鐘楼(しょうろう)流し (22) 









「なあセン、その・・・お前らなんかあったのか?」

「え?」


いきなりこう切り出され、千尋は返事につまった。



「ええと、・・・なんのこと?」



終業後、千尋はリンに呼ばれてまかない部屋にやってきた。

食事時ともなれば従業員たちでごったがえしになる場所であるが、もう夜も更け、ほとんどの者たちは眠りについている時分。
がらんと静まり返った室内にいるのは彼女たちふたりきりだった。


「なんのこと、って言われても困るんだけどなぁ。なんとなくよそよそしいっつうか・・・やっぱ、『変』じゃねぇか?」

「・・・・・誰と誰が」



ああもう、まどろっこしいっ、と狐娘はがりがり頭を掻いた。


「お前とハクのことに決まってんだろが!」

「・・・・・リンさん」

「喧嘩でもしたか?」



彼らの様子がどうもおかしい、と気づいたのは数日前くらいからだったか。

同じ湯屋に働いているというのに、互いになるべく避けているように見えるというか。

もともと勤務中にべたべたと親しげにすることはなかった二人なので、他の者たちはまだ何も気づいていないようだが、リンの目からすれば、このところの彼らの様子はなんとはなしに不自然に思えたのだ。

今までならさりげなく休息時間を合わせたり、終業後に立ち話のひとつもしたりという様子が時折うかがえたのに、最近はそういうこともちっともないようだし、それどころか、顔を合わせても、どちらからともなくすっと視線をそらせているようにさえ見える。

しかも、そんなふうになりだした時期というのが、どうも、例の事件―――――妹分の体調不良を、自分が妊娠と誤解して騒ぎ立てたことから大騒動になった、あの一件―――――の直後からのように感じられて、リンは気になって仕方がなかったのだ。



そこへもって・・・夕べ、彼女はハクから妙なことを頼まれた。


次の休みに、センを連れてどこかへ出かけてくれないかと。

月に一度の休み、というと、必ず彼がこの人間の少女をどこぞへ連れ出すのが恒例行事だったはず。
そして、彼らが留守をしている間に、リンや板長蛙がその月に屠殺した豚の弔いを済ませるのが常だ。

なのに、今回に限ってあの帳場頭は、たまには若い娘同士で流行りの遊びを楽しんでくるのもいいだろう、鐘楼流しは自分がするから、などと、らしくないことを言う。

外出の費用はすべて自分が持つから、とまで彼は言った。


断る理由はないものの、このもやもやと納得できないものを明らかにすべく詰め寄ろうとしたリンだったが。

他人にはあまり自分の感情をあらわにしない彼にしては珍しく、その横顔が寂しげな蒼い影を帯びていたのに気おされて、彼女は何も言えず引き下がったのだった。




「ハクのヤツ、なんかやらかしたのか? 落ち込んでたみてぇだけど」

「ううん、べつに・・・」



煮え切らないといえば、この妹分のほうも、相当煮え切らない。
喧嘩するならするで、盛大にやって、さっさと仲直りするなり別れるなりすりゃあすっきりするのに、と竹を割ったような性格の狐娘は思う。



「まさか、・・その、なんだ」

「なに?」

「浮気、とか?」

「――――えっ。」



人間の娘は一瞬絶句し、・・・そして盛大に笑い転げた。



「やだ、そんなんじゃないってば、リンさんたら、もうーー!!」

「笑うんじゃねー。心配してやってんのに」

「ごめんごめん。でも、ほんとになんでもないから」



目の端に涙を滲ませて笑っている妹分の様子に、狐娘は見当違いだったか、とも思ったが。
今日はもう少しだけ、突っ込んだところまで聞いてみようと、決めた。


「そうは言うけどな、セン」

「うん?」

「アイツ、・・・やっぱ最近変じゃねぇ?」

「・・・・変、って」

「仕事しすぎだし」



あの帳場の上役は、ここ数日憑かれたように働いている。
父役や兄役にまかせておいてもいいような細かいことも自分でやっているし、今特に急ぐわけでもない書類を根をつめて延々と作成し、勤務時間がとうに過ぎた刻限になってもなかなか終わろうとしない。


直属上司がそういう状態であると、こっちも何かと気を使う。


「とばっちり食うし、ほんっとたまんねー」

「・・・・そう。ごめんね」


別におまえが謝るコトじゃねえだろ、と思いながら、一呼吸おいてリンは続けた。



「あんだけ働きゃ、へろへろになりそーなもんだけど」

「・・・・」

「仕事終わったら終わったで、夜中にふらふら出かけてるし」

「え? どこに?」

「―――――新町の酒場。荒れてるらしいぜ」



とたん、表情をくもらせた人間の娘。


「お酒なんて・・・ハク、あまり強くないのに」


彼はもともと酒はつきあいに嗜む程度、下戸ではないが量の多い方ではない。
自分でもそれを知っているから、常に限度をわきまえた飲み方しかしなかったはず。



「昨日も店でこっぴどくつぶれちまってたって。迎えに行った兄役がぼやいてた」

「そうなんだ・・・」

「知らなかったのか?」

「うん」


千尋はうつむいて黙り込んでしまった。
彼がそんなふうになる理由の心当たりは、いやというほどある。


そんな妹分を前に、リンは胸の中でため息をついた。
やっぱりこの二人はおかしい、と。

自分の話に、この人間の子は心底あの龍を心配しているようではあるが。
おそらく彼に一番近しい立場であるはずの彼女が、当のハクの荒れようを知らなかったというのが、そもそも変だ。

どこでボタンの掛け違えがあったのかは知らないが、何かがこじれてしまっていることだけは確かだ。
自分がなんとかしてやれるものならなんとかしてやりたいが、どうもなりゆきは思っていたより深刻そうで、どこからほぐしてやればいいのかその糸口さえつかめない。


弱りきって腕組みしたその指先に、ふわりとしたあたたかいものが触れた。


「ああそうだ、セン。忘れるとこだった」

「うん?」

「板長からお前に、って」


狐娘は袖の中から、更半紙にくるんだ丸い物を取り出し、千尋に渡す。


「最近貧血ぎみだったろ? あまりもので板長がこんなの作ってくれた」


手渡された包みを開くと、中にはまだほかほかとぬくもりの残る肉まんのようなものが入れられていた。


「わあ。おいしそうだね」


手で半分に割ると、饅頭の具にはくさみを抜いた鶏の肝やほうれんそう、小松菜などの切れ端を細かく刻んで甘辛く煮付けたものが詰められていた。


「せっかくだから、あったかいうちに食え」


勧められて、千尋はひとくちふたくちそれを口に運んだが、全部は食べきれないからといってまたそれを紙に包んでしまった。




「・・・まだ具合悪そうだな」

「そんなことないよ。今おなかいっぱいなだけ」


そう言ってにっこりとしてみせる妹分ではあるが、確か、彼女は夕食時もあまり食べていなかったようにリンは思った。



「なあ、セン。今度の休み、雪板滑りにでも行ってみねぇか?」

「雪板滑り? いいよ?」



真冬にひまわりが咲くようなこの場所ではあるが、雪が積もればそれなりに、それに似合った遊びがある。
電車で二駅ほど行った先にある山に行けば、雪の季節ならではの楽しみを満喫できる施設があって、いろいろな道具も貸し出されている。

少し前までは、そこでの一番人気の遊びは、身長ほどの長さの竹を縦半分に割って両足にそれぞれ固定し、両手に持った杖でバランスを取りながら斜面を滑り降りるものだったが、最近若い者たちの間で流行っているのは、まな板を縦に長くしたような一枚板の上に横向きに立ち、ちょうど波乗りをするような格好で雪面を滑降したり飛び跳ねたりするもの。

気分転換にはうってつけだ。



「ハクとばっか出かけてねーで、たまにはオレにも付き合え」

「ん。行く」

「じゃ、しっかり食ってもっと元気出せ」

「うん。ありがとう」



嬉しそうに返事をする妹分の頭をわしわしと撫でながらも、こもごもの不安を拭いきれずにいるリン。

と、そこに、ひょいと男の声がかかった。



「おお、セン、こんなところにおったのか」


ふたりが振り向くと、そこには弱りきった表情の兄役がいた。


「セン、すまんがな、ちょっと頼まれてくれんか」















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