鐘楼(しょうろう)流し (10)
碁盤の目のように張り巡らされた大小の路地に、行き交う人々の声も引ききらぬ賑わい華やかな、とある門前町。 天ぷらで有名な「八坂」、割烹料理の「しま竹」、うなぎの「廣正」といった老舗や、ういろうが絶品だと評判の「志ばん」、舶来菓子を扱う「文鹿堂」、呉服の「船橋」「岩田」、両替商の「大菱屋」などの大店(おおだな)が居を構える大通りが表山門の正面に。 その側手(そばて)の通りに入って行くと、こちらは少し若い客層を意識した新しい店がひしめく横丁。 流行りの小物や、ちょっとした土産物などを気軽に求められる店々が並び、賑やかな売り込みの声がぽんぽん飛び交うあたり、重厚な格式を感じさせる正面大通りの雰囲気とはまた一味違った活気に溢れている。 さらにその裏手へ分け入ると、そこには公認・非公認入り混じった遊郭街が広がっている。 灯かりが入るにはやや早い昼見世の刻限であるため、こちらはまだ人少なで、遊女たちも一応の拵(こしら)えは済ませているものの、どことなく気合の入らぬ気だるい風情で三味(しゃみ)を爪弾いたり絵を書いたり。 ※昼見世:遊郭の、午後2時〜4時ごろの昼の営業。夜ほどの賑わいは
なく、遊女たちものんびりお店に出ていたそうです。 ――――約束の刻限にはまだ時間があるな。 着飾った人びとの群れがさんざめく往来に降り立った、魔女の湯屋の帳場頭。 余裕をみて朝早くに出立したため、日が落ちる前に目的の街についた。 中途半端にあいてしまった時間をどこかでつぶそうと思うが、老舗が軒を並べる大通りは冷やかしでふらりと足を向けられる雰囲気ではなく。 また、遊里の昼見世をぶらついて馴染みの遊女に渡りをつけておくのを常とするような性分でもなく。 となると消去法で、横丁に広がる若向けの繁華街くらいしか、差しあたって出向く場所がない。 ハクは、手近な茶飲み処か古本屋でも探そうと、適当な通りに見当をつけて歩き出した。 流行の衣装で街を闊歩する若者たちが多く行き来する通りを歩いていると、それとなくあちこちからの視線を感じる。 おそらく自分などは田舎者じみて浮いて見えるのだろうなどと思いながら、それを特に気にするでもなく、そのまま足を進める。 正確に言うと、彼の背筋伸ばした清潔感ある雰囲気と端正な容姿が、いまどきの歌舞伎者(かぶきもの)たちが氾濫する街中では、逆に人目を引いたまでのことなのだが。 ※歌舞伎者:世間一般とは一風変わった、派手な装いをした者。
さて、この日の彼の出張の目的は買い付けの商談------忌憚のない言い方をすれば『接待』である。 今回は接待『される』側であり、相手先はそれなりに名の知れた料亭でのふるまいを準備しているらしかった。 話はほとんど手紙のやりとりで済んでおり、あとは判を押すばかりであったので、ハクの本音を言えば用件だけ済ませればさっさと帰りたいところであったのだが、そうもいかない。 そもそも『接待』はするのもされるのも苦手なくちだ。 どうやら先方は、宿泊に際する『よけいな』手配までもろもろと気を利かせ整えているようで、いよいよ気が重かった。 「いらっしゃいまし。贈り物でもお探しです?」 愛想良く声をかけられて、ハクは振り返った。 別にさしたる目的もなかったのだが、何の気なしに小さな店の前で足を止めていたらしい。 声をかけてきた店の売り子は、見たところ千尋と同じくらいの年恰好の少女だった。 「女の方へですか? よろしかったらお見立ていたしますよ」 「あ、いや、なんとなく眺めていただけで・・・その、よい土産でもあるかと」 「ああ! きっと、いいひとが帰りをお待ちなんですねっ?? そうでしょう?」 「そういうわけでは・・・」 「おまかせくださいな!! うちは見た目小さい店ですけど、若い子に人気の品ならたぁんと揃えておりますから!!」 人懐っこい笑顔と甲高い声で、ぴいちくぱあちくと休みなく話し続けているところを見ると、本性は小鳥かなにかだろうか。 白地に薄い小豆色の矢絣(やがすり)の着物にゆったりしたえび茶の袴。 足元は濃茶の洋風編み上げ靴。 髪は耳から上を頭頂部で膨らませて高く結い上げ、結び目を大きなしゅすのりぼんで飾って、残りを肩に垂らしている。 ハクは、『向こう』の世界で少し前の女学生たちが「大正ろまん」とか称して、このような着物をよく着ていたなと思った。 ※「矢絣」の例はこちら^^
透かし刺繍のハンケチーフだの、黒地に鮮やかな撫子模様を染め出したモダンなちりめんの小袋だのを、立て板に水状態で歌うように楽しげに売り込む娘を見ながら、ハクは尋ねた。 「その・・・女の物というのはよくわからないのだが、近頃はそなたのような装いが流行りなのか?」 「はい? ああ、そうでございますよ。なかなかにハイカラでしょう? 一揃いまとめてお求めになる方もいらっしゃいます」 娘は嬉々として彼の袖を引き、店の奥へと引っ張ってゆく。 そこには彼女が身に着けているような着物が何枚も揃えられており、見本として等身大の蝋人形にも着せ付けて展示してあった。 そういえば油屋の娘たちも、普段は湯屋の水干で過ごしているが、休日に遊びに出かける時などはこのような格好をする者が見られるようになったな、とハクは思い起こした。 千尋に着せたら人形のように愛らしいだろう、とも思った。 価格も、安くはないが、とりあえず持ち合わせで足りる額だ。 が、その着物のひとつに手を伸ばしかけて、―――――彼女が最近、休みでも仕事でも関係なく、湯屋の仕事着一枚でずっと通していることを彼は思い出した。 履物すら、先輩のお下がりをゆずってもらって、自分で修繕して履いている。 帳場頭である自分は、彼女の給料のほとんどは両親の薬代として引き落とされ、手元にはろくに残っていないだろうことも把握している。 身を飾れぬというのは、若い娘にとって辛かろう。 着飾った仲間の中で、ひとり擦り切れたお仕着せで我慢する生活は、それはそれは寂しいに違いない。 そんな中、それを見かねてと言わんばかりに、男から着物を贈られるというのは・・・・・嬉しいどころか、逆にどれほどみじめな思いをすることだろう。 そこまで思い至り・・・龍の青年は手に取りかけた着物を棚に戻した。 「あら、お気に召したものがございませんでした? これなどよく出ていて、昨日入ったばかりなのに、もうあと一枚しか残ってないんですよ」 「いや、・・・持ち合わせが少なくてね」 「では、こちらにかわいらしい小物もたくさん揃えておりますよ。ほら、この髪飾りなどいかがです? 最近評判になり出したばかりの新しい工房から仕入れまして、まだ数が出回ってない分、掘り出し物ですよ」 売り子がにこにこと勧めてきたのは、つややかな七宝焼きの髪留めだった。 豆科の植物を題材にとったもので、ちょうど親指と人差し指を丸めて作ったくらいの大きさの円に若緑色のつるがくるりと巻いており、そこによいあんばいで小さな桃色の花がいくつか配されている意匠で。 牡丹や薔薇ほどの華やかさはないものの、清楚なたたずまいが微笑ましい。 揺れる結い上げ髪のてっぺんに飾ったら、さぞ愛らしいことだろう。 耳元に挿しても、きっと映えるにちがいない。 思わず手にとってしげしげと眺めていると、えび茶袴の娘はすかさず押した。 「よい仕上がりでしょう?? きっとお相手の方も喜ばれますよ!」 「・・・・そうかな」 「そうですとも!! では、すぐにお包みいたしましょうね、らっぴんぐは赤系と青系、どちらがよろしいです?」 青、と言いかけて、龍の青年はその言葉を飲み込んだ。 ―――――買って帰っても。千尋はどのみち受け取ってはくれまい・・・
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