廷世界。
権謀の渦がとぐろ巻く、華やかで薫り高い、伏魔殿。





若宮はハクの肩にのぼって、無邪気に笑う。
「そうや。そちは、麿の側におり。うん、それがええ。麿がたぁんと、遊んでやるよって、寂しゅうないで? 名は何と申すのや?」

「私の名は、和速水琥珀主と申します」
目を細めて答える、ハク。

その名を聞いた乳母が、おや、といった顔をした。
「琥珀川なら、うち、よう知ってますけど・・・・あそこの主は、確かまだ若い娘やったはず。妙なこと。もう、代替わりしましたんか?」



時を逆流してきてしまったから。
おそらく、彼女の言う娘というのは、自分の何代か前の琥珀川の主のことであろう。



ハクは、事情を説明するのに、苦心する。
が、なんとか自分が置かれている状況を彼女達に理解してもらい。



話を聞いた中宮は、残念そうに、頷く。
「ほうか。。。それやったら、ここに居ってもらうのんは無理な話というもんどすなぁ」


乳母も言葉を添える。
「ほんに惜しいこと・・・せやけど、気の毒な話やねぇ。琥珀川は、のうなってしまいますのん? うちの実家(さと)は琥珀川とはそう遠くないよってに、小さいころは、よう遊びに行ったもんどすえ。・・・・・美しい川やのにねぇ・・・・」


その言葉を聞いて。
一瞬、ハクの胸がやるせない慕情に締め付けられる。

その耳に、琥珀川の清らかなせせらぎの音が蘇る。
まぶたの裏に、あの川面のきらめきが、蘇る。
髪に、すがすがしい水の感触が、蘇る。

・・・・・重い土に埋められてしまう前の、琥珀川が。
今自分が流されてきている『時間(ところ)』には、まだ、かくとして存在するのだ。

懐かしさに、身が震える。



その様子に、ひろが同情する。
「会うてみたいどっしゃろなぁ、自分の川に・・・・心中、お察ししますえ・・・。あ、なんやったら、うち、琥珀の主に文(ふみ)でも書いて、段取りしまひょか?」


しかし、乳母の厚情を、ハクは、身を切る思いで丁重に断った。

「お心遣い、身に染みまする。ですが、琥珀川を守り切れなかったふがいない私などに、そのようなご厚意を受ける資格はございません。それに・・・・」


翡翠の瞳を憂いに伏せる。
「自らの半身ともいうべき、川がなくなってしまうなどという知らせ・・・・主を哀しませるだけにございます」



堰きとめられ、土砂に埋もれてしまった小さな川。
雨の中、なすすべもなく、その前に立ちすくんでいた自分。
耳に消えない、川の悲鳴。
川を賑わせてくれていた、愛らしい生き物たちの、・・・・断末魔の叫び!

あのような思いは、自分だけで、充分だ。
何も知らない琥珀川の主を苦しませるようなことをして、何になろう。




「それに・・・・・申し訳ありませんが、先刻話しました、人間の娘を探さねばなりませんので、・・・・私はこれでおいとましたいと存じます」


いややーー、琥珀は麿の側におるんやー、とだだをこねる皇子を、中宮は諌めながら。

「せやけど、その娘御、どこに・・・というより、『いつ』の世におるのかも、わからへんとは・・・・ なんぞ、手がかり、ないのんか?」



千尋のほうが先に、逆流する時の流れから姿を消したのは覚えている。
おそらく、今、千尋がいるであろう『時間(とき)』よりも、多少『昔』に自分はいるのだろう。
その程度しか、今の自分にはわからない。
千尋の迷い込んだ時間と場所を探し出すのは、至難の技だ。


うつむくハクの姿を見て、中宮は、おや?という顔をする。
「琥珀はん・・・近う。」

言われるがままに、女龍の御前に進み出てひざまづくと、彼女は、自分から静かに近づいて来る。
さややかな衣擦れの音とともに、ハクの頬に伸ばされたしなやかな手。


「・・・・そなた、ちょっと龍の姿になっておみ?」


その意図はよくわからないが、とりあえず一礼をして、言われるとおりに、龍の姿をとる、ハク。


「ああ。思たとおりや。髯(ひげ)がないな。それに・・・ただ抜けたとか切れたとかとは違うようやな。なんぞ、まじないにでも使わはったんか?」




あ。
そうだった。
銭婆が。
自分の髯の一本を千尋に持たせたのだった。

ハクは、はたと思い出す。


-----------『じきに必要になるのさ』


あれは、もしかして、こういうときのことを言っていたのか?


しかし・・・・
あの髯が何か手がかりになるのだろうとは思えても、
実際にどうすればよいのか、ハクには見当もつかない。



話を聞いて、頷く中宮。
「よう、わかりました。こちらにまかしておくれやす。そういうことやったら、ちょうどええ者がおりますよって」

「いえ、中宮さまのお手を煩わすわけには・・・」

高貴な女人は、龍の少年の言葉を遮って、珊瑚のように微笑んだ。
「何を遠慮することが、ありますのん? 若の命を助けてくれはった、せめてもの礼どす。お役に立てて、嬉しおす」


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