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<<<夜伽ばなし 其の一 "竜宮">>> 第五夜
外伝 <雨の神と白い龍>
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傷が癒えたら「時還し」をよろしく頼むよ。
それが済んだら、あのあたりの土地の雨の神のところへ行っといで。
話はつけといてやるからね。
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魔女は「人の子と言葉を交わせるよう、取り計らってやる」という条件と引き換えに。
自分の最も大切な鱗を剥ぎ取った。
辛うじて体を動かせるまでに回復したハクは、千尋に『時還し』を済ませ、いわれたとおり、雨の神に会いに行った。
雨の神は数あまたいるが。
彼に一番近しい雨の神といえば。
それは一人しかいなかった。
----------お元気であろうか。
懐かしさが満ちてくる。
天高く、そのすまいをおとなうと。
その神は、ハクの遠い記憶の中にあるのと同じ姿で。
伏し目がちな微笑を浮かべて出迎えてくれた。
透けて見えるかのような、はかない姿の女神。
羽衣は蜻蛉の羽のようで。
最後に会ったときと変わらない、少女のような、なよやかな神だった。
「お久しゅうございます。叔母上」
雨の神はいとおしげに龍の子を見つめる。
「・・・琥珀や・・・・息災であったか?」
「はい。叔母上もお変わりなく・・」
雨の女神は、目を潤ませて龍の少年の手を取る。
「さぞや、苦労しておるのであろうな。よりしろを失のうた悲しみは、よう分かる・・」
ほろほろと涙を流す女神は、いつの間にか薄紅色の龍の姿となっていた。
薄紅色の龍は、ハクの母龍の妹。
もとは小さな湖の主であった。
しかし、・・・ハクと同様、人の手によって、大切な湖を失った龍神であった・・・
このような運命をたどる悲しい神々は、昔からある。
湖とともに消えゆくばかりであったところを、雷神に見初められ、その何番目かの妻となり、雨をつかさどるようになったのだ。
豪雨、雷雨、梅雨、五月雨、花雨、長雨、時雨、狐雨、村雨。。。
日の元の国には、様々な雨が降る。
雷神は数多くの妻達に、それぞれの雨を任せていた。
薄紅の龍が司ったのは、霧雨。涙の雨。
雨を司る神となってからも、薄紅の龍は時折、ひとりぼっちの小さな白龍に会いに来てくれた。
琥珀川を失ったあの時。
この女神は、ハクに、どこぞの力ある神の稚児にでもならないか、と真剣に説いた。
そなたの器量なら、それは可能だと。
自分と同じような身の上になるのは不憫だが、他に生きるすべはなかろうと思ったのである。
はかなく消えてしまうよりは。夫の雷神に口添えを頼んでやるから、と。
だが、少年は女龍とは違う道を選んだ。
我が命を運命と諦めて、川とともに消え逝くのでもなく。
力ある神の庇護にすがるでもなく。
自分の力で、川を取り戻すと。
別れの朝、薄紅の龍は、トンネルの入り口まで送ってくれた。
涙にくれながら、その白く痛々しい姿が闇の中に見えなくなるまで、ずうっと手を振り続けていた・・・
その叔母龍とは、何年ぶりかの再会。
それに先駆けて、彼女は甥の暮らす世界で力を持つという魔女からの文を受け取っていた。
「そなたに想い人が現れたとはなぁ・・・」
ふわあっと目のふちを紅く染める白い龍。
「それも、人の娘とは・・血は争えぬの」
長い睫毛が美しい翳を落とす。
「わたくしの雨音を貸せばよいのであろう。構わぬとも」
「しかし、雷神殿はなんと申されましょう」
雨の神は、つぅと、甥を抱き寄せると、その胸元にすっと手を添えた。
抉るような痛みが傷口に走り、思わずハクが顔をしかめる。
「よう、耐えたのう。・・・よう、生きておったのう・・・・」
いっとき、ハクは母龍に抱かれているかのような錯覚に酔う。
女神は若い龍を腕の中から離し、心配いらぬ、とささやいた。
「逆鱗を剥がされてでも、との願い、雷神殿は聞き入れて下されたぞ」
女神の手の中には、銭婆に引き剥がされた真珠色の鱗があった。
大きく目を見開くハク。
「ただし、人の子と言葉を交わせるのは、わたくしが雨を降らせている晩だけじゃ。わかっておるな」
黙って深々と頭を下げる少年。
「さ、今宵は久々の逢瀬じゃ。管弦など、どうじゃ」
女神は侍女たちに、琴、琵琶など持たせると、自身は横笛を手に取り、唇に添わせた。
横笛・・・・正しくは、『龍笛(りゅうてき)』。
龍の遠音を宿した笛。
「琥珀。そなたも合わせよ。」
霧雨の神の吹き澄ました黄鐘(おうしき)の律に合わせ、侍女たちは弦をととのえる。
ゆるゆると進む調弦。
こうばしく焚きしめられた、みやびな空薫物(からだきもの)は、苛葉(かよう)の香り。
黄鐘の調に弦がととのった頃合いを見計らい、龍の少年も懐から綾錦の笛袋を取り出す。
高く。低く。
白い龍が追う。薄紅の龍が凪ぐ。
絡み合う、透明な遠音。
龍の二神が奏でる笛の音は切なく、清らかで。
言葉よりもなつかしく、闇夜に吸いこまれてゆくのだった・・・
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