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<<< 胡蝶 (24) >>> 

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      --------生きよう。








踊りの輪から離れる少女に、人知れず寄り添って歩きながら。



龍神は、もう一度、生きようと思った。








高潔であろうとか。
美しく清真でいようとか。

そういうことは、どうでもいい。

とにかく生き延びて。




どんなに怪しげな術を使ってもかまわない。
どんなにこの手を汚してもかまわない。




ふたたび生きる場を、取り戻そうと。

川を、・・・・もういちど、川を甦らせようと。





どんなにあさましい姿に成り果てても。

生きて。


また、この少女と語り合いたいと。





そうだ、約束を。

約束を果たさなければ。



この背にのせて、空を飛んでやると。

そう、この娘に約束したのだ。







このまま死んでなるものか。







なんとしてでも。
生き抜くすべを見つけよう。






そう、心に決めた。










「千尋ちゃん、喉かわいたでしょう? おばちゃん、何か買ってくるから理砂と待っててね」

「はい」

「あ、あたし青りんごジュース!」

「はいはい。千尋ちゃんは?」

「あ・・・じゃあ、オレンジジュースおねがいします」




少女ふたりは並んでベンチに腰掛けて、楽しそうにおしゃべりを始める。



その隣に、龍の少年も静かに腰を下ろして。
まとめ髪の少女の背に、そっと手を回してみた。



が。





      --------!!






赤い帯をふうわりと結んだその背に触れようとしたその指先が。










          透け始めた。








5本の指の輪郭は、確かにあるのだが。
それを透かして、その下にあるはずの胡蝶たちが、ぼんやりと見える。









     --------消える時が、来たのか!!








指先。
てのひら。
そして、腕・・・・。




龍神の体は、徐々に、かすれて夜闇に溶けてゆく。




琥珀主は、何かにすがるかのように、千尋の体を抱き締めた・・・・つもりが。

半透明に透けるその腕はむなしく空を切るばかりで、少女の体をとらえらることが、できない。



見る見る間に、その足元も、地面にちかいところから順に、かすんでその存在を失っていく。






    
--------時間がない!







少年は龍の姿となると空高く舞い上がった。

ちら、と一度だけ祭りの灯を振り返ると。

胡蝶の浴衣の少女は甘い飲み物を手に、笑っていた。
下駄履きの白い素足をぶらぶら揺らしながら。



睫毛の先でそれを振り切って。
そのまま一直線に夜空を駈る。





もとはしろがね色に輝いていたはずのその全身の鱗は。
端から色をなくし、魂のぬけた蜻蛉(かげろう)の抜け殻のようになってゆく。





堕ちゆく先をえり好みしている余裕はなかった。





自分のように、居場所をなくし、命すら失いかけているような半端者が落ち延びられる場所は、数限られている。



たしか、この世とあの世のはざまにある世界に相当な力を持った魔女がいたはず。





   --------力を。貸してもらおう。






生きはぐれ、かつ、死にきれない者たちが吸い寄せられるように集まるあやしの世界を牛耳るといわれる老女。



魔女、という肩書きのためか、自分はいままでどうも近寄りにくいものを感じていたが、そんなことは言っていられない。






   --------むろん、ただでとは言わない。なんなら、弟子にでも下仕えにでもなる。






気難しいところもあるというが、誠意を持って接すれば、話のわかる魔女だと聞く。






   --------精一杯仕えれば、まごころは通じるに違いない。






純な少年神は、必死だった。




『トンネル』の先に住み、髪を高く結い上げ、いつも青い衣裳を身につけた巨顔の老婆だと、誰かが言っていたのを思い出す。







   --------名はたしか・・・・銭・・・・・なんと言ったか。









相手の名もさだかでないとは、なんとも頼りない話であるが。
とにかく、行けばなんとかなるだろう。

とりあえず、急がなければ。





居心地のよい落ち着き先とはいえないだろうが、今はそんなことを言っていられる場合ではない。




死んでしまったら。
そこにすら、ゆけない。




そして。






二度と会えない。




千尋という、少女に。











    --------速く。速く。・・・もっと・・速く・・!








衰弱しきった体に鞭打って。


白い龍は『トンネル』を目指し、夏の夜空を駆けたのだった。





* * * * * * * * * *








「ほぅ。達者な字だねぇ。」



契約書に流麗な文字で名をしたためる、痩せた龍の子を、紫煙越しにながめながら。
湯屋の女あるじは内心ほくそえんだ。




    --------まったく。いいぐあいに、掘り出しモンが見つかったもんだよ。




女だったらもっとよかったんだがねぇなどと、その整った白い顔を見やりつつ。








「これでよろしいでしょうか」


書類を差し出そうとしたその細い指先から。
ふい、っと紙は宙に浮かび、生き物のように空を泳いで。

これでもかというほどに宝石を盛り付けた、老女の手中に納まった。


「ふふぅん。一度契約したからには、文句はなしだよ。いいね?」

「はい」





    賢いようで、抜けてるさ。・・・・雇い主を間違えるなんてね。





青い衣装の老婆はにんまりと片頬を緩めた。
話を聞いているうちに、目の前の龍神の子が、自分を姉と勘違いしていることくらい、すぐに気がついた。



が。




「魔法は、おいおい教えてやるさ。・・・・あんたの働きに応じてね」

「ありがとうございます」

「精進おし。はやく川を取り戻して、その、なんとかいう娘に会えるといいねぇ」

「・・・・はい」

「そうさねぇ。ここでのあんたの呼び名は・・・」



神妙に肯く少年の姿を睫毛の先にちらりと止めて。
魔女はこともなげに、その名を奪った。





    世の中を知らない子だよ、まったく。




力を貸して欲しいと言われて、よしよしわかった可哀想にね、などと言うような馬鹿が世間にごろごろいるとでも思ってるんだろうか。


金になるならともかく、人助けだなんて。奇特な。

本来ならすぐにでも追い払ってやりたいところだが。




腐っても鯛というか、零落(おちぶ)れても龍というか。
利用価値はある。



用心棒がわりに丁度よいし。

愛想がいいとは言えないから、客相手の仕事にはもひとつ向かないかもしれないが。
読み書き計算はひととおり以上にできるようだから、帳場奥の仕事あたりをさせれば結構役に立つだろう。



世間ずれしてないし、いいようにまるめこんで契約さえしてしまえば、思い通りに使える。
魔法の伝授をするのだから、ということで、給金はうんと低く押さえたというのに。
文句ひとつ言わない。『相場』というものを、そもそも知らないようだ。



ずいぶん弱っているようだが、死んだらその時。
黒焼きにして薬問屋に売っ払っててもいいし。
鱗を粉に挽いて魔術の糧にしてもいい。

魔法や呪いにやられて死にでもしたらそういった価値はなくなってしまうが、いずれにせよ、別に損はなかろう。





自分から籠の中に飛び込んできた世渡りの下手なカナリア。
それを簡単に放してやるほど、この魔女はお人よしではなかった。








さてさて。手始めに何をさせようか。






かしこまる龍の少年を横柄に見下ろしながら、魔女は早速胸算段にかかっていた。





    まずは、帳場の仕事を覚えさせて、と。



・・・・そうだ、最近急成長してきて目の上のたんこぶになっている商売敵の店に忍び込ませよう。 あの儲かりようはどう考えても異常だ。表沙汰に出来ない裏取引のひとつもしているに違いない。裏帳簿でも盗ませて、強請りのネタに・・・・・。

そうそう、引き抜こうと思っていた売れっ妓があの店にいたっけ。なんぞ弱みでも掴ませて、こっちに蔵替えさせたいと前々から思っていたんだ。それからそれから・・・・



魔女は赤い爪を擦り合わせ、唇の端で笑った。








そして龍の少年は、その日のうちから湯屋で働くことになった。


帳簿の計算や書類作成は特に難しいとは思わなかったが。
『利益を出す』という感覚に乏しかった彼は、当初、何かととまどった。






そしてほどなく。





湯屋の女経営者に。

これがあんたの本来の役目なんだからね、と言いつけられた『仕事』。
その内容を聞いて、純朴な川の神はぶるぶると首を横に振った。



・・・が。




--------例の娘に会えなくてもいいのかい?--------




その囁きに。





彼は坂を転がった。








悲しいことに、一度手を汚すと、流されるのは早いもの。


そんなことが、何度となく繰り返される中で。
始めのうちは、歯を食いしばるような思いで屈辱に耐えてこなしていたはずの『仕事』に。
彼はしだいに抵抗感を覚えなくなり。





『仕事』をこなすのが上手くなってゆくにしたがって。





薄紙を一枚ずつ重ねられていくように。
せつない気持ちはおぼろになり。



何故自分がここでこんなことをしているのか、それさえもいつしか思い出せなくなるまでに、さほど時間はかからず。




まもなく、名実ともに魔女の片腕、押しも押されぬ湯屋の帳場頭となっていったのだった。




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♪この壁紙は薫風館さまよりいただきました。♪



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