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とおりゃんせ とおりゃんせ 龍神さまも とおりゃんせ 鳥居のむこうの 石段ぬけて 花嫁御寮が ゆきまする ぼうやの ねえやは 数えで十五 金襴緞子(きんらんどんす)の 帯しめて 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ ****************************** 「なんだ、千尋はまだ帰って来てないのか? あまり夜に出歩かせるなよ」 帰宅するなり、一人娘の不在を不機嫌に妻に問う荻野明夫。 「今日は理砂ちゃんのところに泊まるって言ってたけど」 「ああ?」 「ほら。例の『七夕祭り』なのよ。琥珀川の。毎年行ってるじゃない」 ああ、あれか、と頷きながら、明夫は念を押す。 「先方に連絡取れてるんだろうな? 最近は変な事件多いんだ」 自分達が昔『神隠し』にあったとか言われている森。 このところ、あの近辺でも若い女性が被害に遭う悪質な事件が何度かあり、犯人はまだ捕まっていない。 「そうね・・・・一応、電話くらいしといたほうがいいかしら・・・」 悠子がそうつぶやいたとき、リビングルームの電話が派手に鳴った。 彼女が受話器を取ると。 飛び込んできたのは、聞き覚えのある若い娘の声だった。 『おばさん、おひさしぶりです、理砂です。あのう、千尋ちゃんがまだ約束の場所に---------』 悠子の手から、受話器が滑り落ちた。 ごとん、と床に響いた鈍い音に明夫が振り返り、ネクタイを緩めながら、どうした、と声をかけたのだが。 彼女は微動だにする様子もなく、仕方なく明夫は床に落ちた受話器を広いあげ、妻の顔を覗き込んで・・・・・瞬間、声を失った。 -------悠子は血の気を失った頬を固くこわばらせ、唇を小刻みに震わせていた。 「お、おい!? どうした、千尋に何かあったのか!?」 「・・・・・あの子・・・・行っちゃったんだわ・・・・」 「えっ? 何の話だ?」 「私・・・・何も持たせてやれなかった・・・・・」 「おい、悠子、しっかりしなさい!」 「なんとなく、そんな気がしていたのに---------------」 悠子はよろよろと崩れるように壁に身体を預ける。 虫の知らせ、というのだろうか。あるいは、母親の勘か。 夕刻送り出した時、なんとはなしに、『予感』はあった。 ---------ひょっとして、これっきりになるのではないかという。 自分が育てた娘の選択なら、全面的に信用してやりたいと思う。 『近くでふさぎこまれてるよりも、遠くで笑ってくれてるほうがいい』。 そう言ってやった言葉に、嘘はない。 ・・・・でも。そうとわかっていたならば。 持たせたいものは、いろいろあったのに。
少しずつ揃えておいてやった着物とか。 自分が嫁ぐ時に母から貰った指輪とか。 あの子が生まれたときの臍帯(さいたい=※へその緒)とか。 好物の黒豆煮の作り方とか。 嫁(ゆ)かせる時には。 たくさんたくさん持たせてやりたかったのに。 笹飾り一本、手渡したきりだった--------------。 警察だの知り合いだのに片っ端から電話をかけている明夫の隣で。 悠子は呆然と立ちすくんだまま、身ひとつでゆかせてしまった娘にただただ思いを馳せ。 ばたばたと慌ただしくなる空気から逃げるように、窓の外に視線を逸らせると。 雨上がりの満月が花のように明るかった。 * * * * * * * * * * *
しゃりしゃりしゃりりり。 さりりるりりり。 山の端(は)に傾く満月が、少しずつ水かさを減らしてゆく川面に細い斜光を落とす。 風のにおいは夜明けが近いことを告げていたが。 いまだ闇色をたたえた大河に、あとからあとからふりそそぐ月光は、和琴をつまびくように水の流れを弾(はじ)き、それらは時にひといろにまとまって深い和をなしながら水底にもぐり、また時にははらはらと水面に散じて光の楽を撒き散らしていた。 月影とせせらぎの奏でる楽に包まれて。 水辺で身を寄せ合う若い龍神と人間の少女。 「・・・・落ち着いた?」 「ん・・・」 額髪をそっと撫でられて。ようやっと泣き止んだ娘。 泣くだけ泣いて満足したというよりは。 好きなひとの胸の中で好きなだけ泣ける幸せを再確認して安心したというか。 ただ。 龍は丈夫な生き物で快復も早いものだと聞いている割に、・・・頬を預けている彼の胸は、まだ傷だらけのままで。 たぶん、背に回されている腕も、そして今は見えない背中も、同じように痛々しい生傷にまみれているのだろうと思うと、千尋はいたたまれなかった。 「考えなしの女の子で、ごめんね」 「え・・?」 「わたしが無理やりこっちに来たりしなかったら、ハク、こんなに怪我しないですんだのに」 「何を言う」 「死にそうにならなくても、すんだのにね」 「千尋」 「でも・・・・どうしても、会いに来たかったの」 自分を包む腕の力がぎゅうっ、と強まって。 きゅうくつな体勢に身体をねじることになった千尋は少し困ったが。 それでも、おとなしく彼のなすがままになっていた。 「琥珀川の七夕祭り・・・わたし、毎年行っていたの」 「・・・・うん」 ひと夏ごとにつのる思いを、短冊に。 もしかしてと胸躍らせて作った笹飾り。 細く割いた色紙の輪をひとつづつ繋げながら。 しゃらしゃらたなびく紙のくさりのその先が、いとしい人に届くよう。 ぼんぼりは、夜闇に映えるほたる色。 わたしはここだと、わかるよう。 千代紙細工の胡蝶の羽に。 のせて託してあふれて止まらぬ恋心。 「でも・・お祭り、今年で打ち切りだって・・」 「・・・・・」 「知ってた・・?」 「・・・・知っていたよ」 トンネルの向こうの世界から。向こうの世界に住む人間達の心から。 『琥珀川』が完全に消滅する時が来たのだと。 それを悟ったからこそ、占いを請いに銭婆のもとをおとなったのだ。 ---------川の再生がならぬのならば、せめて人間に転生できないものかと。 「これで最後って思ったら急にがまんできなくなって」 夢中で、トンネルを抜けた。 「ハクをこんな目に遭わすことになるなんて、思わなかったの」 彼の胸の、おそらく逆鱗というものをいためてしまったのであろう生々しい裂傷。 千尋はそれにそっと手を添えた。 身に持ち合わせていたありあわせのものでやっと止血したその傷は、まだふさがってもいない。 きっと酷くうずいていることだろう。 「わたし・・・ハクを死なせるとこだった・・・」 また泣き顔になりそうになる少女を、龍神はあわてて遮る。 「そなたが思い詰めるなど、筋違いだ」 「ハク」 「そもそも、私が不甲斐ないばっかりに」 「あのね、」 「千尋は何も悪くない」 「聞いて」 千尋は両手でハクの胸を押して身体を離すと、彼の顔をまっすぐ見上げて話を続けた。 「赤ちゃんが欲しい、って思ったのはね」 千尋は、肉のごくごく薄い自分の腹に彼の手を導いた。 「-------ここにね、ハクの『魂』を抱いて、連れて帰ってあげたかったから」 「・・・・・・・・」 「あと一回『子守唄』をうたってもハクが目を開けなかったら、本気でかみさまにお願いするつもりだったのよ?」 再び蒸し返されたその話題に、龍神はぴくり、と肩をそばだてる。 そのかたわらを。 すっかり水かさの浅くなった川が、水面に月の光の粒を乗せ、しゃりしゃり澄んだ音をたてながら流れ過ぎてゆく。 「ハクが助からないなら-------」 さりさりしゃりりり。 「わたしの子にくださいって。いますぐ、くださいって」 しゃりりぃ・・・・・ん。 女の子でもいいけど、できたらハクによく似た男の子の方が嬉しいなあと思ったのよ、と千尋は少し笑った。 「もしハクが死んじゃってもね、後追いなんて絶対しないって、わたし決めてた」 「・・・ちひ・・」 「『前の世(とき) 』と同じになるのは、嫌だったの。」 万策尽きて。 ふたりして来世を約束して。 水の蝶を眺めながら眠るようにともに水底に沈んだ。 遠い遠い昔の、悲しい物語のような思い出。 「一緒に死んでも、幸せにはなれないもん・・・・そうでしょ?」 -----------龍神は返答に困った。 むろん、後追いなどもとより望まない。 しかし。 「でも・・だからといって、・・・・千尋、、わかっているの? その、、、子を身篭るということは、、、」 もごもごと言いよどむ若者に、少女は間髪入れず言い放った。 「『リスク』は承知の上。マリアさまみたいなわけには行かないでしょ」 「・・・・・!!・・・・・」 「それでもいいんだもん。・・・・離ればなれは、もうたくさん!」 魔女の『予言』に隠されていた
本当の意味を知って。 ハクは愕然とした。 銭婆の言葉は、命を粗末にするなという警告であっただけではなかったのだ。 自分が生死の境を彷徨っていたあのとき、・・・・・千尋は、決してあきらめなかったのだ。 自分がたとえ彼女を置いて命絶えたとしても、あきらめないつもりだったのだ。 自らの身体を、転生のための器にしてでも、『二人で生き』ようと。 そう決意していたのだ。 水晶玉に映し出されていたのは。
悲しい『運命』ではなく、千尋の強い『意志』だった!! 一人逝き急ごうとしていた自分に比べ、このか細い少女はなんと芯が強いのか。 彼女なら・・・黄泉の国のイザナミの女神を向こうにまわして直談判さえしかねないと、若い龍神は本気で思った。 そして。 これほどまでに精一杯の・・・・・いや、人間としての限界をはるかに越えるほどの愛情を女から示されて。 何かを言ってやらなければ、何かを返してやらなければ、と思うのに。 言葉が、出てこない。 「ハク・・?」 伝えなければならないことごとは、心の海底から波をなして、あとからあとから押し寄せてくるというのに。 それを言の葉に乗せようとすると、どれもぺらぺらと安っぽい、薄っぺらいものになってしまいそうで、あふれる想いにどうやっても追いつかない。 渦なす激しい感情を扱いかねて、唇を震わせる龍神の様子を察して。 千尋は、彼が何をか口にしてくれるのを、おとなしく待つことにした。 ・・・・・娘らしい、淡い期待に、すこうしだけ胸ときめかせて。 その少女の視線が、よけいに龍神の思考の段取りを狂わせる。 順序だてて、なめらかに、理路整然と、それでいて温かみのある、まごころのこもった言葉を、・・・・・と思うのだが。 ごく間近からまっすぐにこちらに向けられたとび色の澄んだ瞳と、やわらかそうな唇からかすかにもれる甘やかな吐息に、心ごと絡め取られてもう何も考えられない。 もつれてからんだ絹糸玉のようになってしまった気持ちの縒(よ)りを解く糸口が見つからないまま、たまらなくなって---------------彼は少女を抱き寄せて、言った。 「おなごが、・・・顔にこんなに怪我をして」 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 け、怪我・・・????
「可愛そうに。腫れて・・・」 ハクの白い指が、千尋のこめかみのところにできていた紫色の痣に触れた。 「痛ぁっっっ!!」 「ああ、ごめん、ごめんよ」 「ひどぉい・・・」 おろおろと顔を覗き込む龍神。 このひとに、ろまんてぃっくを期待するなんてやっぱり無理だったかなと、千尋はひりひりと痛む傷に手をあてて苦笑する。 「ああ、もしかして、魔法で治してくれるの?」 と。 ハクは、彼女の何気ない言葉に、かすかに眉を曇らせた。 「私は、もう魔法使いの弟子ではないし・・・もとよりただの水神だから・・・そういう技は使えない」 「あっ」 目の前の若者が悔しげに唇を噛むのを見て、千尋はあわてて言い足す。 「平気!平気よ、このくらい!! 怪我ならわたしよりハクのほうが酷いじゃない!」 「血が」 「もう止まってるし!」 「千尋」 「ほんとにほんとに、ぜんぜん、なんともないんだってばー」 「黙って」 ぼろぼろになった白水干の懐の中に、そっと引き寄せられて。 傷口に。 ぴと・・・と、生温かい湿った感触があてがわれた。 そのやわらかいものが、血のこびりついたこめかみを、何度も丹念に往復する。 「ああああああの、ちょっと、ハク、ええええっと、、、?????」 「黙って」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」 あの〜あの〜〜あの〜〜〜〜そんなことしなくったって平気なんだってば〜〜〜、と声を大にして叫びたいし大暴れしたいし逃げ出したい気分の千尋だったが。 のども手足もがちがちに固まって動かない。 お、落ち着いて、落ち着いて。
これは、『治療』なんだから。 現に自分も、先だってハクの傷を手当てした時、薬も何もなくて同じ事をしたのだし、怪我を癒す手段として、彼が今できうる精一杯のことをしてくれているのだと思うと、むげにやめて欲しいと言うわけにもいかず。 えーと。えーと。えーと。えーと。えーーーーと。
目、、、つぶっちゃおかしい、、、よね、、??? とは思うものの。 目の前で静かに動く彼の形のよい顎や白い喉に、視線の置きどころがなく。 軽く肩に置かれた手や、頬にそっと添えられた指が熱くて。 傷をいたわってくれる湿った音が、わけもなく恥ずかしくて。 とうとう目を開けていられなくなった千尋は、ぎゅうっとまぶたを閉じ、両こぶしを固く握りしめて、その『治療』が終わるのをただひたすら、待った。 ま、、、まだ、、、、かな、、、、、ぁ、、、、
こめかみ、額、頬、そして鼻の頭。 丁寧に手当てがされてゆく。 ハク。あのね・・・・・
いやじゃ、ないけど。 そこは、怪我してないよぅ・・・・・・・。 |