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<<< 胡蝶 (36) >>> 

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「・・・話してくれないか。私が気を失っている間に、いったい何があったのか」



問い詰めても、千尋はなかなかそれに答えようとしない。
ぐぅっと唇に力をこめて、うつむいてしまう。


「言わないと・・・いけない?」




名残惜しげに、少しずつその立ち位置を移ろわせてゆく淡雪色(あわゆきいろ)の満月が、かすかな夜明けのにおいを呼び寄せる。

星の色がうすくなってゆくにつれて。
川向こうに煌々と灯されていた店々の灯かりも、ひとつまたひとつと、夜明け前の浅い闇の中に溶けていった。





「言ってほしい」





なおも食い下がる龍神の声音には、有無を言わせぬ圧(おも)さがあって。
千尋はますます困ってしまう。




「千尋。まさかとは、思うが。」




その整った口元から放たれるのは、確かに人の使う言葉ではあるのだけれど。
まるでそれが、猛獣の息の下から漏れる、威嚇のうなりのように聞こえて、少女は思わず身を縮こめる。



「まさか、・・・私の命を救うかわりにそなたの身を投げ出すような、そんな馬鹿げた『取引』を誰かとしてはいないだろうね?」




想像したくもないが、そう考えれば辻褄が合うようにも、思う。
瀕死の・・・あるいは本当に死んでいたのかもしれない自分が蘇生したのも。
あの「姫」の、涙混じりの訴えも。



先刻のおぞましい映像がひたひたと背を撫で、全身がぞろりと鳥肌だつ感触を懸命に払いのけ。
できるだけ余計な抑揚をつけないよう気をつけて、ハクは千尋に問うた。


こういうことを直接女に説明させるのは酷だと思うくらいの、思慮はまだあるつもりだ。
自分が淡々と具体的に口にして、応か否かで答えさせるほうが、まだ、配慮があるというものかと。



そして、万一、・・・万が一にも、そうならば。
なんとしてでも、それを阻止しなくてはならない。
きっと、時間の猶予はない。



今にも泣き出しそうな娘を目の前にして。
気の荒い龍の性(さが)を持つ青年としては、冷や汗にまみれての、ぎりぎりの判断だった。





・・・・・・・・が。











「ううん。そんなこと、・・・してない」









それはあっさり否定され。






「確かだね?」

「うん」











ハクはほっと胸をなでおろした。











・・・・のも束の間。





「・・・・・たの」

「・・・・え・・・・?」

「だからね、・・」


龍神の表情が一瞬和らいだのを敏感に察知して安心したのか、やっとまともに形を結ぶようになった少女のその言葉は。





再び彼を激昂させた。








「よく聞こえなかった・・・・すまないがもう一度言っておくれ」 


「だからね? わたし、ハクのかわりに、ハクによく似た男の子を一人授けてください、ってかみさまにお願いしようと思ったの」



「・・・・何だって?」



目の前の綺麗な碧の瞳から、すうっと血の気が引くのが見て取れた。
しまった、やっぱり言わなければよかったと千尋が思った時にはもうすでに遅く。


「私のかわりに、・・・『赤子』を・・・? 何ということを・・・」

「ごっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい〜〜!!! だってだって、ハク、まるで死んじゃったみたいだったんだもん〜〜〜〜!!!!!」






わあ、ハク怒ってる、また怒ってる〜〜〜〜!!
もぉやだぁああああ。。。。。。







そんなに恐い顔で怒らなくってもーーと心の中で叫びながら。
まだ生きているのに死人扱いされたなど確かに気分よいものではないはずだしと思い、千尋はひたすら謝り続ける。



が、龍神の怒りの理由は・・・・彼女の考えていたものとは、少々ずれていた。





「誰にだ?!」

「---------え?」

「答えなさい! いったいどの神にそのようなことを頼もうとしたんだ?!」

「あ、、あの?」

「そなたは、自分の言っていることの意味がわかっているのか?!」



ひとたび消えかけた、あの痛ましい千尋の姿が再び目の前をよぎり。
龍の若者は混乱する娘の両腕をがしと掴むと、声を荒げて詰め寄った。



「ハク・・・? 何怒って・・・?」



千尋はおろおろとハクの顔をのぞきこむ。
腕に食い込む彼の指の力がぎりぎりと強まって、痛い。

突然なぜ彼が苛々と感情的になったのか、少女にはまだいまひとつ、つかめない。



「あの・・・」

「私以外の者にそのようなことを頼むなど、許さない」

「は・・?」

「私に似た赤子が欲しいというなら、私に言えばよかろう」

「え、ええっ、えええええーーーーーーーっ?????」

「他の神にだなどと・・・・冗談ではない」








ちょ、ちょっと待って?!?!

ハクこそ、今とんでもなく過激なことを言ってるのわかってる????










千尋はぐるぐる回る頭の中で、激しく突っ込んだ。









あのねぇ。

人間の世界じゃそういうのは限りなく
『ぷろぽーず』に近いんだけどっ?!










「千尋!聞いているのかっ!?」

「は、はいっっ!」



嵐海の小舟のように上がったり下がったり大揺れする乙女心など、おもんばかる余裕はかけらもなく。
完全に頭に血が上っているらしい龍神は、その厳しい詰問口調を一向にほぐそうとしない。






な、なんか、、、学校の先生に叱られてるみたい・・・・・







ぷろぽーずというものはもっとこう、ムードのあるものじゃないのかな、とか、そもそも、願掛けとぷろぽーずがどこでどうこんがらがればつながるのかな、と、少女が首をひねっていると。




またもや頭ごなしに怒鳴りつけられた。

「その禍禍しい言霊を、よもや口にしたりはしていないだろうね!?」









むか。




むかむかむかむかむかーーーーーっ。






「ハクっっ!!」



ついに千尋が逆襲に出た。



「・・・えっ、な、何、?」

「わたしはねっ、17歳になったの!!」

「え? ああ、うん」


少女の態度の豹変に思わず一歩たじろぐ、ハク。



「七年、たったのよ?!」

「そ、そうだね・・・?」


後ずさりする龍神に、ずずいっと千尋は詰め寄った。


「な、七年ぶりの再会なのにっ!!! ハクってば会ったとたん火傷するし怪我するし死にそうになるし実際死んじゃったみたいになるし死んじゃったかと思ったら生き返って生き返ったかと思ったら泣き出すし慰めてあげたら今度はぷりぷりぷりぷりわけわかんないことで怒るし怒ったかと思ったらプロポーズするしそのくせプロポーズの割にちっともロマンチックじゃないし女の子はデリケートにできてるのにそこのとこぜんっぜんわかってないしそれどころかまた怒るしっ!!!!!!」


「え・・・あ・・・その・・・す、すまな、かっ・・・た・・・??・・・」



思いっきり迫力負けして、とりあえず謝ってみる龍神。

を、真っ赤な顔でぜいぜいと睨みつけ、一歩も引かない小柄な少女はなおもまくし立てる。




「どうして『言って』くれないのよ!!」

「え、ええと・・・・?」
何を?と尋ねたいのはやまやまだが、恐ろしくてとても聞けない。



「わたし、怖かったんだからっ!」

「・・ああ、うん、、」

「ハク、息しなくなっちゃうし、だんだん冷たくなるし、わっわたしっわたしっわたしっ、一生懸命呼んだのにっ、へ、返事もないしーー!」

「ああ、千尋、私が悪かった、、その、、、、、」

「怖かったんだから! 寂しかったんだから!! いっぱいいっぱい、泣いたんだから!!!」

「・・・ちひ・・」

「ハクの、ばかばかばかばかばかーーーーーーーーーー!!!!」


千尋は一気にそこまで言って、・・・・今度は思いっきり盛大に泣き出した。



「わたしこれでも一生懸命会いにきたのに!」

「ああ、千尋・・・」




「どうして『会えて嬉しい』って、一度も言ってくれないのよーーっ!!!」

















しゃりりぃいん、・・・と。

澄んだ水琴窟の音が、どこかで聞こえた・・・・ような気がした。




胸にすがりついてわんわんと泣く少女を、思わず抱き締めたまま。

ハクは呆然としていた。













私は。

なんと愚かな。








何故忘れていたのか。


こんな、こんな大切なことを。


会えたという事が。ただそれだけが。





どれほど幸運なことだったのかを。






この娘をこんなに泣かせてしまうまで。



何故、思い出さなかったのか。














夜明けがほろほろと近付く。
少しずつおぼろになる月明かりの中、時折さらりと時雨が通り過ぎ。

やわい雨にうるおされた川面はかすかな朝霧をまといはじめ。
ようやっと、たがいの距離を縮めかけようとしている若い男女のぎこちない抱擁を、さわさわと包みこんでいた。








♪この壁紙は薫風館さまよりいただきました。♪



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