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<<< 立春 >>> 第九夜

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どうしよう。


なんとかわいそうなことを、してしまったのか。



自分が無知だったために。
泣かせてしまった。


勘違いだったとはいえ。
自分の言動は。
少女の純粋な気持ちを侮辱するものだ。


どう、つぐなえば、よいのだろう。



白龍は、自分を責め苛みながら。
夜更けの空を飛んでいた。

誤解とわだかまりをほぐすことばのひとつも、見つからぬまま。
ただ、会いたい、今すぐ会わなければ、と、ひたすらに。




氷の雨が、身を刺す。
こころを、刺す。

風花が、鬣(たてがみ)を凍らせる。
胸のしんまで、凍らせる。



どこにいるのだろう。
千尋は。




女部屋には、いなかった。
畜舎も覗いてみた。
坪庭の花々のかげも、くまなく探した。

湯屋の中には、いないのか。


でも、一人で遠くへ行けるわけはないし・・・・・・。



考えられる限りの場所を探し回って、見つからなくて。




今宵は、冷える。
雪と雨の中、寒さで動けなくなっているのでは。



・・・・・・・・万一、そんなことになったら。
自分は生きていられるだろうか。



しのびよる不吉な思いを強引に意識の外に追いやって。
白い息を吐きながら、暗い夜のとばりに目を凝らす。



ひょっとして、『川』の方だろうか。





白龍は、軽く上空を旋回し、そのまま方向転換して。

この不思議の世界と人間の世界とのはざまにある場所へと向かう。




『川』は。本来ならば。
夜はとうとうと水をたたえ、『こちら』と『あちら』の行き来を固く拒むもの。


しかし。
今夜の川面には、薄く光る氷が一面に張りつめており。
身の軽い人の子なら、渡ってゆけそうなおももちであった。


それが、彼を不安にした。
まさかとは、思うが・・・。



・・・・・ここより先へは、自分は一歩も進んではならない。



でも。
もし、この先に、千尋がいるのだとしたら?

行く道も帰る道も見失って、途方にくれていたら?

万一、水面上で氷が割れて、川に飲み込まれでもしたら?



龍は身震いをした。




・・・・・・行こう。



足元に、一陣の風を起こす。
その風に全身をゆだね。

ぐい、と川面を睨みすえて。

禁じられた領域へ。
じりじりと踏み込む体勢を取る。


その場に溢れる、ありとあらゆる『気』が、一斉に彼を阻む。
お前は、こちらに来てはいけない、と。


だが、白い龍がその警告を無視する気でいることは、火を見るよりも明らかで。


川面を渡る風が、いちどきに千の刃となり、若い龍に牙を剥いた。
掟を破ろうとするものへの、容赦ない殺気。

先陣を切ったひとつの刃が、びっ、と音を立てて龍の頬をかすめた。
これが最後通牒だ、と。
鮮血が頬を伝ったが、白龍はそれをぬぐおうともしなかった。




・・・・・これらを蹴散らして、自分は向こうへ行かなければ。


咆哮とともに、その無謀な試みを実行しようとしたとき。






---------------「鬼は、内」---------------







冷雨にかき消されそうな、はかないことひらが彼を捕らえた。





        ---------------「鬼は、内」---------------



龍は、動きを止めた。

空耳か。





---------------「鬼は、内」



いや。たしかに聞こえる。
氷風が運んだ、かすかな声。



どこだ?
どこから、聞こえる?


心の耳を、研ぎ澄ます。



そういえば。
湯屋の中で、まだ一箇所だけ、探していないところがある。



ひょっとして、あそこに・・・・?



白龍は、くい、と方向転換をすると。
白銀の鱗をきらめかせ。
冷たくぬれそぼる身体のまま、湯屋へと全速力で引き返す。





やがて。
龍の姿が完全に見えなくなってから。
川面はふたたび、鈍鉄のような静寂を取り戻した。



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