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<<< 折鶴 >>> 第三夜

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  湯屋にやってきた巨大なオクサレ神。

  千鶴が、彼の体内に澱(よど)んでいた大量の膿(うみ)を、抜いてやったとたん、
  湯殿は大洪水になった。

  渦巻く湯に飲み込まれながら。少女は水中で大きく目を見開く。

  その澄んだ瞳に映ったものは。
  爽快に笑う、高名な川の神であった。






主役のふたりは、急速に親しくなっていった。


周りの人間も気付いていたが、若い子どうし、別に『問題』があるわけじゃないし。
見たところ、可愛い限りで。
マスコミの餌食にされるような、不純な(?)行動をしている様子は、どう見てもなく。


二人の付き合いが、仕事にも大いにプラスになっていることが、目に見えて分かっていたから。
みな、微笑ましげに、見守っていた。


まあ、たまにカオナシ役のYuKiが。

ふたりが仲良く台本読みをしていたり、演技練習などしていると、
「あー。荻野ちゃん、『蛇のアニマルトレーナー』ってのも大変だねー」

などと、軽口をたたく程度で。



なごやかな、撮影現場だった。






が、あるとき、琥珀は、いつになく思いつめた様子の千秋に、気付いた。

「元気ないね? どうしたの」

千秋は、困りきった表情で。
「あのね。あした『オクサレ様』のシーンを撮るのよね」



ああ。そういえば。
自分は明日とあさっては出番がないから、休みだ。



「それで?」

「わたし・・・・泳げないの・・・・」

「・・・・?・・・」

「水の中で、目を開けられないの!」


もう、何日も、洗面台で、お風呂で練習してるけど、だめなの、、と。
彼女にしては珍しく、小さな声で、弱音を吐いた。


「あしただけじゃないの。水の中で目を開けるシーン、何箇所もあるのよぉぉぉ」



どうしようどうしよう、と取り乱す彼女を。

なんとか元気付けようとする、琥珀。

「あ。。ええと、誰かに代役頼んで、あとから合成してもらうとか、CG使ってなんとかしてもらうとか、できないかな?」

「いや!!!! それは、絶対、いや!!!!!」






・・・・・。
うまくいくかどうか、わからないけど。。。

「荻野さん。一緒に練習、しようか?」




* * *


「しー。静かにね」
「う、うん。。。。いいのかな、こんなこと、して・・・」
「ばれたら・・・そのとき考えよう」



ふたりは、深夜、琥珀の通う中学校に忍び込んだ。
職員室から、こっそりと室内プールの鍵を拝借して。

琥珀はともかく、千秋は顔が知れているから。
昼間に営業しているどこかのプールなどへ出かけて練習するわけにも、いかないと思って。



カーテンを全部下ろして、灯りが外にもれないようにしてから。
プールの照明を、入れた。



「おいで」

先に水に入った琥珀が、プールサイドの少女を呼ぶ。

「・・・・・・」

「だいじょうぶだから。学校のプールなんて、浅いから危なくないよ」

「・・・・・・」



千秋がべそをかいているのに気がついて。
彼は、プールサイドぎわまで泳いで行った。



「手、、、つないであげるよ」

「・・・・・でも・・・・」

「恐くないって。僕は『水の神』なんだから」
琥珀が、笑う。

「溺れそうになったら、助けてあげる」

「う、、うん・・・」


こわごわ伸ばした、少女の手を。
琥珀はいきなり力いっぱい水中に引っ張り込んだ。


「きゃーーーーーーーーーっ!!!!!」

息のできない世界に突然引き込まれて、千秋は悲鳴をあげた。






やだーー!!! こわいーー!!


       死ん
         じゃう
           よぉぉ!!!!



出口! 出口は!?




          どっ
            ちが
          琥珀くんーーー!
              上? 




                    ど
    手、離さないでーー!
       っ
                       ち
                      が
                     前 
                    ?

             
              こ
               に
      琥珀くーーん!
                
               け
               ば
         く、
                       る、
                        し、
                         い、
                          よ、
          !?                 ぉ、                                
                           お、







琥珀くーーーーーーん!!












必死でもがくからだを。

琥珀が、ぐい、と抱き上げて、水面に導いた。



げほげほと、むせながら、少年にしがみつく千秋。
「ひどい! いきなり、なんてことするのよ!!」

「でも。荻野さん、泳げていたよ?」

「え?」




言われて振り向くと。
自分はプールサイドから7、8メートルほど離れたところに立っていて。


「ね?」
にっこりと微笑んだ琥珀。



「さあ、もう一度」
とぷん、と少年はしなやかに水中に姿を消す。
今度は、手をつながない。


「やだ!おいてかないでーーー!!!!」
プールの中央に取り残された千秋。

大きく息を吸い込み、頬を空気でぱんぱんに膨らませると、
彼の後を追ってあわてて水中へ。
泳ぐ、というよりは、水の中を這う、という感じだが。





餌を頬張るリスのような顔のまま。
少年の姿を求めて。
恐る恐る目を開けると。







----------わぁ・・・・・・。







そこにたゆたうのは、世の喧騒やしがらみとは無縁の、不思議な世界。


ほの青い光が、重力を包み込み。
水の重みが、音を飲み込む。



少女の全身が、静かで清涼な異空間の中で、ゆっくりと弛緩してゆく。






あ。
いた。


琥珀くんだ。



水の中で。
手招きしている。




綺麗だな。。
琥珀くんって、水が似合うんだ・・・・

ほんとに、川の神様みたい。







少年が、手を差し伸べる。

こちらへ、おいで、と。
抱きとめてあげる、と。






水の中にゆらめく少年の顔は。
どこまでも優しげで。



その手に向かって。

千秋も、水の中をゆっくりと進む。



息苦しさは、感じない。

ただ、そこへ、たどりつきたいと。



二人の手が触れ合って。
そして、絡み合う。


透明な浮力に包まれた体と体が寄り添って。
瞳と瞳が、近くなる。


怖れも肌寒さも感じない。


そして。わからなくなる。




水に抱かれているのか。
少年に抱かれているのか。





ふたりだけの。
青い青い、秘密の世界。







・・・・そのとき。




ばっしゃーーーーん!!!!




派手な水しぶきが上がって、二人の間に、一人の男が割って入った。

「きゃぁああっ!」

「YuKiさん! なぜこんなところに!?」

琥珀が声を荒げようとしたとき。





ぱしゃ! ぱしゃぱしゃぱしゃっ!


フラッシュの閃光とともに、シャッターが切られる音がした。

ぎょっとして、そちらを振り返ると。


スクープ写真を掲載することで売上を稼いでいる写真誌の記者とおぼしき男達が。
いまいましげに舌打ちをしていた。




ざば、とずぶぬれの服のまま、YuKiがプールサイドに上がり、彼らに詰め寄る。


「何してんだよ、あんたら!」

「い、いや、取材を・・・」

「取材ってのはな、ちゃんとスジ通してもらわなきゃ、困るんだぜ?」

長身で、目元鋭いこの青年は、凄むと意外な迫力がある。
ステージで鍛えた喉から発される大声が、館内に反響して、相手を威圧する。

「は、はあ」

「いいか? こいつらは、別に二人っきりでやばいことしてたワケじゃない。俺たちみんなで、演技の練習してたんだ。学校の許可も取ってある」

「え?あ、でも・・・」

「ぁああ?? なんか文句あっかぁ?! なんなら、出るトコ出ようか?!」

彼の剣幕に気押された記者たちは、へへ、どうも、お邪魔しました、などと愛想笑いを浮かべながら、そそくさとその場から逃げ去った。






きまりわるそうにしている、二人に。

「安心しな。『二人っきりの写真』は撮れなかったはずだし。雑誌に載っても、別にどってことないさ」

「あの・・・・学校の許可、、、って・・・」
千秋が不安そうに尋ねると、彼は大笑いした。

「あははー。あんなもん、ハッタリ。明日にでも監督に手まわしてもらおうぜ?」



そして、琥珀に向かい。
「でもな。てめーは、こってり絞られな」

「・・・・わかっています。すみませんでした」

「男だろ。ちゃんと彼女、護れ」

「はい・・・」


悔しいが、助けられたのだ。文句は言えない。

千秋が何か言おうとしたが、琥珀は、それを目で止めた。
「ありがとうございました。・・・お世話をかけて、すみません」



「・・・あの、ほんとうに、ありがとうございました。」
千秋も、言いかけた言葉を飲み込んで、ぺこりと頭を下げる。


とたんに、彼は愛好を崩して。
「いいっていいって。悪かったな〜『ストーカー』しちまってさ〜。ま、千秋ちゃんの『生水着』姿見れて、嬉しかったけどさーー」

「は、はい???」

「送ってやるよ。大騒ぎになる前に引き上げねーと、マジやばいぜ」






たまたま学校に置いてあった琥珀の予備の体操服を着て。
YuKiは静かにアクセルを踏んだ。

滑らかな発進。
彼のハンドル捌きは、意外に穏やかなもので。





ふたりは、後部座席に並んでちょこんと座り。

騒動の場を後にした。







琥珀の瞳が固いままなので。
千秋は少し悲しくなって。


彼の手を、そっと握った。


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