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<<< 胡蝶 (25) >>> 

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ちんとん。しゃりりん。

さりりり。とぉん。





秋の荒れ野の館には。
あいかわらず、水琴窟の歌が響いていた。


萩襲ねの姫は。
目の前の龍の少年の白くととのった顔を見やりながら。考えた。

今、この少年は。
どこまで、覚えているのだろうかと。




なぜ、湯屋の魔女の元へ身を寄せることになったのか。
どんな思いで、血を吐くような辛い仕事をこなしてきたのか。



わかっているのだろうかと。







「話は、終わったのだろう。私たちを、帰らせて欲しい」

もの言う少年の膝に頭を預けて。
千尋は、すやすやと眠っている。




    この少女とふたたび逢い見るためだけに。
    和速水琥珀主は生きる力を奮い起こしたのに。






その思いは、少し違ったかたちで現実になってしまったようだ。


川を取り戻して、少女のもとに帰るべく働いていたはずの少年の。
その思いが強すぎたのか。





        『呼び寄せ』て、しまった・・・





彼女を、自分が生き長らえている、不思議の世界に。



どうやら、この龍神自身にその自覚はないようだけれども。

まあ、それだけならまだ良かったのかも知れないが。
彼女の両親が、巻き添えを食って豚になってしまった。




両親を人間にもどしたい。
娘がそう思うのは、当然のこと。


見も知らぬ世界は怖い。もとの生活に戻りたい。
人間の子がそう思うのは、当然のこと。




・・・・この龍神の子は、少女のそんな気持ちをかなえてやろうと奔走するのだろう。






姫と、その隣に寄り添う若公達は顔を見合わせた。









せっかく再会できたのに。

たぶん。なんとしてでも帰すつもりなのだ。









「・・・・あなたと同じで。やさしいのよね」

姫は、隣の若者にためいきまじりに、こぼす。

「わたしと同じで。愚かなのだよ」

龍の少年とよく似た面差しの若者は、瞳に涼しげな笑みを浮かべながら、続ける。
「大丈夫だよ。きっと、また会える」



そして、目の前の龍のの少年に向かって、爽やかに言い放った。

「約束は、必ず果たせるよ」


「・・・・?」



相手が何を言いたいのかよくわからなくて、ハクは少し首を傾げたが。
話がこれ以上長引くのも困るので、黙っていた。





狩衣姿の若者は、そんな龍神を目を細めて眺める。





    大丈夫。きっとかなう。

    一緒に大空を飛ぶという約束も。




    そして。






生まれる前に交わした約束も。












つうん。つうううん。
ちりんちりんちりんちりん。ちりりりん。

しゃらしゃらしゃらしゃらしゃりりりりり。
かんかん。とんかんとんかんとおおん。とん。










水の琴の音色が変わった。



「さあ。戻るといい」

白い狩衣の若者がそう言ったかと思うと。
水琴窟の歌声はひときわ高く鳴り響き。



「・・・あっ?!」


その澄んだ音色の高まりの中でどこからともなく、無数の金色の胡蝶が現れて、茶室の中を舞い踊り始めた。

その数、幾千とも。幾万とも。
上へ。下へ。手前に。奥に。


向かい合う4人を取り巻いて、数え切れぬほどの胡蝶の群舞が嵐のようにきらきらと対流する。

むせ返るような、光る蝶の乱舞。
ふり散らされる、まばゆい燐粉。


雅びな装いの男女は、その胡蝶の群れに包まれて。
ゆったりとした微笑を残し、静かに姿を消した。

自分たちが招かれていた茶室も・・・・掻き消すように虚空に溶け。







そして。
取り残されたふたりを包んでいるのは。







薄曇った朧月夜。
野菊、藤袴、あざみ、げんのしょうこ、八重葎(やえむぐら)・・・・秋の野草にいろどられた青い夜。




    --------帰り道は・・・・・?




眠ったままの千尋を背負って、ハクは露を含む秋野を歩き始める。



足下の草むぐらの中から、ゆく秋を惜しむ虫の声が、るりりりり、と呼び合うのが聞こえてくる。

ほどよく冷たい、すず風がかすかに頬を撫でるのも心地よく。






    --------よい月夜だ。






ハクはふんわり綿衣をまとったような、おぼろな月を見上げる。

煌々と照らす満月の明るさとはまた違った、はかなげな光が地上をやわらかく満たす中、秋草を踏みしめながら静かに歩んでいると。

日常の雑事にささくれていたり、煩悩に悩まされて重くよどんでいたりする胸の中が、しっとりと青められていくような心持ちになる。




最初にここへ足を踏み入れたときには、なんと薄気味の悪い場所かと思ったが。

こうしていると、人少なに枯れた風情も悪くない。





   --------いつか、千尋とともに暮らせる日が来たならば。
         こういうところが良いかもしれない。




ふっと光を感じて目線を上げると。
その視線の先に、水音も清げな小さなせせらぎが、月の光と戯れてさらさらときらめいているのだった。



   --------あのような流れを、庭に引いて。池など作ると良いだろう。








  池のほとりには、春の花かぐわしい木々を植えて。

   夏の夕べは、水音に耳を澄ませながらの夕涼み。

    水面に影を映す秋の月を愛でながら、寄り添って物語などし。

     冬は、薄氷に弾かれて雪見窓越しに白く差し込む朝日にふたりで目覚め。






いっそこのまま、ここに留まってしまえば・・・・・・などという考えが、ちらと彼のまなかいを掠め、あわててそれを打ち消そうとしたとき。





背中の少女の重みが、ふわりと軽くなった。




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♪この壁紙は薫風館さまよりいただきました。♪



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