鐘楼(しょうろう)流し (16) 








「無茶言うなよ。『あれ』はな、そう簡単に手に入るシロモノじゃねえんだ」

「そこをなんとか・・・なんとか、お願いできませんか」





湯屋営業中、男たちが交代で休憩を取るのによく利用する、調理場裏手の外階段。

腕組みして顔をしかめる板場の新入り蜥蜴(とかげ)の前に、懸命に頭を下げる人間の小湯女がいた。




「この間もらった薬草、もうあと少ししかなくて・・・・」

「そんな事言われてもなぁ。俺だって結構やばいスジ通してやっとあれだけ調達したんだぜ?」




オオトから渡された薬草の効き目は抜群だった。


ほんのひとかけらを与えただけで、千尋の両親はそれまでの苦痛が嘘だったかのように落ち着いた。


ただしそれは、不自然なほどのおとなしさとも、一種気味が悪いような穏やかさともいえるものではあったが。

眠っている時間がやけに長く、時折目を覚ましては、ぼんやりと焦点のさだまらぬ目であらぬ方向をいつまでも見ていたり、半分うとうとしながらぴくぴく尻尾を振り、ふぐふぐと上機嫌な鼻声を上げたり。


それでも、苦しみにのたうちまわっている姿をまのあたりにしているよりはましで、千尋は複雑な思いを抱きつつも、胸をなでおろしたのだった。




しかし、数日たつと、突然、彼らの様子は一変した。


以前にもまして激しい苦痛に襲われ、狂ったように暴れ転げ回り、所構わず激しい嘔吐と下痢を繰り返し、とても手に負える状態ではなく。


千尋はやむなく、また、あの薬草を与えた。

するとまた、それまでの苦しみはまたたくまに解消し、彼らは再び夢見心地の濁睡状態に落ちていくのである。



それからは、薬を与えれば、眠ったり朦朧とした半覚醒状態だったりする時間がとろとろ続き、薬が切れれば激痛に暴れ苦しみ目も当てられない、ということの繰り返しになった。


しかも、最初は一度薬を服用すれば数日間容態が安定していたのに、やがて薬は1日おきに、そして毎日になり、・・・最近では朝夕2度与えなければどうにもおさまらなくなってきた。

一回に与える量も次第に増え、もう、手元に残る薬草は残り少ない。






渋面で頭をぽりぽり掻く男に、千尋はさらに懇願した。


「お願いします。手に入りにくいなら、薬草を譲ってくれたひとを紹介してくれるだけでもいいですから」

「じょ、冗談じゃねぇ」



オオトは慌ててかぶりを振った。



「ヤバいスジ、って言ったろうが。おまえみたいな女がのこのこ出ていったらどんな目に遭うと思ってんだ?」

「でも・・・」

「だめだだめだ。この話はなし。『ハク様』に殺されちまう」

「---------私がどうかしたのか?」



突然割って入った冷ややかな声に、二人はぎくりと振り返った。




「ハ、ハ、ハク、様・・・・っっ!!!!」

「何の話だ?」

「いいいいいいいえっ! た、ただの世間話で! ああもう休憩時間終わりっすね、それじゃあ俺はっ」




言うが早いか、蜥蜴男は飛ぶようにその場から逃げ出す。




あとに取り残され気まずげにうなだれている人間の少女に、龍の青年は不機嫌さを隠そうともせず、言い放った。



「そなたとオオトが親しく世間話をするような間柄とは知らなかった」

「!」



そのままくるりと背を向けた青年に、千尋はあわてて取りすがった。



「ち!ちがうの!誤解しないで!あの・・・・」

「誤解? 私が何をどう誤解していると?」

「・・・・あ、ええと、、、、その、、、、、」



彼がよしとしないものを両親に与えているとは、言えない。




「『世間話』をしていただけなのだろう? あの者と」




少女の指が彼の衣から力なく落ちる。



「・・・・はい」



振り返りもせず立ち去ってゆく龍の青年の後姿を、千尋は途方に暮れて見送るしかなかった。









* * * * * * * * * *










・・・・困ったものだ。








終業後自室に持ち帰った帳簿の集計の手を止め、ハクは窓の外に目をやった。


彼は一応個室と名のつくものを与えられている。
もともと屋根裏部屋であったところに手を加えただけのごく粗末なものだが。





湯婆婆の執務室へと続くエレベーターの裏手には古い階段があり、歩くとみしみしきしむそこを上り詰めると、裸電球がひとつつるしてあるだけの板敷きの廊下に出る。

小さなはめこみ窓のついた木扉が、廊下の両側にそれぞれ2つ、つきあたりに1つ、並んでいる。
ちょうど、古い下宿屋のような風情とでも言えばよいか。

それら5つの部屋はいわば物置部屋代わりで、湯婆婆の書物や季節外れの衣服などが収納されていたのだが、その中の一室、つきあたりの一番小さな部屋をハクは私室としてあてがわれていた。


扉を開けると、廊下と同じ板敷きのままの三畳ほどの空間があり、そこには簡単な炊事と洗面ができる程度の小さな流し台がある。

その奥に、古びた障子で仕切られた畳敷きの四畳半。
押入れがひとつと、窓がひとつ。窓辺に折り畳んで仕舞えるこぶりな文机がひとつ。・・・それだけ。


無駄がないというよりは、殺風景この上ない部屋であるが、もともとあまり物に執着のない彼は私物も少なく、特に手狭とも感じていなかった。

天井が窓に向かって傾斜して低くなっているので、長身の彼にとって窮屈であるのは否めないものの、ひとりきりになれる空間があるだけありがたいので、狭い広いは別に気にしていない。

ごく簡単にしか掃除はしないが、そもそも物が少ないのであまり散らかることもない部屋だった。



ちなみに、湯屋の従業員で彼以外に個室を持っているのは父役と兄役だけで、彼らは従業員たちの大部屋と続きに並んでいる六畳ほどの和室をひとつずつ与えられている。

こちらは・・・俗に言う男所帯そのものでむさくるしいことこの上ないが、それはまあ、個人の自由ということで。













・・・・困ったものだ。








ハクは休憩時間に見かけた千尋とオオトのことを思い出し、再び、自己嫌悪にまみれたため息をついた。




ちまたでは石のように冷静沈着な湯屋油屋の帳場頭、としておのれは通っているらしいが。
基本的に自分は感情の制御が得意ではない。

一旦暴走したら、とどめる自信がない。

それがわかっているから、意識的に必要以上の喜怒哀楽を表面に出さないよう、常に気をつけているのだ。


それは千尋に対しても、そうである。
むしろ、他の者に対する以上に、感情表現には慎重になってしまう。


千尋が自分と友人以上の関係を望んではいないことを匂わせている以上、こちらから強引にその境界線の向こうに踏み込むことなどできない。

気持ちに流されてうかつな行動を取ればきっと、彼女を悲しませ傷つけてしまうだろう。

その結果、嫌われたり避けられたりということになったら、苦しくて息もできないであろう弱い自分を、自覚している。



俗に言う『いい人』という立ち位置を保つことが、現在、彼女の側にいられる第一条件なのだ。


だが。










   時折、その感情の箍(たが)が、きしむ。

     きしんで、悲鳴をあげて、外れそうになる。








さきほども、あやうくそうなりかけて・・・言わずともよいひとことで千尋を困らせてしまった。





『世間話』と称して、彼女がオオトと何を話していたのかまでは知らない。
が、楽しく談笑している様子でも、また、脅されている様子でもなく。

どう見ても、千尋が何らかの頼みごとをあの蜥蜴にしていたとしか思えなかった。


千尋が自分以外の男に頼り、懇願している姿に、網膜の裏が真っ赤に染まるような嫉妬をした自分が情けなかった。











可哀想な事をしてしまった。
どうやって詫びよう。











ハクは立ち上がって部屋の窓を開けた。






飾り気のないハクの部屋内で、唯一の装飾品ともいえそうなものが、この窓辺にある。

建てつけの悪い木枠に嵌め込まれた安ガラス窓の外側には、幅の狭い手すりが取り付けられてあり、ハクはそこに素焼きの鉢を1つ置いている。

少し前までは、鉢には芹(せり)や釣船草(つりふねそう)などの青草が植えられており、それがこの味気ない室内にささやかな潤いを与えてくれていた。




だが今、その鉢の中を席巻しているのは、かつての愛らしい水辺の草々ではなく、蕨(わらび)に良く似た形の毒々しい薬草の一群だった。

先月の休みに、千尋と二人で薬草を集めに出かけた時、何気なく持ち帰ってしまったこの草、すぐに処分したつもりであったのだが、どうやら衣服に胞子でもついていたらしく、いつの間にかこの鉢に根付いてしまい、あっという間に増えはびこってしまった。


もともとこれはあまり繁殖力の強い植物ではなく、探そうと思うと骨の折れるものであるはずなのだが、なぜか、抜き取っても抜き取ってもまた生えてくる。










このような不吉な草など育てるつもりはないのに。









これは時に薬草としても用いられるが、端的に言えば、麻薬である。
苦痛を遮断するのには抜群の効果があるが、要するに痛みを感じる神経系統を麻痺させるもので、習慣性があり、服用をやめると激しい禁断症状に襲われる。

動物や魚がこれを食した場合、その毒性は体内に蓄積され、それを食材に用いると今度はその料理を食べたものに薬毒が及ぶ。


客に食物を供するような場では、本来取り扱ってはならないものだ。
もちろん、湯屋油屋の板場でもそれは徹底している。


が、両親を助けたい一心で薬草を摘む千尋の傍らでこれを見つけたとき、ハクが考えてしまったことは、--------彼らが死期を迎えた時、これがあれば少しでも安らかに過ごせるのではないかということだった。

まだ完全に望みが絶たれたわけでもないのに、そのようなことを考えるのは彼女の懸命の努力を裏切るに等しい。


このようなもの、鉢ごとどこか遠くに捨ててしまわなければ、と何度思ったことか。





が。







それを実行する決心がつかぬままずるずると今日を迎えてしまったのは。















万一、これを彼女の両親のためにではなく。

























彼女自身のために必要とする日が来たとしたら・・・・?



































想像するだけで全身が凍りつくその考えを、彼は必死で打ち消す。











捨てよう。このようなもの今すぐ捨てよう。










ハクが手荒にその鉢を抱え上げ、窓の外へひといきに投げ捨てようとした時、部屋の扉を慌しく叩く音がした。





「ハク様! ハク様、すいません!! リンが今すぐ来てほしいって言ってるんですけど!」





扉の向こうから小湯女のウサメの切羽詰った声がする。
鉢を手にしたまま、ハクは室内からその声に応じる。





「どうした?」

「あの! センが! センが具合わるくなって!」





震える指で薬草の鉢を元の位置にもどし。


龍の青年は部屋を飛び出した。















♪この壁紙はさまよりいただきました。♪