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<<< 折鶴 >>> 第四夜
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集中、しなきゃ。
せっかく水の中で目を開けられるように、なったんだから。
きちんと演技しないと、琥珀くんに、悪い。
・・・・・・その一心で。
『オクサレ様に成り果てていた高名な川の神を癒す』シーンを演じ終えた、千秋。
でも。
「おつかれさまー! 荻野ちゃん、よかったよー」
皆に言われても。
「ありがとうございます」
笑顔でお礼も言えるのだけれど。
・・・・・・・・・・・。
琥珀くん、今日お休みの日だもの。
仕方ない、よね。
一番見て欲しかったひとは。
「がんばったね」と最初に言って欲しかったひとは。
そこには、いなくて。
「ああ、荻野ちゃん。ちょっと。」
考えるともなく、ぼーっと物想いにふけっていると、宮崎監督に声を掛けられた。
「あ、はい。何でしょう」
「今日のラストのシーン」
「・・・・・『湯に飲み込まれたまま、大きく目を見開いて、"オクサレ様"の真の姿を見て驚く』ところですか」
「そうそう。あれはなかなかよかったよ。『千鶴』が見ていたものはなんだったのか、よく理解して演っていたね」
あのとき『千鶴』が『見て』いたものは、2つあると、千秋は考えていた。
ひとつは、"オクサレ様"の、本来の姿。
初めて見た、崇高な川の神。
『川の神』の白く壮麗な姿に純粋に驚いた。
そしてもうひとつは。
自分が懸命に成し遂げた『仕事』の『成果』だ。
汚れ、傷付き、醜く腐敗していた姿の中から蘇った、龍神。
その美しさは、すなわち、『千鶴』がやり遂げた努力の『結果』なのだ。
しかも、目に見える形となって現われた『結果』。
彼女は、おそらく、生まれて初めて味わう爽快な達成感に、心洗われる思いで目の前の川の神を見つめていたのだろう。
「ありがとうございます」
「・・・・ただ・・・」
「はい・・?」
今日のシーンは、あれでいいんだけどね。と、監督は前置きして、話し始めた。
明日は、白龍の背に乗った状態での、水中シーンの撮影がある。
今日と同じでは、いけないよ、と。
「・・・・はい。」
やっぱり。
監督はお見通しなのだ。
自分が、明日の演技をきちんとできるかどうか、自信がないことを。。。
水中の演技ができるようになろうと、夕べはがんばった。
琥珀くんに手伝ってもらって。
そして。初めて水の中の世界を体験した。
思っていたよりもずっと美しいものだったのだと知って、驚いた。
ちょっと、感動した。
あのときの気持ちを。
そのまま『初めて川の神の姿を見た千鶴』の驚きに重ね合わせ。
それから、苦手だった「水」を使いこなす手応えをつかんで。
ひとつのことを成し遂げたときの、満足感も、味わった。
あのときの感覚を。
そのまま『千鶴が味わった達成感』にスライドさせたのだ。自分は。
宮崎監督は、続ける。
「荻野ちゃん。明日のは、今日のとは全然違うからね。今日とよく似た状況での撮影になるけど。同じ演技じゃ、困るよ。特に・・・『沼の底』から帰ってくるところに挿入される水中シーンはね。」
「・・・はい」
沼の底の魔女のところへ迎えにきてくれた白龍の背に乗って、大空を飛翔するシーン。
そこに、幼いころ川の中で白龍の背に乗った記憶がオーバーラップする。
物語のかなめとなる、大事な場面だ。
「ただ、『驚いた』のではないよ。」
「『驚いた』んじゃなくて、『思い出した』のでしょう?」
「近いけどね。今日のシーンは、『初めて知ったこと』への『驚き』だ。明日は、その反対。『思い出したこと』への『驚き』を表現して欲しい」
「・・・・・・はあ・・・・?」
「『千鶴』は何を思い出したのだと、思う?」
「小さい時に、川で溺れそうになったことでしょう?」
「もちろん、それもあるけれど」
「それから、ええと・・・・その川の、名前」
「他には?」
え。他に・・・?
龍の背で、空を泳ぎながら・・・・・水の記憶をたぐりよせて・・・・
『千鶴』は。いったい『何』を思い出したというのだろう・・・・。
「大切なシーンなんだ。今晩よく、考えておいで。」
「はい、監督・・・。」
その夜、千秋はなかなか眠れなかった。
何度台本を読んでも、よくわからない。
『千鶴』は、何を思い出したというのだろう。
それがわからないと・・どんな演技をしたらよいのか、わからない・・・・。
いったい・・何を・・・・。
・・・・だめかな。こんなことまで頼っちゃ。
もう、かなり夜遅いし。迷惑だよね。。。
・・・嫌われちゃうかな。。。。
でも、、。
千秋は、すがるような思いで。
受話器を取った。
* * * * * *
「コウちゃんーーー電話よーーーー」
琥珀は、昼食後うとうととしていたところを、母親に起こされた。
映画の撮影は、夏休みを利用して進められている。
ほとんど毎日が撮影でつぶれてしまうのだが、昨日と今日は久しぶりに休みだったので、たまったままの夏休みの課題を集中的に片付けていた。
生真面目な彼は、何かをやり始めるときりがつくまで、続けてしまう。
夕べはそれでかなり夜更かしをした。
・・・・・というよりも。
結果的にYuKiに収めてもらうことになってしまった、おとといの一件が。
なんとも後味悪くて。
・・・・・・自分は、まだまだ『子供』だ・・・・
誰にもぶつけるわけにいかない、もやもやした思いが、ぬぐってもぬぐってもまとわりつくので。
何かに没頭することで、気を紛らわしたかった、というところが、本心だろうか。
「あ。今、出る」
その『コウちゃん』って呼び方、いいかげんやめてくれよな、などと母親にぶつぶつ言いながら階下に。
電話口に出ると。
『あー。琥珀ー? おまえ今、時間ある?』
今、一番聞きたくなかった声。
「YuKiさん・・・・なんですか。あまり暇じゃないんですけど。」
『んんー。実はさ、荻野ちゃんが・・・』
「!! どうかしたんですか、彼女」
思わず声が上ずったのを自分で感じて、少々慌てる。
『ちょっと煮詰まっちゃっててさ。』
「水中シーン・・・ですか」
『まぁな。』
「昨日は、うまくいったんじゃなかったんですか?」
彼女はゆうべ遅く、電話をくれた。
オクサレ様のシーンの撮影は、無事済んだから、と。
丁寧に礼を言っていた。
ただ・・・・。
そういえば、撮影がうまくいった割には、少々元気がなかったような・・・・。
しまった。
何かあったのか。
夕べの自分は、決して彼女に優しくはなかった。
自分の気持ちの整理がついていなかったから。
そう、よかったね、と事務的に応えただけで電話を切ってしまった。
彼女の気持ちを推し量ってやる余裕が、なかった。
何か他に言いたいことが、聞いてほしいことが、あったのか。
ああ、なんて自分は未熟なのだろう。
つくづくと自己嫌悪に陥る琥珀にお構いなく、相手は続ける。
『いや、昨日はバッチリだったんだよね。水の中でぱっちり開けたお目目がそりゃもう、かわいかったのなんの〜〜』
「・・・」
『でもさぁ。今日は、ぜんぜんOK出ねーんだよ。朝からずーーーとやってるのにさ』
「朝から?!」
『ありゃ、まるでシゴキだぜ。可愛そうに。監督って、手加減とか妥協とかしないから』
「今日の水中撮影はは確か、、、龍の背に乗るんでしたよね」
『そ。今、やっとこさ休憩。でもなぁ。飯も食べたくないみたいだぜ?』
「そんな・・・・」
『おまえ、ちょっと出て来れねーか? いや、俺が"慰めて"やりたいとこなんだけどさ』
「行きます」
受話器を置くなり、琥珀は蝉時雨の街へ飛び出した。
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