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五色の短冊 しなる枝陰
透かして見れば 天の川 したためたのは いつものお願い これで 最後にしますから かみさま どうぞ聞いてください さらさら ささの葉 ゆれる軒端に どうぞわたしを 隠してください * * * * * * * * * * * * * * ちりちり。しゃりりん。 風鈴の音が夕暮れどきの夏風を連れて来て、制服のプリーツスカートの裾をさわりと揺らした。 いつの間にか背まで届くようになったポニーテールをまとめている細い髪留めが、宵ひとつてまえの空と同じ紫色に光る。 目線の置きどころがなくて、千尋は小さくうつむいた。 ちりりん。・・・・りぃん。 ちりちり。しゃりん。 「---------ごめんなさい」 目の前にきまりわるそうに立つ男の人に、こう返事をするのは、これで何度目だろう。 あなたが悪いんじゃありません。 ただ。 わたしがそういう言葉をもらいたいのは。 別のひとなんです。 嘘を言ってもしかたがないから、いつも、ちゃんとこう言う。 そうすると。 「・・・じゃあ、荻野の片想いってわけ? もったいないなぁ」 だいたい、相手は無理に笑ってみせてくれる。 何故だか、いつも。 わたしが傷つけてしまうのは、いい人ばかりで。泣きたくなってしまう。 「そいつに、ちゃんと言えよ。で、もし振られたらさ、俺が胸貸してやるから泣きに来な」 「うん、ありがと。そうするね」 --------これは、嘘。 相手の誠意や好意に、ごまかしで応えたくはないけれど。 ちゃんと言いたくっても。 いないんだもの。 ・・・・・ここには。 しおれた顔を見せるのは嫌だから、軽く笑顔で手を振って。 賑わう人込みに消えていく後姿を見送る。 わたしには、男友達ってできない。 友達になれそうだな、っていう人とは、どうしてだかいつもこういう終わり方になってしまう。 小さくため息をひとつ飲み込んで。 彼が去ったのとは反対方向にひとりぼんやりと歩き出す。 その背を追うのは、風の声を集めた薄い風鈴の音。 ちりりん。・・・・りぃん。 ちりちり。しゃりん。 わたしはね。 かみさまに、片想いしちゃったの。 すごく綺麗でやさしくて、嘘つきなかみさまに。 さよならをしたあのときに、わたしがもう少し大人だったなら。 あのひとの細い微笑に隠された、静かな嘘に気付いたかもしれない。 そして、-----自分の心に芽生えていた気持ちが何だったのか、ちゃんとわかったのかもしれない。 もうじき、『あの夏』から数えて何度目かの七夕祭り。 もう、あのひとは人間の女の子のことなんか、忘れてしまったのかな。 短冊に小さな文字でしたためた願い事。 かなえてくださるのは、いったいどのかみさまなんだろう。 りるりるりりりり。りりぃぃいいん。 さりさりり。ちりりりん。 ああ。また、風鈴。
この音色。何かに似ている気がする。 なんだったっけ・・・・・・・・・・。 風鈴の音になぜか胸を締めつけられるような思いがして。 風歌の聞こえる方へ、つっと顔を向けたとき。 千尋の携帯電話の着信音が鳴った。 「もしもしー。千尋?」 「あ、理砂ちゃん。久しぶり」 聞こえてきたのは、なつかしい旧友の声。 今住んでいる町に転居してくる前からの幼な友達。 転校の際、彼女が別れの花束に添えてくれたカードは、今でも大切にしまってある。 「千尋、来週の七夕祭り、今年も来れる?」 「うん。また一緒に行こうね」 小学校1年生のときから仲の良かった理砂とは、転校後もずっと交流が続いていて、今でも時々行き来がある。 特に、琥珀川の河原跡で催される七夕祭りを千尋はとても楽しみにしていて、毎年、この祭りには必ず出かけてゆく。 「じゃ、こっちの皆にも声かけとくから。・・・あのさ、千尋にはちょっと言いにくいんだけど・・・・」 「何?」 「実は、、、、今年限りで打ちやめになるんだって。七夕祭り」 「・・・・え・・・っ・・・?」 「会場にしてた河原、また開発の手が入るんだって。マンションや大型ショッピングモールになるらしいよ。それで、もうお祭りはできなくなるって」 「そんな-------」 「もともと自治体行事みたいな感じだったじゃない? 住民の層とかも最近は変わっちゃって、お祭りの保存に熱心な人も減っちゃったみたいでね。仕方ないんだって」 「・・・・・・そう・・・・」 電話は、待ち合わせの時間と場所の確認を済ませて、切れた。 呆然と立ち尽くしたままの千尋が、やっと我に帰ったとき最初に耳にしたものは。 夕風に歌う、風鈴の音だった。 ちりちり。しゃりりん。 さりりりり。 ああ。思い出した。
たしか、『水琴窟』の音って、こんな感じだったっけ。 なぜ今、そんなことに思いがゆくのだろうと考えながら見上げた夕空に。 溶け込みそうな色合いで光った、胡蝶が一羽。 空を照らす色が、まばゆい太陽の光から星灯かりのやわらかさへと移ろいゆく中へ、おぼろな軌跡を残してよわよわと舞い上がり。 その最後の姿が夜闇のたなごころに包まれて見えなくなったとき。 水の琴に似た鈴の音が。もういちどだけ、りぃん、と鳴った。 * * * * * * * * * * * * * * * 「んー。そうだねぇ。なんとも・・・微妙なとこだねぇ・・・」 水晶玉を覗き込む巨顔の老婆。 その言葉を神妙な表情で聞き入る、若い龍神。 「まあ・・・・お茶をもう一杯入れようね。カオナシや、新しいリーフの缶を持ってきとくれ」 白い仮面の男は、なにをか言いたげな様子で、ちら、と客人に視線を向けたが。 魔女に促され、キッチンへ向かった。 「やはり・・・・無理でしょうか」 手伝います、と白い水干姿の客も立ち上がる。 それじゃあ、とレースペーパーを敷いた皿を彼に渡し、ビスケットの盛り付けを任す老婆。 「無理って訳じゃあないんだけどね」 なんとも歯切れの悪い言葉に。 翡翠の瞳が揺らぐ。 お茶のおかわりの支度が整ったテーブルで、銭婆はあらためて話を切り出した。 「ハク龍や。妹との今の契約は、いつ切れるんだって?」 線の細い黒い姿の男が選んだのは、さきほどより香りのやわらかな茶葉。 薄手のシンプルな白磁のカップに口をつけながら、ハクは答える。 「昨日、切れました。契約を更新するかどうかの返事は明日まで待ってもらえることになっています」 「じゃあ今日は一日休みかい。それなら、ゆっくりしていきな。よかったら夕食もご馳走するよ」 「・・・・いえ、そこまでは・・・・。それよりも、話の続きを聞かせていただけませんか」 「・・・・・そうだねぇ」 相談があるからと、珍しくプライベートにやってきた白い龍。 なにやら思いつめている様子だったので、茶をすすめつつ女あるじが話を聞くと。 彼はいきなり、今ここで命を絶ったなら人間の男に生まれ変わることができるでしょうか、などというとんでもないことを口にした。 川は・・・・もう自分の力ではどうしようもないからと。 言いたいことはよくわかるが、命をどうこうとは穏やかではない。 でも、ばかなことをお言いでないと笑い飛ばしてやるには、あまりにその目は真剣で。 銭婆は水晶玉を使って、彼の行く末を占ってやったのだった。 「自慢じゃないが、あたしの占いはまず外れないのさ」 「存じています」 澄んだ翡翠の瞳が、まっすぐに老婆の視線をとらえる。 「占いには、どう出たのでしょうか」 「・・・・ある意味、あんたの思いの強さがそのまま、ね。出てるよ」 「そのまま・・・?」 「そうさ。はっきり言うよ。-------------やめときな」 「・・・・どういうことでしょう」 銭婆はビスケットに手製の木苺ジャムを添えて、彼にすすめた。 「人間の男には、すぐにでも転生できるだろうよ。それも、千尋ちゃんにすごく愛される存在にね」 「それなら」 「千尋ちゃんは、今いくつになるね」 「おそらく・・・十七かと」 「うーん。難しい年だね」 相手の言おうとしていることが、よく掴めない。 ハクは、じりじりする気持ちを抑えて、彼女の次の言葉を待つ。 「あんたはね」 「はい」 「千尋ちゃんの『子』として生まれるだろうよ」 「子?」 「あんたの望みとは、ちぃとずれるんじゃないかい?」 「・・・・・・・千尋の『子』として生まれたとして、・・・そして、一生彼女を守ることができるのでしょうか」 「おやめってば。女のあたしの口から言いたかないけど、たぶん、辛い身篭り方をして、周囲に歓迎されない子として生まれるね。千尋ちゃん・・・苦労するよ?」 「千尋が、・・・・・苦労を・・・」 カオナシが、そっと席を外した。 さすがにいたたまれなくなったらしい。 「いっそ、こっちへ呼んじまったらどうだい?『二度あることは三度ある』っていうじゃないか。もいちど『神隠し』しちまいなよ」 「・・・・・・」 「妹んとこに居づらいなら、あたしが勤め口くらい紹介してやるよ? もう『お抱えの弟子』って訳じゃないんだから」 「いえ。お心遣いには感謝いたしますが・・・」 「『神様』をかさに着てかっ攫ってくるなんてのは、もう嫌だってかい」 「千尋に失わせるものが、多すぎます」 深い碧色の瞳が伏せられるのを見て。 銭婆はため息をついた。 「・・・・あんたってば、ヘンなトコで律儀な子だよ」 * * * * * * * * * |