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箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ ・・・・・なみだ川 千の姫宮のお車が、三条大橋を渡りはじめましたとき。 橋の欄干には、名残の雪がほろほろと。 落ちては消え、消えてはまた落ちしておりました。 年明けてすぐに裳着(もぎ)の式を済まされて。 すっかりと女房装束に身を調えられた姫君は。 髪上げしたお額もお美しく。 どこから見ても、立派に一人前の女君であらせられました。 時折、ふっと目を伏せられてもの思いなどされているお姿は。 可愛らしいというよりは、どこか悩ましげで。 ----------もしや。 姫さまには、想うお方があるのでは。 幼いころよりお側にお仕えしておりました乳母君は、ひそかに思いをめぐらせたりなどするのでございますが。 あいにく、そのようなお相手など、皆目見当がつきませぬ。 まわりの者たちは、姫さまはこのところ母御さまにどんどん似てこられる、だの、お輿入れが決まられていよいよお美しくなられて、などと誉めそやすのでありますが。 乳母には、姫宮のお姿は落ち着きと女らしさを身につけられたというより、やつれておとなしくなられたという感じが、どうしてもぬぐえませんので。 あるとき、見かねて遠まわしに、姫宮にお話などされたことがございました。 東の国の城奥深くへ行ってしまわれれば、京の者たちとはめったに行き来などできぬもの。 今のうちにお文など渡したい方々があれば、そうなさいませと。 京の都に未練を残していってはなりませぬ。なんなら、お取次ぎいたしますから、と。 姫宮は、細く微笑んで、いいえ、とだけお答えになりまして。 そのお話はそこまでで終わってしまったのでございます。 やよいの淡い名残雪。 供まわりたちも、馬、牛も。みな息しろく列なして。 東へ嫁かれる姫宮にご同行して、 ご一緒に東海道を下られます乳母君に。 帝をはじめ、母君さま、そして、急にお髪(ぐし)に白いものがお増えになられた関白さまも、なんどもなんども、姫のことをくれぐれもとお頼みになられまして。 お別れの涙にお袖をぬらして、ご一行をお見送りになっておいでにございました。 やんごとなきおかたが東へ下られるのには中山道を使われることが多いのでございますが、千の姫宮は、海を見ながらゆきたいと。 このお輿入れに際しまして、たったひとつだけご自身の願いをお口にされましたので。 このたびは、そのように取り計らわれてございます。 五十三次を進む姫御行列はそれはそれは立派なものでございました。 幾人もの名のある公卿や武家が高貴な女人がたのまわりを固め、道中付き従うものものは何千人とも言われ。 姫宮のお輿入れのために、朝廷では念入りにお拵えをととのえられましたし。 千の姫が東国で肩身の狭い思いをなさらぬようにと、関白さまは宇治や交野(かたの)あたりの荘園をいくつもお手放しになってお支度に心くだいて差し上げられました。 皇女ご降嫁ということで、大名その他からの贈り物も数あまたありまして。 年若い姫を東へとお連れするきらびやかな列々は、近年まれに見るはなやかなものにございました。 こんこん。こほん。 「姫さま。やはり、お風邪をお召しにございますか?」 時折、千の姫宮がお咳き込みになられますので。 お世話のために、ひとつ車に乗られた乳母どのは、ほんに気がかりで。 姫宮の背をさすさすと撫でて差し上げたりなさるのですが。 「いいえ。たいしたことはないの。」 姫はそうおっしゃりながら、また、けほんけほんとお咳をされ、話をするのもお辛そうにございます。 このところ、姫君はお食事もあまりお進みになりませぬ。 すぐにでもお薬湯など煎じて差し上げたいところでありますが。 あいにく、牛の引く車の中では、そういうわけにもまいりません。 京都三条大橋を早朝出立して。 本日は、五十三次を東へ草津まで進む予定にございますが。 とりあえず、途中大津あたりでご休息をとられるときにでも、お薬をご用意しなければ、と乳母君が案じておりますと。 姫君のお車のすぐお側に付き従っておりました随身(ずいじん)役の若い公達が、馬上から声をおかけになりました。 「もし、めのとどの。姫君がお苦しみのようですが。このようなものでよければ、お役にたちませぬか」 その若者が懐から差し出した紙包みには、黒い氷砂糖が。 乳母は小窓を開けてそれを受け取り、ひとかけ毒見をしてから、それを千の姫にお渡しになりました。 咳で喉が痛んで辛いところに、このような甘いものは、ありがたいものにございます。 姫は、ほっとひと呼吸おつきになり。
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