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<<< 立春 >>> 第十一夜
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-------------ありがとう、いつも。・・・ほんとに、優しいんだね。--------------
違う!!
礼を、言われるなど。
優しいと、言われるなど。
ハクの眉が、震える。
こころが、軋(きし)む。
謝らねばならないことを、自分はしてしまったというのに。
どうして、この少女は、いつも、こんなにまっすぐなのだ。
泣かせてしまったのに。
どうして、そんなに、しなやかで、強いのだ。
純粋なまごころを、うがった目でしか見られなかった自分の汚れた心に。
どうして、これほどまでに、清らかなぬくもりを、そそぎこんでくれようとするのか。
こんなにも、惜しげなく。
寛く。深く。
梅の芳香と少女のことばに。
心が鷲掴みにされる。
鷲掴みにされた心に。
体が押し流される。
押し流されて。
もう、あらがえない。
自制も、逡巡も。迷いも、畏れも。
意識のかなたに、ついえてゆき。
龍神の意識の中に残ったものは。
狂おしいまでの熱情と恋慕。
鬼の心を染め抜いたのは。
哀しいまでの一途な憧憬。
重いよう、と夜具の上の少女が言うまで。
少しゆるめて、と胸の中の少女が言うまで。
自分がどれほどの力を入れていたのかさえ、彼は気がつかなかった。
「あ・・・、すまない」
「・・・・ううん。」
慌てて組み敷く身をおこした時。
ざぁ・・・っ。
一陣の氷風が舞い込み、寝室に散り敷いていた香り高いはなびらを、一斉に吹き上げた。
とりどりの早春の花は、吹き寄せられた氷片と絡み合い。
ちりちりと静謐(せいひつ)な光を放つ。
ああ、窓が、開いたままだったのか。
自分は寒さをあまり苦に感じないが、人の子にとって、ここは寒すぎる。
我に返った少年は、つい、と立ち上がり、
半開きになっていた窓を、閉めて。
千尋を振り返った。
・・?
「・・・・・千尋??」
少女は、しとねの上にはおらず。
襖の前にきちんと両手をついて、かしこまっていた。
部屋中に舞いあふれ、渦を巻いていた花弁が、力を失ってしずしずと散り降ちてくる。
その髪に、肩に、首元に。
花吹雪の中の少女が。
おもてを上げた。
迷いのない、澄んだ瞳。
梅花の精のようだ、と、ハクは瞬間、見惚れる。
その少女の唇が柔らかく開かれ。
・・・そこから流れるようにこぼれた言葉が、彼を、髪のしんまで凍らせた。・・・
「すみませんでした、ハク様。ご迷惑を、おかけして。わたし、部屋にもどります。」
返すことばが、みつからない。
明らかに、自分との間に距離を取ろうとしている、その声音に。
千尋は、ちょっと微笑んで。
ちょこんと頭を下げると、きちんと畳に膝をついた姿勢のまま、
静かに彼に背を向けて、襖に手を伸ばす。
行ってしまう・・・ 千尋・・・・が・・
自分の目の前、から・・・・・
花の残り香だけを置き土産に、
ふきぬけてゆく早春の柔風のように。
しゅんっ。
一筋の白い風のようなものが、千尋の耳元をかすめた。
花をまとわせた少女の髪が、一瞬ふわりと舞い上がり、そして、また肩に落ちる。
「!?」
風かと思ったものは。
千尋をほんの一瞬追い抜いて、背中越しに伸ばされた、ハクの手。
彼女の目の前にある引き手を、ぴたと押さえたまま、動かず。
それは。
不器用な龍の少年の。
・・・・・無言の、意思表示。