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<<< 胡蝶 (34) >>> 

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龍はみんな優しいさ。優しくて、そして・・・・・






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とおりゃんせ とおりゃんせ

ぼうや ほらほら 手のなるほうへ
こちらのほそみち とおりゃんせ

ここはどこの細道じゃ?
龍神さまの、細道じゃ?

鳥居のむこうの 石段ぬけて
花嫁御寮が ゆきまする

ちいと通して くだしゃんせ
おふだをおさめに まいります

ぼうやの ねえやは 数えで十五
金襴緞子(きんらんどんす)の 帯しめて

錦の手綱(たづな)の お馬に揺られ
轡(くつわ)にちゃぐちゃぐ鈴かざり

往きは美(よ)い美い 帰りは難(こわ)い
こわいながらも とおりゃんせ?


・・・・とおりゃんせ?









切れ切れにこだまする子守唄が。
かすかに香る、いとしい娘のにおいが。

龍神を混乱させる。


自分は今どこにいるのか。生きているのか。死んでいるのか。
それともすでに新しい生を受けて、転生しているのか。

それすらもわからない。

暗い。視界がきかない。
声も出せない。

身体がいうことをきかない。
襟首をねっとりと掴まれて、そのまま底無し沼の深みに肩口からずるずる引きずり込まれてゆくような、--------そんな、得体の知れない嫌な感触が全身を覆う。





そして、あの不吉な予言が。
さらに彼を追い詰める。








ばかなことをお言いでないよ。

おまえは、愛しい娘を苦しめる子として生まれてしまう。








身悶えする龍神のまぶたの裏に。
沼の底の一軒屋の、趣味の良いダイニングルームでのひとときが甦った。



女主人がためいきまじりに淹れたお茶。
テーブルクロスに丁寧にほどこされたひなぎくの刺繍。
カップにそそがれる香りは甘く、というよりむしろ切なく客人を包み。
くぐもった老女の声は、くゆる湯気の中にしんなり溶けていた。







悪いことは言わないから。

----------おやめ。







彼女は、諌(いさ)めてくれていたのだ。
若さに走って命を粗末にしてはいけないと。

なのに。









私は・・・・



私は、なんと愚かな・・・・!!










千尋さえ無事に『返して』やることができれば。
自分の命などどうでもよいと、はなから決めてかかっていた。

自分の死がどういう結果を招くのか、
銭婆があれほど警告してくれていたというのに!

なぜ、もっと生きることに執着しなかったのか!!

細い蜘蛛の糸にすがりついてでも。死神を食い殺してでも『二人で』生きようと。
なぜ、食い下がらなかった!?






とおりゃんせ とおりゃんせ



ここはどこの細道じゃ?
龍神さまの、細道じゃ?









歯噛みして悔いる龍神を、細い子守唄が追いかける。
真綿で作ったふわふわの産着(うぶぎ)のようなやわらかさで、くるみこむ。







ぼうや ほらほら 手のなるほうへ
こちらのほそみち とおりゃんせ







その慈愛に満ちた旋律のぬくみが。
肌を刺すように、痛い。

振り払っても、振り払っても。
歌声は、自分の背にとりすがる。
執拗に後ろ髪を掴んで離さない。







鳥居のむこうの 石段ぬけて
花嫁御寮が ゆきまする


錦の手綱(たづな)の お馬に揺られ
轡(くつわ)にちゃぐちゃぐ鈴かざり








母が子をあやす歌独特のやさしげな旋律は、彼にとってはまさに拷問で。
苦し紛れに、ぐいと両手を伸ばすと。

それは、・・・・・何かにそっと包み込まれた。








   ---------?







おもてを上げると、暗闇の中に、目に一杯涙を浮かべた少女が立っていて。
彼女のやわらかな白い手が、自分の手を取っていた。



少女が口を開く。


「『約束』・・・・したのに」



涙にうるむその声は、いとしい少女にとてもよく似ていて。
でも、少し違っていて。


ハクが目を凝らすと、その姿は徐々にはっきりと、暗闇の中に浮かび上がった。


その面立ちは、やはり千尋のそれとはっとするほど似通っていたが。
彼女の古風ないでたちは、風雅な大和絵を思わせた。

幾重にも衣(きぬ)を重ねて裳裾(もすそ)ひく、優雅な宮廷衣装。
みやびな彩りをたっぷりと連ねた袖口からのぞく華奢な指先。


その少女の頬をぽとりと涙がつたうと、それを追うように・・・・・あたりに聞き覚えのある澄んだ音色が響いた。








      ・・・・・・ちりりぃぃいいいん。








闇を透かして響き渡(とお)る、水琴窟の音(うた)。
さわりときぬづれる姫装束。萩襲(はぎがさ)ねの小袿(こうちぎ)。

少女はまばたきひとつせず、立ち尽くしていた。
つぶらな両の瞳から、ふるふると涙あふれるまま。





さりさり。しゃりりん。

りん。とん。つぅん。





こぼれた涙のしずくの数だけ。
落ちては消え、また落ちては広がる水の琴のさざなみは。
たがいに細い余韻を連ねつつ、しんしんと暗い空間を洗う。


その繊細な調べは、幾重にかさねようとも決して濁ることはなく・・・むしろ響きに厚みが増すほどにいよいよその透明度を高め。
深みを帯びた不思議な和声を、闇の中にかたちづくる。




「また・・・諦めるの?」




涙もよいの娘の声は、水琴窟の歌波にうすく溶け、潮騒のように寄せては返し。
苦悩する龍神の意識のいちばん底を、淡くふるわせた。





『自分』は・・そうだ、『あのとき』も彼女を守りきれなかったのだ。





追い詰められて。力尽きて。
金に光る水の蝶を舞わせるのが、精一杯で。

無数に飛び交う流星のような火矢の下で。
ふたりして水底へ沈むことを、選んだ。


あのとき最後まで諦めなかったら。
自分たちには、また別の結末があったのだろうか。











「あなたはまだ、『こちら』へ来てはだめ」

小袿姿の姫は、懸命に訴えかける。






鳥居のむこうの 石段ぬけて

りるりるりりりり。

花嫁御寮が ゆきまする

しゃん。とん。さりん。








龍神を揺さぶり続ける水琴窟のしらべに、いつしか、千尋の子守唄が重なって。
それらは互いに追いすがり、絡み合い、やがて・・・ひとつに溶け合った。







ちいと通して くだしゃんせ

ちりりん。りりん。




「帰って。千尋の歌が聞こえるうちに」




おふだをおさめに まいります

りる、りる、りん。りん。








「さもないと-----あなたを胸に抱くために、千尋は悪魔に身を売るわ」







往きは美(よ)い美い ・・・帰りは難(こわ)い





「さあ。早・・・」





・・・・ちりん。






とおりゃんせ とおりゃんせ

ここはどこの ほそみちじゃ






頭の中の整理がつかず、呆然としているハクの目の前に広がる歌声に。突然。




鳥居のむこうの 石段ぬけて
花嫁御寮が ゆきまする






彼が最も見たくなかった千尋の姿が重なった。





錦の手綱(たづな)の お馬に揺られ
轡(くつわ)にちゃぐちゃぐ鈴かざり






魔女の忌まわしい予言が。
身の毛もよだつ映像となって彼の目の前をよぎった。








ぼうやの ねえやは 数えで十五
金襴緞子(きんらんどんす)の 帯しめて









見知らぬ男の乱暴な背と。
抵抗する泥だらけの素足。





花嫁御寮は


・・・・なぜ泣くのだろ










「ちひ---------!!」













花嫁御寮は


なぜ・・・・






















「・・・・・ハク?」








♪この壁紙は薫風館さまよりいただきました。♪



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