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表街道を避けて。 半ば人に忘れられかけているような、荒れた竹林を抜ける裏街道。 雨つぶてを蹴散らして疾走する白馬。 斜めに地を刺し通す雨の冷たさは確かに辛うございますが。 雨風にしなる竹の林のざやめきと、空を裂く雷鳴が。 ひづめの高鳴りをその中に隠し。 星も月も覆う黒雲が。 落ちゆく若いふたりの姿を闇に逃し。 懐に千の姫宮を抱えて。 鴨の若君が目指していらっしゃるのは。 大井川のやや上流。 やはりそこにも橋はございませんが。 若君は、なんとしてでも、川を越えるおつもりにございました。 -----雨が辛いだろうけれど。もう少し、辛抱して。 -----ううん、平気。水は好き。濡れるのはちっとも嫌じゃない。 熱のあるお体で、しとどの雨が身に堪えぬはずがございません。 こんこんと咳き込まれながらも、幸せそうに微笑まれる姫宮がお気の毒で。 若君は、さらに馬の尻に鞭を入れられます。 -----この道を抜けたら。大井川を、渡る。 そう。川さえ越えてしまえば。 -----大井川を・・・。水が増えて、危ないのでは・・・・ -----大丈夫。水の深い浅い、流れの強い弱いくらいは、読める。任せて。 いちかばちかではございますが。 仮にもご自身は水の一族の端くれ。 流れを止める、などということはもちろん無理でございますが。 『水』を読んで、なるべく渡り易いところを選べば、馬で行けるであろうと。 渡りさえすれば、川の水が追っ手の足をくい止めてくれるであろうと。 春の嵐を飲み込んで。 大井の川はごうごうと膨れ上がり、 流れは速く深くどす黒く渦巻いていることでございましょう。 普通(なみ)の者であれば、・・・いえ、大井越えのことなら誰にも負けぬ、と自負しております川越人足たちであっても、あのような流れの中に入っていくなど、とうてい無理な話というもの。 それだからこそ。 あえて、若君は、無謀とも言える川越えを選ばれたのでございます。 -----川さえ越してしまえば。あとは、水が護ってくれる。 嵐にきしむ竹林。 波打つ笹葉は蒼くしなだれて。 叩きつける雨滝に翻弄されつつも、決して折れはせず。 ざやざやとうねる、竹の林のありようは。 とうとうと水を湛える大河のような。海のような。 地も暗く、天も黒く。 雨にかすむ両者の境界はすでになく。 闇を切って走る白い馬。 稲光りの中に時折浮かび上がるその姿を。 空駆ける天馬、あるいは大海原を渡る鳳凰に見まごう山人(そまびと)もいたやも知れませぬ。 だんだんと間隔の狭くなる稲光りに、笹林がざっと照らし上げられるたび。 自分たちの姿が追っ手にさらされるような心地がして。 早く、早く、と、気ばかりがせく若君に。 姫はおっとりとしたお声で話し掛けられます。 -----天の川だわ。 -----え? 空は重く暗く、星などひとつも見えたものではございません。 若君は、姫が幻覚を見られているのでは、と気が気ではなく。 -----しっかりして。もう少しだから。 若君の言葉の意味に気付いて、姫はくすり、と小さくお笑いになりまして。 -----そうじゃないの。ほら、笹に、雨粒がきらきら光って。星のようでしょう。 嵐の竹林は黒い大河のようでございますが。 時折、雷(いかづち)の光に照らされて。 笹葉のはじく水飛沫がいっせいに光るのでございます。 確かにその様子は、見ようによっては。 夜空にきらめく千万の星のようにも。 星の流れで彩られる川のようにも。 ![]() Kenさま:画(もとのサイズはこちら♪)
-----・・・・・あ、ああ、・・・・笹が・・・。うん。 -----七夕の笹流しのお祭りを、思い出したの。 -----ああ。毎年御所では華やかに行うのだよね。去年は雨が少なくてできなかっ たけれど。今年は、ふたりで一緒にしよう。 それを聞いて姫宮は咲きそめた花のようにぽっと微笑まれ。 -----それなら。お願いがあるのだけど。 -----何? -----七夕の笹にね。水の蝶を飾りたい。 -----うん。いいよ。 -----綺麗だと思うの。青笹に千代紙飾りと、色短冊を鈴なりにつけて。 そこに、水の蝶が遊ぶの。 -----たくさん、飛ばしてあげる。庭に池を作ろう。 -----琵琶の撥のかたちの池がいい。 -----うん。わかった。 内緒話の中で、突然目の前の竹林が切れ。 -----よし。抜けた。 そう思われました、そのとき。 -----!! 裏街道を塞ぐ、巨大な岩が、真正面に。 稲光の下にそびえるそれを。 手綱を目いっぱい引き上げて飛び越して。 「きゃあああああっ!!!」 ざん。 馬もろとも、地にたたきつけられる二人。 幸い、落ちたところは土が水を含んで軟らこうございまして、たいしたお怪我はありませなんだが、馬は、脚を折ってしまったらしく、立ち上がることができない様子にございます。 危機一髪、降り立ったところは。 目指していた、大井川上流の川原。 増水につぐ増水に、姿変わり果てた川原でございました。 普段でございましたら、白砂の川原に竹、柳などの緑が目に優しげな岸辺に、うなぎ、どじょうを漁するものたちの川歌などがのどかに渡る、風情ある場所なのでございますが。 ばきべきばきっ! 轟音に振り向くと、根元を流れに攫われてくず折れた大木が、めきめきと音を立てて根こそぎ濁流に飲み込まれ。 あっと言う間に下流へと押し流されてゆくのでありました。 お二人が思わず息を飲みましたそのとき。 遠く、雨の向こうから、けたたましげな者ものの声と、たいまつの火が。 -----追っ手が! もう一刻の猶予もございません。 鴨の若君は、群青色の川面をきっと見据えられました。 膨れ上がった川幅はざっと見積もっても40間(約70mあまり)はございます。 濁る川の水をすかして、その深さや勢いを探るのですが。 馬なしで渡れる瀬など・・・・ -----無理か!? 追っ手のたいまつはずんずんと迫ってまいります。 その数、千とも二千とも。 目の前には人を拒む、豪流。 切羽詰った目を凝らし、さらに、浅瀬を探すのでございますが。 自分ひとりならともかく、 体の弱られた女君のおみ足で渡れそうなところは、なかなかに見つかりませぬ。 -----『選ばねば』、ならないか? 奥歯を噛み締める、若君。 姫宮をお返しして、責めを負うか。 それとも・・・・・・・・・・・ と。 傍らの千の姫宮が。 唐突に、おっしゃいました。 「刀を貸して」 「・・・え?!」 「自害するのではないわ。髪を切るの」 言うより速く姫は、身を護っていた藁の雨具も、まとっていた小袿も脱ぎ捨てますと。 呆然としていらっしゃる若君の太刀を奪い取るように手に取られまして。 その、流れるようなお美しい黒髪をざくざくと切り落としてゆかれます。 「着物も。髪も。水を吸ったら重いもの」 女童(めのわらわ)のような肩そぎの髪に、白衣一枚というお姿になられますと、脱いだ着物に髪を丁寧に包んで川原へ置かれまして。 「『遺髪』があれば。病死として京にも江戸にも届けられるでしょう」 立ち尽くしていらっしゃる男君よりもいさぎよく。 「さあ。渡りましょう。どの瀬が浅い?」 姫に手を取られて我に返った若君は。 きり、と川面を見据え。 そして、若いおふたりは。 ざぶざぶと濁流の中に入ってゆかれました。 * * * * * |