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<<<夜伽ばなし 其の二 "日蝕">>> 第二夜

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「いーーーやーーーーじゃーーーーーーーーーッ!!!!」

ぴしゃりと閉め切られたふすまの向こうから聞こえる、ヒステリックな若い女の声。

「粗相は重々お詫びいたしますから、どうぞ、どうぞ、ここをお開けくださいまし!!」
ふすまの前で、平身低頭脂汗たらたらの湯婆婆。

「このような無礼者、妾(わらわ)が許すと思うてかっ! ひねりつぶしてくれるッ!」
「ちぅーーーーーーーっ!!!」
ふすまの向こうから聞こえる、坊ネズミの悲鳴。

湯婆婆、顔面蒼白。巨顔を床にすりつけて叫ぶ。
「どどどどど、どうぞ、ご勘弁を!!!!!! それはわたくしめの不肖息子にございます!!!! この老いたる母を哀れと思し召してっ!!!!!!! お願いにございます!!!」


「湯婆婆さまーーーあ!!!」
坊ネズミとともに、ふすまの奥で震えて泣き声をあげているのは小湯女のフナ。


突然声を荒げる湯婆婆。
「フナ! だいたいアンタがぼけっとしてんのが悪いんだよッ! お前なんか、お前なんか、女神さまに食われちまえ!!」
「そんなぁあぁ」


 * * *

話は半日ほど前にもどる。

「なんなんだろうね。今夜にかぎって、一人もお客が来ないなんて」
湯婆婆はぼやいていた。

こんなことは今だかつてなかった。

そりゃあ客商売だから、景気のいい時、悪い時はある。

だが。

こんなに、ぴたりとだれ一人訪れる気配がないことなど、初めてだ。

「ちぃ。仕方ないね。今夜は早仕舞いとするかね。」

やったやったと従業員達が騒ぎ始めたとき。

なんと突然、太鼓橋の向こうから、夜が明け始めた。

従業員一同ぎょっとする中、湯婆婆はすっとんきょうな声を上げる。

「早く、早くッ! 灯篭の灯を消しなッ!!!! 雨戸も全部閉めて!! 今夜は臨時休業・・・・」
魔女の声が途切れるより早く。


「油屋とか云う『えすててぃっくさろん』はここかえ?」
きん、と張りのある勝気な女の声。

「妾がはるばる来てやったというに、案内(あない)もないのか?」
つんと不機嫌に澄ましたまま、つい、と暖簾を押し上げ、ずいぃっと中へと入ってくる、巨大な黄金色の女神。
夜が明けたのではない。
女神自身の体が、金色に輝いているのだ。
その強烈な光は、女神の不快指数が相当高いことを示している。
彼女が一歩足を踏み入れたとたん、油屋中は真昼のように隈なく照らし上げられた。
あまりのことに、一同声も出ない。

身の丈は、普通の男の2、3倍はあろうか。
美しい顔をしているが、その大きさは湯婆婆とかわらない。
微笑みでもすれば、うっとりするほどの美人だろうが、何が気に入らないのか、ぶすうっとむくれたままなので、近寄りにくいったらない。
女神のあとに、数十人の侍女たちがぞろぞろぞろと従う。
みな、若く美しく、身なりからしてただ者ではないとわかる女達だ。

(やばいね。お嬢は相当機嫌が悪いと見える)
とは、露ほども顔には出さず、満面笑顔、もみ手で迎え入れる魔女。
「まぁまぁ、申し訳ございません。今宵は大御神(おおみかみ)さまをお迎えするため、従業員一同、心を砕いておりました。ささ、こちらへ」


女神は大きな眼で、じろりと室内を見渡すと、横柄に言い放った。
「ふん。噂には聞いておったが、小汚い鄙びたところじゃな。妾は長旅で疲れた。しばらく世話になるゆえ」
ずん、と聞く者の腹にこたえる声。

「ありがたき幸せにございます。むさくるしいところではございますが、どうぞ、どうぞ、ごゆるりと。これ、リン、ご案内おし」
「へぇぇぇっ、、は、はいっ」
さすがのリンも、この迫力満点のご一行に緊張でかちこちになりながら、とりあえず、最賓客用の部屋へと案内してゆく。


まぁったく、なんでまた、ウチなんだよ、と内心舌打ちしながら、小声で湯婆婆は呼ぶ。
「ハク!ハクはどこだい!」

「ここに」

「なんとかなるんだろうね、あのお嬢? やっかいごとは御免なんだよ。」

「私も間近でお会いするのは初めてですが・・・長くても数刻のご滞在かと。」

「仕方ないね。おおい、皆、とにかくめいっぱいおだてたおして、なんとかご機嫌を直して帰っていただくんだよ。いいねッ」

そのまま、ふいッと自室に引き上げてしまう、魔女。

後を任されたハクはやれやれといった表情で、従業員達にこまごまとした指示を下す。
「よいか。料理は海の幸、山の幸、まんべんなく用意しろ。雉(きじ)料理がお好みだったと聞く。味付けも色づけも、決して濃すぎぬように。脂は控え、香料は惜しみなく用いよ。湯舟には、蔵に寝かせてある神酒をぬるめに温めて、なみなみと満たすのだ。釜爺には美容と若返りに効く薬草の中で、できるだけ香りの柔らかなものを使うよう、くれぐれも念を押すように」


あの、やたら態度と身体の大きな、金色の美貌を持つ女神は、いったい、、、という一同の疑問を察し、ハクが手短に答える。

「天照大御神さまにあらせられる」


ひぃぃぃぃぃっ、と顔色を失う皆。


「決して、粗相があってはならぬ。無理も我侭も相当言われるであろうが、とにかく、一時の辛抱だ」



太陽を司る、この女神は。
神の国きっての絶大な権力の持ち主のひとり。
であるとともに、誰もが手を焼く、我侭娘としてもその名を知られていた。
この神なくては、この世はなりたたない。
よって、皆は腫れ物にでも触るかのようにちやほやと扱うのだが、
それが彼女の欠点をますます助長する。

時折、ささいな事で癇癪を起こし、
「もう、よいッ! 妾は岩戸に隠れる!」などと騒いでは、ぷいっとどこかへ姿を隠してしまうのだ。
まぁ、根は単純明快、明るい女神なので、しばらく気晴らしすれば、けろりとして戻ってくるのだが、『隠れ先』にされた所はたまらない。
大抵は神の国の高級リゾート地にある、その中でもさらに最上級クラスの温泉宿であったりするのだが、とにかく、なんとかご機嫌うるわしくお帰りいただかなくてはならない。
迎える側としては、びりびりと神経を尖らせながら、対応に追われるのだ。


その女神が。
なぜ、こんな片田舎の魔女の湯屋などへ現れたのか。
おそらく、単なる気まぐれであろうが、こんな高位の、しかも扱いにくい神を迎えたことなどない、油屋の従業員達。
その女神の名は、彼らを震え上がらせるに充分で。
万一、不興を買いでもしたら、何が起こるかわからない。
油屋が丸ごと吹っ飛ぶくらいでは、おそらく済まないであろう。






ハクの指示は的確であった。

料理も、湯も、とりあえず女神のお気に召したらしく、油屋はともかくも、なんとか無事に『岩戸』としての役割を終えようとしていた。
皆、このときほど、神の一族である少年の存在を頼もしく思ったことはない。


女神はつやつやとした頬を満足げに鏡に映しながら、言った。

「なんと鄙びたあばら家じゃと思うておったが、なかなかにそれも風情があってよいものであったぞ。雉の詰め物も美味であった。よい餅米を使うておったな。そうそう、あの湯はよう効くの。帰る前に今一度、所望じゃ。」

「ありがたきお言葉にございます。では、ただいま、湯を調えさせましょう」
ハクが、きちんと作法にかなった一礼をし、廊下に控えていた父役にその旨、指示を出す。

「湯の支度がととのいますまでのつれづれのお慰みに、このようなものはいかがでございましょうか。」
ハクが三方に載せて差し出したのは、真珠色の貝殻に塗り込められた、紅(べに)。

「下々のものたちが用いるものではございますが、このような辺鄙な場所のものも、時にはお珍しかろうかと思いまして。」

ほぉ、と女神はその紅を手に取る。
朱色のかかった、鮮やかなその紅は、女神の好む色であった。

「おそれながら、これで紅を溶きますと、美しゅうございます」

「ん。何じゃえ?それは」

「あたためました神酒と蜜を練ったものにございます。紅が色艶よく、のりまする」

おおそうか、と太陽の神は、ハクからそれらを受け取ると、侍女に鏡を取らせ、その紅を試す。

神酒でなめらかにのばされた紅は、しっとりと唇に馴染み、蜜の艶がその色を引き立て、華やかな顔立ちの女神にはよく似合った。

「おお、これはよい。気に入ったぞ。よき色じゃ。」
女神は少女のように上機嫌で鏡に見入る。

そろそろ湯殿の準備もできた頃合いだ。
ハクは居住まいを正し、女神の御前を下がった。

なかなかに気の利いた水神の童よ、と目を細める女神。


もうひといきで、この責任重大なお勤めも終わる、と油屋一同が胸をなでおろしかけたとき、事件は起こった。




 * * *



ゆったりとした湯船。

神酒と薬草を贅沢に使った、かぐわしい湯。


深々と湯船に身を浸し、小湯女たちに糠(ぬか)袋でその肌を磨かせていた女神は、突然背に奇妙な感覚を覚えた。

と、次の瞬間、地を裂くかというような女神の悲鳴と凄まじい光の炸裂が田舎の湯治宿を揺るがせた。


何事か、と従業員達が真っ青になって駆けつけると。


襷掛けした侍女たちに薙刀(なぎなた)で取り押さえられた小湯女のフナが、湯殿の隅に追い詰められてがたがたと震えていた。

その手には。
坊ネズミが握り締められていて。
小湯女と一緒になって震えていた。

一糸まとわぬ姿で、わなわなと震えながら、怒りに満ちた瞳で彼女らを見据える巨大な女神。

フナは。
糠袋と間違えて、なんと坊ネズミで女神の背を磨いてしまったのだ。
ネズミに化けることを覚えた坊は、その姿で四六時中油屋の中をちょろちょろしている。
ふっくら、ぽよぽよとした姿を、湯気にけむる湯殿の中で小湯女が糠袋と間違えたとしても、不思議ではない。

がしかし、相手が悪かった。
燃えるような瞳で自分達を睨みつけている女神は。
「きゃあ、やだ、お客様、どうもすいませんーー!」で済まされるような客ではないのだ。

恐怖のあまり、声も出せずに縮み上がっている2人。


「許されると思うでないぞ!」

恐ろしい形相で言い捨てると、女神はきびすを返し、そのままの姿でずんずんと部屋へ戻って行った。

フナと坊ネズミがその後から引っ立てられて、泣きながら従う。

取りなさなければと、慌ててその後を追おうとするハク。

とその時、ハクは全身の血が一瞬に固まるような感覚に襲われ、その場にうずくまった。

<なんという! こんな時に!>

徐々に自由がきかなくなる体。
見る見るうちに、かさかさとした土の色に変わってゆく顔。

驚いて駆け寄る蛙男達の足音を感じながら、その意識は次第に遠のいていった・・・・


 * * *

「お許しを! どうぞ、ご勘弁くださいませ!!!」
湯婆婆は床に額を摩り付けて、ふすまの向こうの怒れる女神に懇願する。

女神はもう、一言も発しようとはしなかった。
不気味な沈黙。
ただ衣擦れの音だけがさやさやと聞こえてきて。

フナと坊の泣き声が、紙一枚向こうの空間から切れ切れに漏れてくる。


魔女はくるりと振り返ると、背後で青くなっている従業員たちに怒鳴る。
「この一大事にハクは何やってんだい!? さっさと連れといでッ!」

仕事に関してはどんな時にでも冷静沈着、周囲がどんなにパニックになっていても涼しげな瞳でさらりと切り抜ける、便利な帳場頭兼苦情処理係。
この肝心なときに、どこほっつき歩いてるんだい!

湯婆婆の目がぎりぎりと血走るのを見て、従業員一同震え上がった。

「あ、あのう、、ハク様は、実はさきほどから、、アレでして、その、、、、」
汗をかきかき、掠れ声で答える父役。

「何なんだよッ!」

「その、さなぎのようになられているというか、、、、冬眠されているというか、、、」

「! アレかい!? ああーーよりによってこんな時に!」




『アレ』とは。
おこもり、とも、ころもがえ、とも言うらしい、龍の成長のワンステップ。
龍はある程度成長すると、古くなった身体を脱ぎ捨て、新しい身体に生まれ変わる。

通称、・・・・・『脱皮』。
もっとも、その言葉で呼ばれるのを、龍たちはことのほか嫌がるらしいが。

何年くらいの周期で起こるのか、それは龍によってまちまちらしい。


以前、まだハクが油屋に来てまもなくのころだったか、一度だけそれがあった。


油屋に来たばかりのハクは、いかにもこども、といった感じの幼い龍だった。
人間の外見でいうなら・・・やっと七五三参りを済ませたくらいの男の子、といったところか。
あどけない唇をぎゅっと結んで、太鼓橋を渡ってきたその小さな子に、帳場を任せるなどとんでもない、と皆は大反対したものだ。

が。
外見であなどってはならないことは、すぐに皆の知るところとなった。

見かけは幼いが。
頭が切れる。
油屋の大人たちよりはるかに的確な判断力がある。
むろん、読み書きも計算も、並ぶものはなく。
口数は多くないが、話す言葉は理路整然としていた。

『可愛げがない』。
まわりに陰口をたたかれてもくじける様子はなかった。

そんな彼が、『ころもがえ』をしたのは、帳場を預かるようになって、ふた月ほどしたころ。

突然、身体が枯草色に変色し、あれよあれよという間にとぐろを巻いた龍の姿になったかと思うと、そのまま、ぴくりとも動かなくなった。
龍の『脱皮』については皆、知識としては知っていたし、リンなど、蛇の化身が草むらでそれをするのを見たこともある。
だから誰も、さほど心配もせず、とりあえず、部屋へと運んでおいたところ、丸一日が過ぎ、深夜、闇の中から現れたのは。
現在皆が見慣れている、あのハクの姿だったのだ。




「ちぃっ。こんなときに、なんて役立たずなんだい、あの子は!」
湯婆婆が地団駄踏んでも、こればかりはどうしようもない。
回りにも、本人にも。

「あの・・」
「なんだいッ」
「大御神さまには、い、いかが取り計らえば・・・・」

そんなこと、湯婆婆にもわからない。
それでなくても、気まぐれで我侭なことで有名な太陽の女神。
ここまでつむじを曲げられてしまっては、いったいどうすればいいのか。




・・・こんな古い手が通用するかどうか、はなはだ疑問ではあったが、とりあえず、思いつく方法はひとつしかなく。

「大湯女たちを全員集めな!なるたけ派手な着物を着せて、盛大に踊らせるんだ! 楽器のできる者は、なんでもいい、持っといで。酒と料理をありったけ準備しな。いいかい!できるだけ賑やかな宴会を張るんだよ!」



笛。
太鼓。
鉦(かね)。
お囃子の声も賑々しく。
我こそは天宇受売命(あまのうずめのみこと)だとばかりに、肌も露わに踊る湯女。
あたりにぷんぷんと漂う、御馳走の匂い。酒の匂い。
湯婆婆も、真っ赤な扇を振り回し、大声を上げ、場を盛り上げるのに必死である。

どんちゃんどんちゃんどんちゃん。
どんがらがらがら。
どんちゃんどんちゃんどんちゃん。
きゃーなにすんのよ、あんた。
どんちゃんどんちゃんどんちゃん。
それ、もうひと声!

大騒ぎする群集に。
襖の中から、きん、と声がかかった。


「やかまし! 耳障りじゃッ!」


・・・・・


一瞬で灰になる油屋一同。。。



ええい、ハクの奴、こんな時にいなくてどうするんだい、と歯噛みしたとき。
魔女は、ふと妙案を思いついた。




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