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<<<夜伽ばなし 其の二 "日蝕">>> 第三夜

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下手をすると、さらにご機嫌を損ねるかもしれないが。
いちかばちかだ。

魔女は、声をひそめて襖の中に呼びかける。

「あの、大御神さま、もしよろしければ、お目にかけたいものが」

「・・・・・」

「ウチで使っております龍の子が、ただいま『おこもり』の最中でしてね」

「・・・龍のころもがえなど、珍しくもないわ」

「それはそうでございましょうが、なかなかに器量のよい、白い龍でしてねぇ。その『ころもがえ』となれば、ささやかな瑞兆でございましょう?」

「白龍か。ま、縁起のよいものではあるが・・・」
実は、女神自身も、隠れていることに少々飽きてきていたのだ。

「さきほどまで、お相手をさせておりました子龍で。古きころもを脱ぎ、新しき姿になる様をご覧になるのも、ご一興では・・・」

女神の声の調子が変わる。
「おお、あの童か!そうか、そうか。あれは良い子じゃ。どのような姿となるか、見ものじゃな。うん、連れて参れ」


しめた。
もう、この際、ハクにはひと肌(ひと皮?)もふた肌も脱いでもらおう!
即座に湯婆婆の心は決まった。
男衆にハクを運んでくるよう、大声で命じる。


・・・おいおい。アイツの『脱皮』を見世物にしようってのか?
リンが胸の中でつぶやく。
さすがに、可愛そうな気がしないでもない。

「湯婆婆様。アレを見せるのは・・どうかと思うんですけどぉ」
「非常事態なんだから、仕方ないじゃないか」
「そりゃあそうですけど・・今回は前よりちょっとばかり、やばくないすか?」
「はん。変な気を回すんじゃないよ。だいたい、神の一族ってのは、そのへん大して気にしちゃいないんだ」

そういや、そうだけど。
この女神さまにしても、そうみたいだけどさ。
でもなぁ。
オレだって、龍の脱皮を最初から最後まで見たことなんかないけど。

リンは昔見たことがある、蛇の化身の脱皮を思い出した。
たぶん、似たようなものなんだろう。

----------あれって、最後はちょっと、目のやり場に困るんだよな。


なにやらそわそわと嬉しそうな大湯女たちを横目に、狐娘はため息をついた。

ま。男だし。
ここは、ふんばってもらわなきゃな。
しっかり頼むよ、ハクサマ!

リンがぶつぶつと思案しているうちに、
畳の上に横たわった白龍が運ばれてきた。


あの眩いほどの真珠色に輝いていた身体は、すっかりと朽ち葉色に変わり。
その中で、何かがときどき、びくっ、とうごめくのが見て取れる。

「ささ、大御神さま、じきにございますよ」
湯婆婆が声を張り上げる。

す。と襖が開く。
とたんにあたり一面、黄金色の光の洪水。
だが、この光の強さは不機嫌さではなく、好奇心からきているものだ。
人を刺すような威圧感をもった光ではない。

女神は長々と寝そべって見物を決め込んでいる。

その脇息がわりにされているのは。
坊ネズミを抱いたまま、恐怖に凝り固まった、小湯女のフナ。
さぞや重たいであろう。
いや、恐ろしさのあまり、重さも感じないか。


皆が固唾を飲んで見守る中。

化石のようになっていた白龍が、ぼぉっと青白い光を放った。
が、女神の身体から放射される光があまりに強烈なため、その色合いは少々不鮮明で。

「おお、これは気がつかなんだ」
慌てたように、黄金色の光を放つのをやめる女神。

すう、とあたりは音のない闇となる。


その中で。

土色だった龍の身体は青白く光りながら中空に浮き。
次第にその形を失った。

ぽた・・・ぽたん。

水だ。

とぐろを巻いた龍の胴だと思っていたものは。
なみなみと水をたたえた深い淵となり。

たてがみだと思っていたものは。
さわさわと揺れる葦原となり。

その葦原の中から。
1つ。2つ。
小さな弱々しい光が飛び立つ。

「蛍だ・・・・」
誰かが声にする。

3つ。4つ。  5つ。6つ。
見る間にそのほのかな光は数を増し、もう、数えることはかなわない。
なよやかに点滅を繰り返しながら、鏡のような水の面を舞う。


そう。
今、彼らの目の前にあるものは。

ごてごてとした装飾にいろどられた極彩色の客間ではなく。


人里はなれた深遠な森の奥深く。
神秘の泉の淵に遊ぶ、無数の光の乱舞。
水面に映る十五夜の月。
無限の宇宙。

言葉を失い、その寂寥とした美しさに魅了される皆々。


そして。
水の中で冷たい光を湛えていた月は。
さざなみに揺られて、
少しずつ、そのかたちを変え。

皆は見た。
その月が、ゆっくりと翡翠色の瞳を開けたのを。



前にハクが『脱皮』したときは。
動かなくなった小さなハク龍を、とりあえず自室に連れていっておいたら、
深夜、ひとまわり成長した少年の姿となって、突如皆の前に現れた。
だから、油屋の面々がこのような光景を見たのは、おそらく初めてであろう。

湯婆婆とて、例外ではない。
女神の気を引く余興として、ハクにストリップでもなんでもさせてやろう、くらいの気持ちだったのだが。
そんなことはすっかり忘れて、この幽玄な世界に目を奪われていた。



女神が目を細めて見守る。

翡翠の瞳の月は、しろがね色の鱗をきらめかせ、静かに水の中からその姿を現した。

泉の中から、その全容をあきらかにした生まれたての龍は。

しばらく不思議そうに、あたりを見回して。

そして、おもむろに、すんなりとした若者の姿となった。



すう、と息を吐いて、女神は再び自らの光を放つ。
月夜の泉は吸い込まれるように消え、変わって、金色の暁が訪れる。



聡明なこの若者は。
その場の状況を理解すると、女神の前に跪(ひざまづ)いた。

「お見苦しいものを、お見せいたしました」

「苦しゅうない。なかなかに美しいものを見せてもろうた。褒美を取らせよう」

女神は、そのままの姿も美しいものだがな、と歌うように言いながら、ふくよかな白い腕から碧い玉飾りをひとつはずし、それを若者に向かって、さん、と投げる。

玉は空中でその形を変え、一揃いの衣装となって、若者の白い身体を包んだ。

「ほほ。よう似合うこと。」

「・・・・舞をご所望にあらせられるのでしょうか?」

賜ったのは、襲装束(かさねしょうぞく)。
舞人の衣装だ。
鈍色に光る鳥兜(とりかぶと)に、青摺(あおずり)の袍(ほう)。
深い緑色の、練絹(ねりぎぬ)の表袴(おもてばかま)。
腰に回した、つややかな石帯(せきたい)。
長々と後ろに引く、裾(きょ)。

「察しがよいのう。ひとさし、舞うてみよ」

「では、その前に・・・・」
ハクは、女神の肘の下に敷かれている小湯女と鼠を自由にして欲しいと願い出た。

「おお、そうじゃな。忘れておったわ」
朗らかに笑うと、2人の上から体を起こし、ほれ、と促した。

目の前で繰り広げられたことにすっかり心を奪われていた2人は、はっと我にかえり、わっとそこから飛び出す。

転がるようにして懐に飛び込んできた2人を。
ハクは軽く受け止めて。
そして、他の者たちのもとへと、そっと押し出した。

「坊〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
湯婆婆は半狂乱で我が子を抱きしめる。
フナもまた、仲間達の手荒な歓迎を受けて。

喜び合うものたちを、視界の隅に収め、ハクは女神に向き直る。
「恩赦、感謝申し上げます。舞は何をお望みでしょう」

「そうじゃなぁ・・・・『青海波(せいがいは)』を。龍のそなたには、似つかわしい」

「は。」

音楽の神が、この舞楽を人の子らに伝えたとき、これは赤い装束で2人の舞人が舞うものと、彼らは定めたらしい。
しかし、この女神にとって、そんなことはどうでもよかった。
この若者には、碧い衣装が似合うと思ったのだ。
そして、大海原のうねりと深みを、楽の音に乗せた舞が、また似合うと思ったのだ。


楽は、女神の侍女たちの中で、心得のある者たちが引き受けた。


高らかに澄み渡る笛。
不断の和声を支える笙(しょう)。

はためく袖。
ひるがえる裾(きょ)。


さざなみの、琵琶。
太鼓の加拍子(くわえびょうし)。

天を斬る白い指先。
地を鳴らす、しなやかな沓(くつ)。


しばし、湯治宿の大広間は、天上の楽殿に。

誰もが、また、ほうっと息を飲む。



舞い終わり、息を整えるハク。

さすがに、『ころもがえ』をした直後の身で、この重い衣装をまとって舞うのはきつい。
生まれたばかりの柔らかい皮膚が、まだ充分に乾いていない。
柔らかく練ってある綾絹の衣でさえ、紙やすりのように彼の肌を傷つける。
ハクの全身には、細かいかすり傷が無数についていた。


はた、とその傷に気がつく女神。
「おお、すまぬことをした。無茶をさせたの。では、埋め合わせをしようぞ。何ぞ、望みはないか」

ハクはしばらく黙っていたが、押し殺すような声で、それを告げた。

太陽の神は首を横に振った。
「それは、妾には無理じゃ。川を干上がらせる事ならできぬこともないが、その逆はのう・・・・何か他のものにいたせ」

黙り込むハク。

を見かねて、リンが突如、声を上げる。
「あのっ、すいません、女神さま。こいつ、実は・・・・!」



 * * *


それから半刻ほどのち、太陽の神は、無事、油屋を後にした。


「ほっほ。まだ童と思うておったに、人の娘のもとに通うておるとはの。やはり、龍じゃのう」
帰り際の、誤解はなはだしい言葉。
ではあったが、ハクはあえて弁明を避け。

湯屋一同、深々と頭を下げて、女神を見送ったのである。


「・・・礼を言うべきだな、リン」
「ふん。フナを助けてもらった借りを返しただけさ」
「そうか」
いけ好かない帳場頭が、少し笑ったような気がした。
頭の少し上の方から声が聞こえてくるのが、なんとなく、腹立たしい。
ほんの少し前まで、センとたいして上背、かわらなかったじゃねえか。

「無駄口聞いてねーで、とっとと行ってこいよ。湯婆婆から特別休暇もらったんだろ」
吐き捨てる、狐娘。

「ありがとう」

え。やけに素直で気持ちワルイじゃん、と思ったときには、白龍はもう、空高く舞い上がっていた。


「あーーー!!ハク様、もういなくなっちゃったのーーーー!?!?!」
何やら美味そうなにおいのする重箱を抱えて、フナが走ってくる。

せっかくお礼にと思って作ったのに、とかなんとか言う魚娘を言いくるめて。
狐の娘は大きく伸びをすると、ねぐら部屋へと引き上げていった。

* * *

※tomoさまがイメージイラストを描いてくださいました→こちらから、ぜひ!!




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