**********************

<<< 胡蝶 (11) >>> 

**********************









神泉苑のお池のほとり。
かがり火ゆれる秋の月。

ちらちら踊る夜の蝶。
さらさら笑う水の声。





若君のお話を聞く千の姫宮は。
心のしんから恥ずかしく。



お優しいお祖父さまの前だからと、幼な子のように甘えていたのを見られてしまったことや。

お世辞にも上手いとは言えない琵琶を聞かれてしまったことが。


ほんとに、ほんとに、恥ずかしく。




お袖の中にお顔を隠してしゃがみこんでしまわれましたが。

若君は、くすくすと笑いながらその傍らにかがんで、姫と同じ高さに顔を持ってきて、お話を続けられます。


「あの日から、わたしは殿上づとめを嫌だと思わなくなった」


   ひょっとして。
   何かの折りに、また姫宮の姿を垣間見られるのではないかと。




若君は姫宮のお耳元で、そっとささやかれます。



「でもね。やっと、じかに話ができると思ったとき・・・・姫は、泣いていた」



ほの暗いお庭の片隅の。
ささやかな茶室のかたわらで。



「いったい、何があったのかと思った」



世の中のきたないこと、哀しいことなど何も知らぬ、やっとほころびかけたつぼみのような笑顔が似合う、姫なのに。

乾いた水琴窟に身を寄せて。
小さくしゃくりあげていた、たちばな色の袙(あこめ)。





「あのときほど、自分が水の一族に生まれたことをよかったと思ったことはなかったよ」

「・・・・・」

「人を泣かせることは、簡単だよね」

「・・・・。」

「脅すとか。痛めつけるとか」

「・・・」

「でも。--------------人を泣き止ませることは。難しい。」


姫宮は。かちかちに力を入れていたお袖もとを、すこうしだけ、おゆるめになり。




「それができて、わたしは嬉しかった。」




千の姫が思わずお袖の中から顔をお上げになると。

鴨の若君は、あいかわらず、深いひとみで姫の顔を間近で見つめていらしったので。
姫はあわてて、またお顔を隠そうとなさったのですが。


それよりも、若君がなにごとか、姫にはわからない呪文のようなことばをつぶやかれたほうが、先にございました。


「え?・・ええっ???」


----------------驚きに目を見開かれた姫の目の前で。

龍水口のお池の水が。さわさわと波立ったかと思いますと。
突然、ざあ、と噴水のように空に吹き上がりまして。



「まあ・・・!」



  まっすぐ水は、天まで駆けて。
  月の真下で散って砕けて光って跳ねて。
  舞い降りてくる。きらきらちらちら、地に水に。   




夜を透かして、よおく見ますと。
その、ひとつぶひとつぶが、・・・・なんと、ひらひら羽ばたく小さな生き物のかたちに。


「水の・・・蝶々・・・?」



水際の。かがり火のいろをその身にうつし。
青く澄んだ水蝶は。
赤に、黄色に、橙(だいだい)に。


空から降りる水蝶と。
地上に遊ぶ、夜の胡蝶とが。



追いかけて。とおのいて。
寄り添って。行きはぐれ。

あつまって。ちらばって。
舞い上がり。すべり降り。



お口をぽかんと開けたまま、水蝶と胡蝶の舞に見惚れていらっしゃる千の姫宮のところに。
池から、2つ3つ水の蝶が寄ってきて。


「あら・・・まあ、、、うふふっ」


姫さま、いっしょに遊びましょう?とでもいうように。
千の姫のお顔や肩のまわりを、ふわふわと可愛らしく飛ぶので。

姫宮は、思わず声をあげてお笑いに。




「・・・・よかった」

「え?」

姫はきゃっきゃとわらいながら、お聞き返しになります。
水の蝶が、つんつんとまるい御頬やお鼻をつつくので、冷たいようなくすぐったいような。




「人を笑わせるのは。泣き止ませるよりも、もっと難しいね。」

「・・・・・!!・・・・・」




鴨の若君の微笑みは、どこまでも濁りなく。
そのお声は、楽の音のように姫のお心を包み込み。



「水の琴で姫が泣き止んでくれるのなら。いくらでも、鳴らしてあげる」

「・・・・あの・・・・」

「水の蝶で姫が笑ってくれるのなら。いくらでも、作ってあげる」

「・・・・」

「だから。わたしの側に、いてもらえないだろうか」





水の蝶と戯れていた、姫の笑い声が。
さっと凍りつき。



見る見る間に、そのお目から、大粒の涙が。




「・・・・駄目。」

「姫?」

「だめ、なの!!」




ふわふわとじゃれつく水の蝶を払いのけ。



「姫!」



・・・・・・千の姫宮は、小走りで若君の前から姿を消してしまわれました。




* * * * * * *




千の姫宮のお返事の訳は。
ほどなく、鴨の若君の知るところとなりました。



鴨の若君は、帝から。
『胡蝶の舞』の舞人を仰せつかったのでございます。

御所にて、ひさかたぶりのお祝い事がありますので。
それをことほぐ管弦舞楽の催し。



-------童舞、『胡蝶』。
まだ元服前の、見目よい若君たちがお声を賜りまして。
栄えあるそのお役目を、いただいたのでありますけれど。


その一の舞人を。
お姿のよさでは殿上一と評判高い、鴨家の若君がおつとめになるということは。

誰の目から見ても、何よりふさわしいことに思えたに違いございません。







その、『お祝い事』とは。






-------------千の姫宮のお輿入れ先が公けにととのったことの、お披露目にございました。



* * * * *






♪この壁紙は薫風館さまよりいただきました。♪



<INDEXへ> <小説部屋topへ> <胡蝶(10)へ> <胡蝶(12)へ>