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<<<夜伽ばなし 其の二 "日蝕">>> 第四夜

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太陽の神から下賜されたものは。
リンがあのとき、自分の願いを代弁してくれたもので。
浅黄色に光る、小さな丸い玉。

それを大切に懐にしまい、龍の若者は想い人のもとへと飛んでいた。

見えてくる。
窓辺の『雨雨坊主』。
折りよく、さとさとと雨も降り始めて。

愛しい少女の枕元に静かに降り立つと。

その寝顔はどこか憂いを含んでいて。
この娘は、いつの間に、このような表情(かお)をするようになったのだろう。

起こしてよいものか、ひととき躊躇するハク。

の、唇が、薄く開き。
その名を呼んだ。



----------千尋。

がば、と起き上がる少女。

「ハク!? 怪我は?!?」

第一声が、これ。
白龍は苦笑する。

----------しばらく来れなくてすまなかった。怪我や病気ではなかったんだ。仕事が忙しくてね。

千尋の顔が歪む。みるみる歪む。どんどん歪む。
滲む、大粒の涙。
いまにも溢れんばかりのそれらを、懸命に支えようと、ぶるぶる震える下睫毛。

----------泣かないで。

とたんに堰を切る涙。幼子のように、まるまる顔全体で泣き出す少女。


ああ、また泣かせてしまった。


「心配、したんだから。すごく、しんぱ・・・・」
しゃくりあげながら、少女は両手を空に差し出す。

いつものふたりの、きまりごと。

ハクの姿は見えないから。
こうしないと、ほんとに側にいてくれているのか、不安になるから。

「? どうしたの、ハク?」
赤く摺りなした鼻と頬のまま、尋ねる。
いつもなら、すぐに、やわらかなぬくもりが自分の両手を包むのに。



----------・・・・・・・。



「・・・ハク?」



----------そなたの手に、触れてもよいか?



「どうしてそんなこと、聞くの?」
怒ったように、腕を高く差し伸べる、少女。


自分の掌(て)を見つめる、龍。
これが、彼女に不安を与えはしないか。

今まで、千尋に触れてきた手は、彼女を護るための手、安心させるための掌。
最初から、そう。
何度も手をつないだのも。肩を抱いたのも。抱きしめたのも。
千尋も本能的に理解している。
よこしまな気持ちからではない。・・・・・・少なくとも、最初のうちは。・・多分。


でも、今。
ひとまわり大きくなった自分の手は。

千尋を庇護するどころか、
少女に触れたら最後、彼女から、何かを奪い取ろうとしはしまいか。


「ハク!」
若者の畏れを感じ取れるはずもない少女の、涙を含んだ責め声。


観念したハクは、その手を取る。
力を入れすぎないよう気をつけて。

やっと安心して泣くのをやめ、彼に身体を預ける千尋。


「あれ?」

なんか、違う。
いつもはこうすると、ハクの髪がちょうどわたしの頬にあたるのだけど。
顎を乗せるのにちょうどいい高さだったはずの、華奢な肩は、どこに?

なにか大きな体温がおずおずと自分を包みこむ。
ずいぶん・・・自分が小さなもののように感じられるのは、どうして?


----------千尋。

「うん」

----------こうしているのは、嫌かい?

「ううん。全然。でも・・・・」

----------私はね、姿が変わってしまったんだ。

「あ、そうなんだ!!」
突然、納得する、千尋。

「それで、さっきからもじもじしてるのね? だいじょうぶ! 頭と尾っぽが8本になってたって、顔が牛鬼さまより怖くなってたって、全身オクサレさまみたいになってたって、ハクはハクなんだから。どんな姿になってたって、わたし平気!」

----------ええと、そういうわけではないのだけど。

「それに・・・・わたしにはハクが見えないんだから・・・・気にすることなんか、な・・・・!!!!!!」


衣擦れの音。
少しだけ強められた腕の力。
そっと、千尋の唇に押し込まれる、甘い感触。


・・・・。


・・・・。


「おいしい!何これ?飴?」

----------太陽の神様が下さったものだ。噛んで、飲み込んでごらん。

千尋は素直に、口の中に入れられた甘いものを飲み下す。


ごくん。
「きゃっ!」

一瞬、千尋の身体が金色に光る。
自分の身体から発する眩い光に、思わず目をぎゅっと閉じる少女。


----------だいじょうぶ。こっちを向いて。

----------ゆっくり目を開けてごらん。


恐る恐るまぶたを開けると。
目の前に、きらびやかな衣装をまとい、じっと自分を見つめる美しい白い顔が。
色鮮やかなかぶとのようなものが、その頭から取り払われると、きちんと結い上げた漆黒の髪、雪のような額、そして、翡翠色の瞳が現われた。
千尋は大きく目を見開き、言葉を失う。


千尋の驚きを察した若者は、すっと指を立てる。
と、その豪華な衣装は、千尋に見慣れた白い水干となり、結い上げた髪ははらりと落ちて、肩先で揺れた。


----------わたしだよ。怖がらないで。


しかし。
次に千尋の口からこぼれたことばは、彼にとって意外なもので。


「ハク!どうして、また、怪我してるの!」
少女は、自分を見下ろす若者を、叱責するかのように、声を荒げた。

----------え。




雨の神から、千尋と話す声をもらった。
太陽の神がくれたものは、自分の姿を照らし出す、『光』。

太陽の女神は、リンの申し出を聞き届け、頷いた。
「不憫よのう。せっかくの逢瀬に、姿を見せることも叶わぬとは。」

では、これをその娘に飲ませるがよい。そう言って、浅黄色の小珠を一粒、ハクに手渡した。

「ただし、妾が姿を現している昼間は、効き目はないぞ。妾の光が強すぎるゆえ」
昼に、蛍の光が見えぬのと同じこと。女神は嫣然と笑ったのだった。




目の前の少女は。
突然自分の姿が見えるようになったことに驚いたか。
見慣れない、舞装束姿に不信を抱いたか。
それとも・・・・別れた時よりも、おそらく人の姿としては、3つ、4つ年かさに見えるであろう自分に恐れをなしたか。

ハクが心配したのは、そんなところである。


が。


「待ってて。救急箱持ってくる! どこにも行ったらだめだからね!」
まだぷんぷん怒りながら、勢いよく部屋を飛び出し、ぱたぱたと階下へ降りてゆく少女。


拍子抜けする白龍。
危惧していたことごとはすべて杞憂だったらしく。
彼女が真っ先に見咎めたのは、彼の襟元や袖口などからのぞいた、無数の小さな傷。
龍にとっては、こんなものは怪我のうちに入らないのだが。
思わず、くすりと笑うハク。


「何笑ってるの! わたしが、、この間あんなにお願いしたのに・・!!」
白い救急箱を抱えた千尋が息を切らせて戻ってきた。

「脱いで。お薬つけてあげるから。」
ハクは苦笑しつつ、少女に言われるままに、水干を肩脱ぎにする。

薄い植物の葉で皮膚を傷つけた時のような小さな切り傷が、白い背中の至る所についていた。

「どうして、言う事聞けないの。無茶しないで、ってあれほど言ったでしょ!」
傷のひとつひとつに丁寧に軟膏を塗りながら、千尋は子供を叱る母のような口調で。


ハクは黙って、されるがままにしていた。

薬を塗る、指先が震えている。

指が、止まる。

背中越しに聞こえる、すすり泣き。


困った。
また、泣かせてしまった。


「・・・ごめんよ。」
泣き止まない。

「だいじょうぶだから。別に、酷い目にあったとかじゃ、ないんだから」
どうしよう。

「痛くもなんともないし、すぐ治るんだよ。ね?」
お手上げ。



ぽか!
ぽかぽかぽか!

ハクの頭を小さなげんこつが叩く。

その細い手首を掴んで。
そのまま、しなやかに身体の向きを変えると、ハクは少女を腕の中にしっかり抱き取った。




「そなたに泣かれることが、一番悲しい」




偽りも飾りもない、生(き)のままの、切ないことば。

千尋は翡翠色の瞳をじっと見据えると、まだ鼻をぐじぐじ言わせながら、ぴっ、と右手の小指を立てた。


「約束して」

「なんなりと」

「これからも、ずっと、来てくれるって」

「むろん」

「待ってるだけって、どんな気持ちかハクにはわかんないでしょ」
帰らないで、とも、連れて行って、とも言えない。
そのくらいの分別は、千尋にもある。
それができなくて辛いのは、目の前にいるひとだって同じだ。

「『きっと』じゃだめだよ。『絶対』だよ」

「うん」

「神様が約束破ったりしたらだめなんだからね」

「誓おう」


指きりげんまん。
嘘ついたら、、、、、ううん、嘘なんかつかせないからね。


やっと。
今夜初めての、千尋の笑顔。

こころが、ほどかれてゆく。

「あ!こんなとこにも、傷」
千尋は目の前の、ハクの胸の傷を見つける。
薬を手に取ろうと、少し身体をずらした。

つもりだったのだが。

あれ。

薬に、手が届かないよ。


「あの。ハク。動けないんだけど」

「薬は、もういい」

「でも」

「こうしているだけで、いい。薬より、効くから」

「・・・聞き分けのない神様。」

千尋の両の手が、自分の背に回される。
幼いが、精一杯の抱擁。
少女の甘い香りが、心と身体をいやしていく。


そなたさえ構わなければ、と前置きして、ハクはささやく。
「今宵は、少しゆっくりしてゆける。休みをもらえた」

ぱぁっと千尋の顔が明るくなる。

「ほんとう!? じゃあ、今夜はずっと、いてくれる?」
「いいよ。そなたがそうしたいなら」
「嬉しい!! わたし、今夜は眠らない!」
「疲れてしまうよ?」
「いいもん。明日学校休んじゃう!!」
「それはいけないよ」

くすくすと笑う龍の若者。
ほんとに、この娘は。
よく泣くし、よく怒るし、よく笑うし。
その、ころころと変わる表情に一喜一憂してしまう自分自身がおかしくて。


あのね、今日は日食があったんだよ、金環食っていうんだって、黒いお月様の周りにオレンジ色の光の指輪みたいなのができるんだよ、すっごくきれいだったの、あ、ハク、日食って知ってる? えっと、太陽が月の影に入っちゃうんだって、すごいでしょう?、それからね、それからね・・・・・・
千尋はもう、夢中でおしゃべりを始めている。

頷きながら微笑むハクを、はたと見て。
「あれーーーーー!? ハク、もしかして背、伸びた? あっ、あれーー????なんで、ハクの姿、見えてるのーーーーー??????????」


今ごろになって、そんなことに驚くのもどうかと思うけど。

「え?あ? いったい、、ど、、どーーーーなってるのぉーーっ?????」

我慢できなくなって、あははと、珍しく声を上げて笑う龍神。


どんぐりまなこの少女の頭をくしゃくしゃと撫でながら。


金環食か、そうだろうね。今回の天照さまのお怒りはとりわけすごかったようだから。炎が岩戸から漏れ出ていても無理はないね。

え。わかんない。何それ?

夜は長い。
ゆっくり、話してあげようね。


ゆっくりとね。。。。。



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