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「・・・・・それが、わたしだとでも言いたいのか?」 冗談ではない。 そんな、身に覚えも無いことを千尋の前で口にされて、、、 何か誤解でもされたら、どうしてくれるのだ。 水神の少年の、憮然とした問いかけに。 みやびな小袿(こうちき)姿の少女は、ふふ、と笑った。 *小袿:十二単をやや簡略化した、通常の礼服姿。
招き入れられた茶室の中は。 朽ち果てかけていた外見とは裏腹に、すっきりと整ったものだった。 おそらく・・・・まやかしか、術のたぐいであろう、と、ハクは読んでいたが。 畳は青々としており、ぴんと糊のきいた障子紙には破れをつくろった跡さえない。 細身の一輪挿しにゆれる青紫色の竜胆(りんどう)もみずみずしく。 ちりひとつ落ちていない、清潔な室内には、伽羅(きゃら)の甘やかな香が焚きしめられていて。 ほどよい厚さに綿の入った、落ち着いた色味の絹座布団。 薄茶と干菓子の盆がめいめいの膝の前に。 客人をもてなす心遣いあふれた部屋の中で、千尋とハクは、美しく装った少女と向き合っていた。 襲(かさね)の色目は「萩」。秋の色合わせ。 表は蘇芳(すおう:濃い赤紫系の色)、裏は青。 濃い紫染めの袴をつけて。 長い髪はすべて背に流し。 「あの・・・・。今のお話のお姫さまが、あなたなんですか?」 千尋は、初めて間近に見る華麗な衣装に目をしぱしぱさせながら、尋ねる。 「ええ。そう」 小袿姿の少女が、にっこりと答える。 そして、千尋が自分の身なりに興味を示しているのに気づいて。 「よい色目でしょう?」 「はい。とっても綺麗」 「わたしの大好きだったひとが、好きだった襲(かさね)なの。羽織ってみる?」 「え!いいんですか!」 女は誰しも美しいものが好き。 千尋と少女はいつの間にか、衣装をはさんですっかり打ち解けている様子。 それを横目に、口数が少ないのは、龍の少年。 ・・・・・話にあった『輿入れ』は破談になったということだろうか。 少女のなりを見て、ちらりとハクは思う。 袴の色は、未婚・既婚を示す。 紅色の袴は、既婚、あるいは非処女であることを示すが、少女が身につけている紫色の袴はその逆の意味となる。 また、髪を肩より前に落とさない彼女の髪型も、未婚女性のもの。 既婚者は額の両横あたりから髪を前に垂らし、その髪で肩を覆うような形にしてから背中にまわして束ねるものだ。 それにしても。 この少女はいったい何が言いたいのか、どうも腑に落ちない、ハク。 日照りの折りに水を呼べる少年・・・・などというと、ただの人間ではないようにも思えるが。 あるいは龍神のひとりなのか。 しかし、該当するような知り合いはいない。 彼女の、何とも言い難い思わせぶりな態度は気にかかるが、むろん、自分にそのようなことをした記憶は、ない。 そして。 気になることが、もうひとつ。 目の前の娘の正体は、皆目掴めない。 もっと警戒してかかるべきだとは思うのだが。 なぜか、彼女に対して悪感情が湧かない。 自分が大切に思う少女と、容姿や声色が似ているためか。 ハクは、楽しそうに着物を手に話をしている二人を眺め。 まるで姉妹のようだ、と思った。 * * * * * |